日本時間の2014年7月14日に行われたワールドカップ決勝で、ドイツがアルゼンチンを破り優勝した。南米大会でヨーロッパの国が優勝したのは初めてである。
なお、その逆、ヨーロッパの大会で南米のチームが優勝したことは過去に1度だけある。1958スウェーデン大会ではブラジルが優勝している。
今回の大会は、緒戦からブラジルは地元開催のプレッシャーがかかっている印象で、全般プレーが硬かったと思う。特に決勝トーナメントの最初に当たったチリはコンディションも良く、PK戦になる直前の延長後半、チリの選手のシュートがバーを叩くという肝を冷やすような展開だった。
PK戦は、おそらくチリの方が気楽だったと思うが、ブラジルキーパーの神が下りているようなプレーでかろうじて勝利している。その理由は、ブラジル選手も結構PKを外していたから。PK戦で勝利が決まると、ネイマールは感極まって泣き出してしまった。ブラジルの若きエースはそれほどまでプレッシャーを受けていたのである。
その辺りに、コロンビア戦のあのようなプレーで大怪我をした伏線があったように思う。接触プレーが多いサッカー選手は、背後から膝で強い接触があったとしても腰椎を骨折するなんて滅多にあるものではない。あの時間はほぼ勝利が決まりかけていて、ネイマールも、やや安心していると言うか、緊張が緩んでいたんだと思う。それくらい試合中に精神的に疲労していたのである。
今回のブラジルの選手だが、ネイマールやオスカルはともかく、他の選手では傑出していると思える選手が少なかった。いつものブラジルより小粒の印象だった。フッキは、若い頃J2の札幌に移籍し、毎回試合を観ていたのでよく知っている。最初頃は、今よりずっと痩せ型で、プレー中に熱くなりやすく、しばしばイエローやレッドカードをもらっていた。実際、退場させられ、監督の柳下から肩をドーンと叩かれ怒鳴られたこともある。(当時のJ2の札幌戦は全試合テレビで観戦)
最初頃はこのブラジル人はまだ若いのに凄い選手とは思ったが、メンタル的にダメダメで、まさか、その後セレソンに選ばれるとは思わなかった。Jリーグでの凄さと言う点では、浦和レッズを突然やめ、中東のチームに移籍したエメルソンの方が上回っていたと思う。
フッキもまた、東京ヴェルディを突然やめてポルトに移籍している(これもエメルソンと同じく、礼を尽くしていない移籍)。ブラジル選手は基本的に出稼ぎのスポーツ選手なので、J1でもJ2でも稼げれば良い。だから、J2やJFL在籍だったブラジル選手が大成することは時々ある。
長々と何が言いたいかと言うと、フッキのような選手がレギュラーの時点で、ブラジルは終わっているのではないかと(笑)。
チリとのPK戦だが、フッキなら外しかねないと思って観ていると、やはり外した。おそらく、ここぞと言う時の責任感が乏しいのである。ネイマールの爪の垢でも煎じて飲んでほしい。
今回、ブラジルは惨劇と言えるほどの大敗をドイツ戦で喫した。ジーコによれば、ブラジルは0-3で負けることも滅多にないらしい。あの試合は、観ていた人はわかるが、まるで日本とアジアの弱い国との戦いのようなドタバタ劇だった。確かにクラスが違っていたと思う。1-7はプロ野球でも大敗のスコアである。
この試合の後、非常に興味深いと思ったこと。それはドイツ国民の心理である。ワールドカップの試合後、勝利したら街に繰り出して大騒ぎになるのが普通だが、その試合の直後は全てが控えめでそんな風にならなかったという。
つまり、あれほどの歴史に残る大勝だったのに、普通には喜べなかったのである。それはもちろん、ブラジル国民の気持ちを思いやっていることからくる。
実際、過去のドイツの名選手の1人は「7-1で勝たなくても、4-0で十分だった」などとコメントしている。
「ドイツがブラジルに勝つ」という内容を思い浮かべるのは表象と言うが、「ドイツ人はドイツがブラジルに勝つと思っている」と言う内容を思い浮かべるのは、表象の表象と言われる。メタ表象とも言われるものである。
メタ表象が可能になると、ヒトは他人の心の中を表象できるようになる。つまり、他人にも心があると言うことが理解できるようになる。これができるためには、「心の理論」という脳機能ができてなくてはならない。心の理論をつかさどる脳の座は、脳の前方にある。
ある自閉性スペクトラムの男の子(とはいえ、凄く幼いわけではない)は、「ヒトが殺人しないのは、死刑ないし長く刑務所に入っていないといけないから」と理解していた。
全然、違うだろ!と言いたい。
ヒトが殺人事件を起こさないのは、「死刑になる」などはむしろ枝葉末節なものである。死刑に処されるかどうかは、殺人犯には重要なことかもしれないが。
殺人事件の被害者には、殺される瞬間の恐怖、疼痛など大変な苦しみがある。また、その人には愛する家族や友人がいるかもしれない。たとえ家族がいなかったとしても、その人の今後の人生の楽しみを奪うことは許されることではない。そのような状況を考えると、到底殺人などできないと考えるのが正常な感覚である。(心の理論が欠落しているか、非常に不十分だと、それに考えが及ばない)
生きている価値があるのかないのかをいつも考えているような自閉性スペクトラムの人は、自分の命は極めて軽い。しかし、「心の理論」が不十分なので、他人も自分と同じくらい命は軽いと思っているか、そのようなことを全く考えていないのである。かくして、事件は起こるときは起こる。やはり「自分が死刑になる」だけの抑止力はあまりにも弱い。実際、その目的だけで、線路に他人を突き落した事件が何度か起こっている。
そういえば前回大会で、ウルグアイのスアレスがゴール線上のボールを手ではじき、その結果、スアレスは一発退場、ガーナにPKが与えられたが、エースのギャンが外してしまい、その結果、PK戦でウルグアイが勝利すると言う事件があった。(過去ログ参照)。
あの事件後、結構インターネット上で議論が行われていたが、PKを与えられたギャンが外したのが悪いと言う意見には絶句。あのようなプレーで、スアレスを肯定ないし称賛するのは、上に挙げたように、あまりにも「心の理論」が欠落しているか、弱いと思う。
スアレスの事件は、上の話と本質的に同じようなもので、日本人の中にあのプレーを称賛する人がいること自体、近い将来、日本風のおもてなしなどできなくなるのではないかと危惧する。
あのスアレスのありえないプレーやギャンのPKは、ガーナの全国民が観ていたのである。
今回の7-1の勝利の後、ドイツ国民には、あのブラジル国民の悲しみが良くわかっていたので、素直に喜びを爆発できなかったのであろう。
決勝のドイツvsアルゼンチン戦は、アルゼンチンが上手く戦い好試合になった。アルゼンチンも十分に勝利できるチャンスがあった。あのような試合で延長の末1-0でのドイツの勝利は、大いに喜べたに違いない。
今大会のドイツは素晴らしく、優勝は妥当な結果だったと思う。南米大会のジンクスを破ったことも意義が大きい。
参考
スアレスのハンド(ウルグアイvsガーナ)(コメント欄も参照。どのような人たちが批判しているのかよくわかる。)
希死念慮とモリッシー
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ワールドカップ2014、ドイツ優勝
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