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Channel: kyupinの日記 気が向けば更新
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異常感覚や異常体験の規模が変わる

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ある時、広汎性発達障害の女性患者さんとの診察中、

なぜ薬を飲んだ方が良いのか?

という話になった。これは本質的な問題と言える。普段、彼女は一般の人にはちょっと考えにくいところで引っかかり悩んでいる。彼女の困っている精神症状は服薬することでほとんど気付かないくらいに改善するが、なぜか「薬を飲まないこと」にこだわるのである。

それでも薬は飲んでくれていた。

広汎性発達障害の人は、頑として服薬に応じず必要性を理解できない人と、とりあえず心底納得できていなくても、服薬してくれる人に分かれる。

彼女の場合、まだ服薬してくれるのでまだ対処しやすい。彼女の日常の疑問、困難さは極めてアスペルガー症候群っぽい。

ある日、自分の外来担当日ではない日の午後3時に来院ように伝えていた。その時間帯は自分の都合が良いからである。ところが、その時間にたまたま総合病院に搬送した方が良い患者さんがおり、紹介状や救急車の依頼などをしなくてはならず、外来に行けずにいた。

普通、たぶん精神科だけではないが、救急車と救急隊員の人たちが来た場合、患者さんの病状やどの病院に依頼しているか説明し、外来につけた救急車まで、行くことが多い。そして搬送を見届ける。

ところが、外来ではカンカンに怒っている彼女がいたのである。

彼女は「3時に来い」と言っておいて、自分を診察せず放置していたのは許せないことだったようである。そして、救急隊員に説明している自分の背後に来て、僕に文句を言い放った。救急隊員はかなり驚いていたようであるが、おそらく「いったいこの人はなんだろう」と思ったに相違ない。

外来の看護師は既にその事情は説明していたが、僕本人が説明に来なかったのが気に入らなかったようである。また「外来をする日に病棟を診察するべきではない」とまで言ったのであった。(貴方に、そんなことまで言われたくない。←副音声)

このような「常識の欠如」は、「想像力の低さ」から来ている。

その患者さんは、救急車で運ばれているわけで、そちらを優先する方が医師であれば当然である。だから、この場合、約束を破っていることにはならない。

ある日、彼女は「子供の参観日に出席するかどうか」で悩んでいた。体調が悪く行くのが辛いからである。参観日に行けない保護者は多いと思うので、

「今日は体の具合が悪いのでお休みさせて下さい」と連絡してはどうでしょう?

と簡単に助言した。このようなことは、本当は連絡することすら不必要かもしれないが、そうでもしないと、彼女には心の区切りが付かないと思ったのである。

彼女は非常に驚き、

先生って、とても頭がいいですね。

と「ああ、そういう方法もあったか・・」と感心されたのである。こんなことで感心するのも不思議な話である。

ところがである。後日、彼女は自分の決断ではなく、「僕の助言で予定変更したこと」がたまらなく不愉快というのである。(別に僕を責めているのではなく、自分自身に対し怒っている)

「これじゃ確かに生きにくいよ」と思った。普通の人なら、ノータイムまではないかもしれないが、過ぎ去ったことは、あれこれ考えないと思うから。

彼女の場合、このような疑問が減少するわけではないが、服薬することで、

異常体験、異常感覚の感じ方が変わる。

のである。つまりほとんど異常感覚がなくなるか規模が小さくなる。服薬しないままだと、次第に症状が大きく感じられ、その苦悩も大きい。

参観日に行くか行かないかであれほど悩むのであれば、異常感覚などが出てきたら、なおさら振り回されて日常生活が成り立たない。

なんとなく、この説明はわかってくれたように思うが、その理解も一般の人とは異なると思われるので、ある日、全然異なる方角の同じ質問をされるかもしれない。(基本的に、彼女は僕の助言を参考にし受け入れている)

服薬してもらえば、まだ話ができるので会話が成り立つが、そうではない場合、いったいどんな風になるのか想像もつかない。

服薬をするかどうかは、本人の生活歴や性格も関係すると思うので、同じ精神疾患でも運・不運はあると思う。

参考
精神疾患と服薬
ブログの記事のテンションが低い話
下宿屋のオバちゃん


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