平成9年頃、医師から「統合失調症の疑いがある」と告知され、それにショックを受けた患者さんが自殺した事件があった。
その後、家族から「なぜそのようなことを告知したのか?」と精神科医が訴えられたのである。
この裁判だが、家族が敗訴している。
医療では、病状を説明する上で、病名を告知しないよりする方が、裁判上、安全なのは当たり前である。
これは平成9年頃の話であり、現在は一層そんな風になっていると思われる。なお、平成9年当時、このようなケースで「統合失調症が疑われる」と告知する精神科医は、25名中4名しかいなかったらしい。
ということは、この逆が起こった場合、25名中21名は裁判に負けておかしくない。
つまりだ。
精神医療の裁判の実際は、日常臨床にそぐわないところがあるのである。
過去ログから再掲。(「精神科医と法律家」より)
精神科で告知の問題が他科に比べ難しいのは、もし薬の副作用について、すべて説明しないと処方できないなら、「精神科の薬を飲む」と言う人が全然いなくなるようなところがあるから。精神科の薬はごく稀な副作用まですべて告知し始めると、どのような薬でもびっくりするような副作用が存在しているからだ。このように、稀ではあるが重篤な副作用があることは別に向精神薬だけに限らない。しかし、精神科と他科の比較で重要な点は、それでもなお、服薬して治療したいと言う患者さんのモチベーションの差なんだと思う。これは精神科の特殊性と言うか、本人の病識の程度を考慮していない考え方で、僕は精神科医の立場から法律家の言い分に非常に不満がある。
あまりに告知に杓子定規に、薬効、副作用すべて説明し、もし本人が服用しない場合、それに沿うべきと言うなら、自殺やいろいろな犯罪を含め事故が今より多発するだろう。法律家は、結果的にその人が自殺したとか、あるいは触法事件を起こしても自分には直接関係がないので、そういう言い方なんだろうと僕は思う。
法律家は、患者さん本人に「統合失調症」とか「境界型人格障害」と告知した場合、それだけで自殺しかねない人たちがいるのを考慮していない。
参考
精神科医と法律家
その後、家族から「なぜそのようなことを告知したのか?」と精神科医が訴えられたのである。
この裁判だが、家族が敗訴している。
医療では、病状を説明する上で、病名を告知しないよりする方が、裁判上、安全なのは当たり前である。
これは平成9年頃の話であり、現在は一層そんな風になっていると思われる。なお、平成9年当時、このようなケースで「統合失調症が疑われる」と告知する精神科医は、25名中4名しかいなかったらしい。
ということは、この逆が起こった場合、25名中21名は裁判に負けておかしくない。
つまりだ。
精神医療の裁判の実際は、日常臨床にそぐわないところがあるのである。
過去ログから再掲。(「精神科医と法律家」より)
精神科で告知の問題が他科に比べ難しいのは、もし薬の副作用について、すべて説明しないと処方できないなら、「精神科の薬を飲む」と言う人が全然いなくなるようなところがあるから。精神科の薬はごく稀な副作用まですべて告知し始めると、どのような薬でもびっくりするような副作用が存在しているからだ。このように、稀ではあるが重篤な副作用があることは別に向精神薬だけに限らない。しかし、精神科と他科の比較で重要な点は、それでもなお、服薬して治療したいと言う患者さんのモチベーションの差なんだと思う。これは精神科の特殊性と言うか、本人の病識の程度を考慮していない考え方で、僕は精神科医の立場から法律家の言い分に非常に不満がある。
あまりに告知に杓子定規に、薬効、副作用すべて説明し、もし本人が服用しない場合、それに沿うべきと言うなら、自殺やいろいろな犯罪を含め事故が今より多発するだろう。法律家は、結果的にその人が自殺したとか、あるいは触法事件を起こしても自分には直接関係がないので、そういう言い方なんだろうと僕は思う。
法律家は、患者さん本人に「統合失調症」とか「境界型人格障害」と告知した場合、それだけで自殺しかねない人たちがいるのを考慮していない。
参考
精神科医と法律家