Quantcast
Channel: kyupinの日記 気が向けば更新
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2198

福士加代子、世界陸上2013、女子マラソン銅メダル獲得

$
0
0

日本時間で昨夜行われた世界陸上モスクワ大会で、福士加代子選手が銅メダルを獲得した。ほとんどの人が予想しなかった番狂わせである。

福士加代子は青森県出身で、高校時代はインターハイなどには出場できるレベルだが、これといった実績がなかった。高校卒業後、女子駅伝の名門、ワコールに入社し才能が開花した。基本的に、彼女は女子マラソンというより、5000、1万メートルの選手だと思う。これらの距離では、日本、アジアでは最強のレベルであるが、世界選手権やオリンピックでは、アフリカ勢が強くメダルには到底手が届かないのである。

瀬古利彦が、マラソンの解説時に、「日本人は、1万メートルくらいだとオリンピックで他の国の強豪に到底歯が立たないが、長くなるほど持ち味が発揮できメダルの可能性もあるので、マラソンで頑張るしかない」という内容の話をしていた。確かにその通りである。今回、女子マラソンの解説で千葉真子さんが現地にいるが、そのような意味で、彼女の1997年アテネ大会の1万メートル銅メダルは、日本人としては今後ないかもしれないような驚異的な記録である。

福士加代子は、現在31歳であるが、随分以前から、ワコールのフロントウーマンというか、エース的な存在であった。駅伝では、ワコールの最長距離をまかされることが多く、素晴らしい記録も多い。

世界陸上及びオリンピックの女子マラソンは、初期こそ日本は出遅れたが、世界最強レベルの時代がある。

世界選手権女子マラソン金メダル
1983 グレテ・ワイツ(ノルウェー)
1987 ロザ・モタ(ポルトガル)
1991 ワンダ・パンフィル(ポーランド)
1993 浅利純子
1995 マヌエラ・マシャド(ポルトガル)
1997 鈴木博美
1999 チョン・ソンオク(北朝鮮)
2001 リディア・シモン(ルーマニア)
2003 キャサリン・ヌデレバ(ケニア)
2005 ポーラ・ラドクリフ(イギリス)
2007 キャサリン・ヌデレバ (ケニア)
2009 白雪(中国)
2011 エドナ・キプラガト(ケニア)
2013 エドナ・キプラガト(ケニア)

オリンピックの女子マラソンは、1984年のロサンゼルス大会から始まっている。この大会では、アメリカのジョーン・ベノイトが当時としては驚異的なタイムで優勝している。(2時間24分52秒)ロサンゼルスは、気温が高く難しいコースだからである。

ロサンゼルス大会は、優勝候補だったグレテ・ワイツ、イングリッド・クリスチャンセンは勝てず、優勝のベノイトはダークホース的存在だった。しかし、グレテ・ワイツは優勝こそ逃したが、大喜びで2位でゴールしている(銀メダル)。なお、銅メダルはロザ・モタ、4位がクリスチャンセンだった。

その後、1992年のオリンピックバロセロナ大会で、有森裕子が銀メダルを獲得し、この当時から、日本は強豪と呼べる時代になった。なおバロセロナ大会は、4位になった山下佐知子の方が、1991年国際陸上東京大会で銀メダルだったこともあり、好成績を期待されていたと思う。山下佐知子は間違いなく名選手である。

山下佐知子を初めて知ったのは、都道府県対抗女子駅伝、1区で彼女が鳥取代表で区間賞を獲得した時である。この駅伝では、宮崎代表の宮原美佐子が1位でゴールするかと思われたが、最後の直線、当時全く無名だった鳥取大学在学中の山下佐知子が抜き去り区間賞を獲得している。大学卒業後、一度は教員になるが陸上競技を諦めきれず京セラに入社し、その後、女子マラソン選手として大成した。現在は、第一生命の監督として後進の指導にあたっている。

女子マラソンでは、2000年シドニー、高橋尚子、2004年アテネ、野口みずきと日本勢が連覇している。当時は、女子マラソンの日本代表に選ばれることさえ、大変なことであった。選考会後の選出はしばしば揉めたのである。

元々、海外では、マラソンはクロスカントリーの延長上にあり、クロスカントリーや1万メートルの強豪が距離を伸ばし挑戦する傾向が強かった。それに対し日本は駅伝と関係が深い。日本のマラソン選手は必ずしも足が速くないのである。最もロングスパートが効くマラソン日本選手は瀬古利彦であろう。

女子マラソンの黎明期は、アフリカ勢は陸上でも短距離~1万メートルまでに力を入れているように見え、世界的選手が少なかった。元々、アフリカ選手は、クロスカントリーも強く、5000、1万メートルで力があるので、マラソンが弱いわけはなかった。ただし、黒人選手は基本的に短距離が強いので、昔は長距離には向かないと思われていたところがある。(しかし、アベベはエチオピアの選手)。

ここ数年に関しては、オリンピック、国際陸上で日本女子は著しくマラソンのメダルから遠ざかった。出場したとしても、入賞できるかさえ微妙なのである。その理由は、ケニア、エチオピア勢などアフリカの強豪が多くなったことによる。今回、日本の女子マラソンがたいして期待されていなかったのは、5人まで送れる代表を3人しか送っていないことを見てもわかる。おそらく日本陸連もメダルまでは予想していなかったと思う。

そのような理由から、モスクワ大会の福士加代子の銅メダルは燦然と輝く。

それはこれまでの彼女の選手生活も関係している。彼女は駅伝出身ではあるが、基本的に5000、1万メートルの選手なので、現在の世界的マラソン選手と同じ流れの経歴と言える。彼女の欠点は、終盤に大崩れすることが稀ではないこと。ところが、マラソンは30kmを越えた頃からが本番といわれている。

彼女は、これまで今大会を含めても、マラソンで優勝が1度もない。しかも、いつも「これは間違いなく優勝」と皆が思ってからコケていたのである。つまり、彼女が終盤が著しく弱い。

だから、今回も4人の先頭集団で最後尾に付けていたものの、メダルが取れるようには思えなかった。まして、いったんその3人から遅れたのである。普通、あのような展開で、先頭集団から遅れた場合、10位以下になることも十分に予想できた。僕は木崎にも抜かれるのではないかと思った。

ところが、彼女は展開に恵まれた。4位で追走していたところ、3位の選手が失速して落ちてきたからである。こういうのも珍しい。しかも、後ろから迫る選手もいない。もし、過去の名選手、リディア・シモンのようにターミネーターレベルの選手が追走していたら、間違いなく抜かれていたであろう。今回は、モスクワにしては高温のコンディションだったのも恵まれた1要因だったと思われる。

これは、運がよかったわけだが、この運を呼び込むのも、これまでの努力の結実であろう。運が良いのも実力のうちである。

彼女にはこれまでオリンピック、国際陸上のメダルがなかったので、1つ勲章がとれて本当に良かったと思う。その理由は、彼女のこともあるが、今後、日本は女子マラソンでも苦戦しそうだからである。

今回、優勝は逃したものの、銀メダルを獲得したイタリアのストラネオ選手は好印象だった。彼女は常に先頭を走り、最終盤こそ優勝のキプラガトに敗れたが、日本人受けする試合運びだった。

普通、あのようなレースで後ろに優勝候補がマークしていたら、最後は抜かれることが多い。しかし、彼女はそれもわかっていたのではないかと思う。

あの試合は、イタリア国民も彼女を祝福したはずである。

参考
早狩 実紀さん



Viewing all articles
Browse latest Browse all 2198

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>