昨夜、学生時代の解剖学の口頭試問?の夢を見たので、忘れないうちに書き留めておく。
その試験は解剖学でも「骨と関節の名前を答える試験」で、体の場所を提示されて、全て骨の名前を言えば良いという単純なものだった。実際にその試験があったわけではない。
例えば、「手の骨」だけでも大変な数ある。それを全て答えるのは、こりゃまた大変。
試験の様子は完全に公開で、どのようにできたか皆にわかるようになっている。試験順序も名前のアイウエオのグループ順ではなく、適当に自信がある人から参加してよいというものだった。まさに実在しない試験である。
最初、オッサンと思われるいつもよく勉強している学生が1番目に出陣。
皆が息を潜めて見守る。てくてく試験官の教授の方に向かう姿が、いつもの猫背で、なんとなく自信がありそうだった。
果たして、最初にもかかわらずかなり難しい場所を提示されたが、なんとその人、ほとんど全てを正確に答えたのである。1つだけわからなかったが、全ての骨をラテン語で答えた。しかも淀まず時間がかからずに答えたのである。
隣の友人と顔を見合わせ、「あの人、凄いわ。」と話した。
教授は、「1つできなかったが、君は合格だ。」
と言った。最初がああだと、次の人が出て行きにくい。いったい何%できれば合格かも不明だし。
この夢の中の試験は実際にはありそうにないもので、良く考えると解剖学中、最も易しいのでは?と噂されていた三解剖の試験のように見える。当時の記憶では、試験が出来ない人は再試はあったが、レポートも考慮される試験である。
体のどこの部分を提示されるかが重要で、もちろん比較的易しい場所もある。しかし、出来ない場合は、再試になるのは必至なので、記憶が不十分だと相当な度胸が必要である。
その夢の中で感じたのは、このように意味が繋がらないような名前は相当に覚えにくいこと。
個人的に、神経科解剖の菱形窩の神経核のイラストはすぐに憶えられる。それぞれに意味があるので憶えやすいのである。しかし、今は簡単ではないんだろうなと思う。
結局、皆、なかなか参加しない。予習ばかりしている。いったん憶えても、5分後には完璧ではなくなる。また、いったん憶えても、他の体の場所を覚えているうちに記憶が曖昧になっている。
これじゃ、マジな話、きりがないぞ・・
と友人と話していた。僕は図書館に移動した。そこで目撃したのは、解剖の骨の部分がジグソーパズルのピースのように取り外すことができ、しかも裏に名前が書かれているという優れものの学習機材?であった。それを皆が学習している。
ここでコンピュータなどが出てこないのが、あの時代と言うか、レトロっぽい。
そうこうしているうちに、時間が午後8時を過ぎ、9時近くになっていたのである。「もう教授は帰ってしまったんだろうな・・」と思いつき、試験会場に戻ると、教授はおろか、学生さえろくに残っていない。
友人を掴まえて、試験がどうだったか聞くと、自分は7割できたのでギリギリだが合格と言われたと言う。
7割で合格なら、参加したほうが良かったじゃない!
と思ったが後の祭り。これで、この試験も再試が確定したのであった。
解剖学は専門課程に入るとさっそく始まるような医学カリキュラムである。もちろん、解剖実習も、このカリキュラムの実習になる。
夢の中で、時間が経つにつれ、なんとなくだが自分がアウトサイダーっぽいのがわかっており、「なぜ、このような不必要な試験を受けるのか?」という疑問が湧いた。
自分は特別参加なので、実習はともかく、試験は受ける必要がないのである。(この辺りの夢の中の判断が興味深い)
まあ、不合格なら、不合格でも良いか・・
と思ったところで目が覚めた。
解剖学は、コンピュータや3次元の画像技術が進歩したので、大学での基礎医学の講座の存在意義が薄れてきていると言う。全て独学でもできるからである。
何年経っても、学生時代の夢は時々見るようである。時間が経つと、あっという間に忘れてしまうんだけど。
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学生時代の試験の夢を見た
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