ある時、既に自分の病院で治療はしていないが、かつて受診歴がある患者さんの「受診状況等証明書」を記載していた。
これは、障害年金の提出の際に、その精神疾患で受診した初診日やその時の精神症状、臨床経過を明らかにするためのものである。特に重要事項は初診日である。
受診状況等証明書には、以下のように記載されている。
障害年金等の請求をおこなうとき、その障害の原因または誘因となった傷病で初めて受診した医療機関の初診日を明らかにすることが必要です。そのために使用する証明書です。
なお、提出先は日本年金機構である。うちの病院はある時期までほとんどこれらのカルテ類は保存していたが、現在は全ては残っていない。その人は既に入退院後25年以上経過していたが、入院カルテだけは保存されていた。しかし、外来カルテは残っていなかった。
入院カルテは最初のページに、これはほとんどの精神科病院でそうだと思うが、初診日を記載する欄がある。入院カルテしか残っていなかったとしても、ないよりはずっとマシである。
僕はその書類に記載し、精神保健福祉士に頼んでその書類が送られてきた病院に送付した。その患者さんは僕は全く知らない人だったが、ひょっとしたらどのような人だったか知っているかもしれないと思い、病棟婦長さんに聴いてみた。彼女は自分が医師になった年の前から勤務しているからである。
婦長さん、この人憶えていますか?
驚いたことに、彼女はその患者さんのことを詳細に覚えていた上に、現在、外来治療中のある患者さんの兄妹であると言ったのである。
25年以上前に1度だけ2~3ヶ月入院し、その後、転居のために転院した人のことをここまで記憶しているのは驚異的と言えた。今の自分にはたぶん無理である。
看護師さんは、準看、正看に関係なく、その辺りの記憶の納まりの良い人とそうではない人がいる。この患者さんはこれといった特徴がなく、統合失調症かどうかすら、カルテの記載から判断できないのである。(当時の診断は統合失調症ではなかった)
障害年金は2通の障害年金診断書を記載するなどやや煩雑な準備が必要だが、5年間まで遡及請求可能である。ただし条件を満たしていないといけない。2通のうち1通の診断書は過去に戻ってその時点で記載することになっている。
遡及請求が認められた場合、新規に年金が支給されるのに併せて、本来受けるはずだった年金支給額がまとめて支払われる。この遡及年数の限度が5年間なのである。その5年根拠は、時効である。
僕の患者さんでは、この金額が最高で500万円くらいだった人がいる。200~300万円の人も何人か聞いたことがある。満額は認められず、数十万というのが多い。年金のタイプ、障害基礎年金か障害厚生年金かにもよる。
このような高額になるためには、障害基礎年金2級などでは難しく、そこそこ長期の就労歴のある障害厚生年金のケースで生じる。(参考:日本年金機構のサイト)
実際は、遡及請求しようとしても、カルテがなくなっていたり、障害の程度が証明できない、あるいは認められないケースも多いのではないかと思う。
今回記載した「受診状況等証明書」の最後の部分で、いかなる資料に基づくか、記載する部分がある。もちろん、ただの受診記録だけより実際のカルテの方が信頼性が高いのは言うまでもない。(受診記録のノートだけでもあった方が遥かにマシである)。
ごく最近、この障害年金の遡及請求の件で根幹を揺るがすような判決があった。日経新聞のサイトから、
障害年金、診断書なしでも認定可能 不支給取り消し、東京地裁
2013/11/8 21:48
この内容をざっくり言えば、
①28歳から障害基礎年金の支給を受けはじめたが、20歳時点ですでに同年金の対象になる障害があったと訴え、8年分を遡って支給するよう請求。
②国は20歳当時の診断書がないことを理由に不支給とした。
③女性が通っていた学校の担任らの証言や、家族が提出した女性の様子をきめ細かく記載した申立書などを根拠に「日常生活で援助が必要だったことは明らか」と判断。20歳当時の診断書がなくても障害の認定は可能だとして、年金を不支給とした国の処分を取り消した。
なお、弁護士は画期的な判決とコメントしている。この判決で特筆すべきことは、時効が成立しているのに支給されることである。国はこの判決に対し、
厚生労働省年金局事業管理課は「国の主張が認められず、大変厳しい判決」とのコメントを出した。
確かにその通りだと思う。弁護士の言う画期的でもクラスが違うからである。このようなケースで普遍的に認められるようになった場合、既に受給していて同じような経過の人も今は少なくないので、国は大変な額の予算が必要になる可能性がある。
今回の請求が認められた根拠だが、自分の考え方だが、未成年で既に障害年金レベルに至っている場合、成人してから年金が受けられるのが前提だからである。つまり一般的ではなく、特殊なケースとは言える。(つまり、統合失調症や躁うつ病で20歳までに年金レベルになる人はそう多くはないことを言っている)
従って、ほとんどの患者さんは同じような支給にはならない。しかし、アスペルガー症候群などの疾患群で障害年金が認められるようになった近年では、成人した時点で、かなり生活全般の能力が低下している人はそう稀でもないことは想像できる。
過去ログでどこかに書いているが、自分の患者さんで50歳を超える年齢で知的発達障害の人が精神科に初診し、年金が受給できるようになった人がいる。この人の場合、今回の裁判例と類似した事例であり、もし遡及が認められた場合、30年間の年金がまとめて受給可能になる。概算で、
80万×30=2400万
を本人に支払わなければならないが、そのようなことが国にできるのか、また、国民の理解が得られるか?ということも考慮しなければならない。
最近、出された判決で、今後の高裁や最高裁の判決を興味を持って見ているのは、この障害年金の判決と、あのインターネット投票の競馬の利益に対する莫大な税金の裁判である。
この2つの裁判は、本質の部分や他の事例への影響の規模の大きさの点で、非常に似ていると思われる。
競馬の税金の裁判は、
男性は2007~2009年の3年間に計約28億7000万円分の馬券を購入。計約30億1000万円の配当を得ており利益は約1億4000万円だった。大阪国税局は、税務調査の結果、配当額から当たり馬券の購入額を差し引いた約29億円を一時所得と認定した。
その男性は、5億7000万円を脱税したとして 所得税法違反に問われ 無申告加算税を含む約6億9000万円を追徴課税されたが、一部しか支払えず、仕事も辞めるような事態になった。
しかし、第一審では国が敗れている。常識的に、儲かってもいないものに莫大な税金をかけるのはおかしい。それに、はずれ馬券もその男性から見ると、トライしてるという点で、当たり馬券を生み出すための必要経費のようなものである。彼が地裁で勝てたのは、インターネット投票だったので、比較的正しい数字ではずれ馬券の額がわかっていたからである。(銀行の記帳でもわかる)
この裁判は、国は最高裁まで戦う気、満々である。なぜ国がここまで真剣に戦うかと言うと、この裁判がこのまま認められた場合、必要経費の範囲が広がってしまうからであろう。つまり税金の根幹を揺るがす黒船のような大事件なのである。このままでは、税収が大幅に減少する可能性がある。(風が吹けば桶屋が儲かる範囲まで必要経費として認められるのか?という話。もしそうなったら大変な好景気になり、かえって税収が増える可能性はある)
一般に公営ギャンブルの場合、
「当たり馬券の購入費」とは、的中した馬券のみしか認められません。
が原則である。従って、年間大幅に赤字を出していても、有馬記念だけ100万以上の儲けが出た場合、その配当金には税金がかかる。なんとも不条理だが、そういうルールになっているのである。
実際、税金はその収入に対し必要だった経費しか認められないと言うが、細かいことを言うと、そうでもない。例えば企業が冠婚葬祭のために出費した場合、これは利益を生み出すのに直接貢献しないが、必要経費として認められる(らしい)。
近年、根幹を揺るがすような判決が少なくとも昔よりは出るようになったと思う。例えば、一票の格差の裁判もそうである。あの裁判は、僕の子供の頃から行われており、たいていの場合、結末は「違憲だが選挙は有効」だった。
最近の裁判官は、選挙自体が無効だと言っている。
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障害年金の遡及請求の裁判
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