リトグラフはそのまま描いたような多色刷りの版画で、子供のころ美術の授業で彫刻刀で彫っていた版画とは異なり、どういう方法でできているのか、今一つわからないでいた。それは今もそうである。
制作者からすれば、一品ものではなく、同一の作品がたくさんできるので、商業的には上手い方法だと思われる。
シャガールやピカソなどはリトグラフの作品を多く残している。特にピカソは、一般人には実際に上手いのかどうかわからないような作風なので、誰か著名な美術家ないし専門家が絶賛しないことには誰も見向きもしないタイプだと思う。それは書道などもそうである。結構、感覚的には下手なのに上手いことになっている人もいるからである。
ピカソの成功は、どうみてもマーケティングというか、商業的な人々の手助けがあったこそ成し遂げられたものだと思うので、彼らがしばしばリトグラフを利用したのは理解できる。
そういえば、僕が大学時代1年だけ下宿屋にいた頃、下宿屋のオヤジが、テレビで写実派や印象派の作品を紹介している番組を観て、ため息をつきつつ、
昔の人は本当に絵が上手かった・・
今の人はあんなふうには描けないんだろう。
と呟いた。これはわけのわからな現代画に対する、一般民衆の自然な感覚だと思われる。その一般民衆の感覚をウリにしているのが、今アメリカ大統領選を戦っているトランプ氏だと思う。
ここからが、今日の本題。
リトグラフは同じ作品を際限なく作るものではなく、最初から100とか200とか決めて造ってようで、作品の端にこれが何番目かが記載されている。たとえば、26/100とかである。
この前の数字はもちろん若い方がよく、例えば99/100より、7/100の方が良いと言われている。その理由は、刷っているうちにリトグラフとしてのキレが次第に落ちてくるのではないかと思うが、作品がいかに制作されているのか詳しく知らないので、たぶん初めの方が綺麗にできるんだろうくらいに思っていた。
同じ作品なら、若いものを選んだ方が良いらしい。
これは薬剤も同じようなもので、作り始めて、数年~数十年も経つと、錠剤に描かれている社名を示す刻印や製品名の字が潰れて読みにくくなる。
この経緯はリトグラフの若い数字を選んだ方が良いのと似ている。ただ、異なるのは薬は美術品ではないので、字が潰れているからと言って効果は変わらないことだと思う。
これは良く考えるとリトグラフと一緒である。その理由は一応リトグラフの場合、際限なく造っているわけでもない上、購入者が例えば10/100と99/100の差を比べる機会などほとんどないからである。
自分は、美術品のような無形のものにはあまり価値を置かないタイプで、例えば骨董品を集める趣味などない。
美術品はたとえ偽物だとしても、本人が知らないか、あるいは満足しているのであれば、それで十分だと考えている。エジプトのピラミッド時代の王じゃあるまいし、死ぬ時まで一緒に持っていけないからである。
それは、ピカソの何十億の作品ですら、本当にその価値があるのか疑わしいのもある。ひょっとしたら、その辺のオッサンが描いた落書きと同じレベルかもしれない。
たとえて言うなら、大阪万博の時、月の石が価格がつかないほど高価なものだと言われていたのと同じことだ。
これらを象徴する事件は、オランダのフェルメールの贋作家、ハン・ファン・メーヘレンの「エマオの食事」であろう。
ハン・ファン・メーヘレンは自らの実力を誰も認めてくれないことが、フェルメールの贋作を造る動機になった。そして、専門家をだますことに成功したのである。いかに専門家なる人々がその美術品の価値に影響するかがわかる。
第二次大戦直後、ナチスドイツにフェルメールの作品を売却した罪で訴追された。その理由は、オランダの国宝級の美術品を売ったことで、ナチス協力者とみなされたからである。
ところが、裁判中、「エマオの食事」などのそれまでフェルメールのものと思われていた作品が彼の贋作であることを告白。また法廷で、その証拠としてフェルメール風の絵画を描いて見せた。
結局、ナチスドイツに偽物を掴ませたことで、売国奴から、英雄に転じたのである。彼の裁判ではナチス・ドイツへの絵画の販売は無罪となり、フェルメールのサインを偽造した罪のみ詐欺罪に問われ、当時の詐欺罪としては最も軽い禁固1年の判決を受けた。
彼は、実際に法廷でフェルメールの贋作を描く直前、コカインを希望したらしい。
彼は既に麻薬中毒にあり、判決直後、1947年暮れに亡くなっている。
参考
フェルメール
ルカによる福音書10章38~42節
エマオの食事
制作者からすれば、一品ものではなく、同一の作品がたくさんできるので、商業的には上手い方法だと思われる。
シャガールやピカソなどはリトグラフの作品を多く残している。特にピカソは、一般人には実際に上手いのかどうかわからないような作風なので、誰か著名な美術家ないし専門家が絶賛しないことには誰も見向きもしないタイプだと思う。それは書道などもそうである。結構、感覚的には下手なのに上手いことになっている人もいるからである。
ピカソの成功は、どうみてもマーケティングというか、商業的な人々の手助けがあったこそ成し遂げられたものだと思うので、彼らがしばしばリトグラフを利用したのは理解できる。
そういえば、僕が大学時代1年だけ下宿屋にいた頃、下宿屋のオヤジが、テレビで写実派や印象派の作品を紹介している番組を観て、ため息をつきつつ、
昔の人は本当に絵が上手かった・・
今の人はあんなふうには描けないんだろう。
と呟いた。これはわけのわからな現代画に対する、一般民衆の自然な感覚だと思われる。その一般民衆の感覚をウリにしているのが、今アメリカ大統領選を戦っているトランプ氏だと思う。
ここからが、今日の本題。
リトグラフは同じ作品を際限なく作るものではなく、最初から100とか200とか決めて造ってようで、作品の端にこれが何番目かが記載されている。たとえば、26/100とかである。
この前の数字はもちろん若い方がよく、例えば99/100より、7/100の方が良いと言われている。その理由は、刷っているうちにリトグラフとしてのキレが次第に落ちてくるのではないかと思うが、作品がいかに制作されているのか詳しく知らないので、たぶん初めの方が綺麗にできるんだろうくらいに思っていた。
同じ作品なら、若いものを選んだ方が良いらしい。
これは薬剤も同じようなもので、作り始めて、数年~数十年も経つと、錠剤に描かれている社名を示す刻印や製品名の字が潰れて読みにくくなる。
この経緯はリトグラフの若い数字を選んだ方が良いのと似ている。ただ、異なるのは薬は美術品ではないので、字が潰れているからと言って効果は変わらないことだと思う。
これは良く考えるとリトグラフと一緒である。その理由は一応リトグラフの場合、際限なく造っているわけでもない上、購入者が例えば10/100と99/100の差を比べる機会などほとんどないからである。
自分は、美術品のような無形のものにはあまり価値を置かないタイプで、例えば骨董品を集める趣味などない。
美術品はたとえ偽物だとしても、本人が知らないか、あるいは満足しているのであれば、それで十分だと考えている。エジプトのピラミッド時代の王じゃあるまいし、死ぬ時まで一緒に持っていけないからである。
それは、ピカソの何十億の作品ですら、本当にその価値があるのか疑わしいのもある。ひょっとしたら、その辺のオッサンが描いた落書きと同じレベルかもしれない。
たとえて言うなら、大阪万博の時、月の石が価格がつかないほど高価なものだと言われていたのと同じことだ。
これらを象徴する事件は、オランダのフェルメールの贋作家、ハン・ファン・メーヘレンの「エマオの食事」であろう。
ハン・ファン・メーヘレンは自らの実力を誰も認めてくれないことが、フェルメールの贋作を造る動機になった。そして、専門家をだますことに成功したのである。いかに専門家なる人々がその美術品の価値に影響するかがわかる。
第二次大戦直後、ナチスドイツにフェルメールの作品を売却した罪で訴追された。その理由は、オランダの国宝級の美術品を売ったことで、ナチス協力者とみなされたからである。
ところが、裁判中、「エマオの食事」などのそれまでフェルメールのものと思われていた作品が彼の贋作であることを告白。また法廷で、その証拠としてフェルメール風の絵画を描いて見せた。
結局、ナチスドイツに偽物を掴ませたことで、売国奴から、英雄に転じたのである。彼の裁判ではナチス・ドイツへの絵画の販売は無罪となり、フェルメールのサインを偽造した罪のみ詐欺罪に問われ、当時の詐欺罪としては最も軽い禁固1年の判決を受けた。
彼は、実際に法廷でフェルメールの贋作を描く直前、コカインを希望したらしい。
彼は既に麻薬中毒にあり、判決直後、1947年暮れに亡くなっている。
参考
フェルメール
ルカによる福音書10章38~42節
エマオの食事