Nickelback - Savin' Me
上のミュージックビデオは、NickelbackによるSavin' Meと言う楽曲である。このビデオストーリーはとても興味深いので注意してみてほしい。
Nickelbackは、1995年に結成されたカナダのオルタナティブロックバンドである。日本ではあまり知られていないが、カナダを代表するロックバンドで、カナダだけでなくアメリカのチャートでも1位を獲得したこともある。
なお、バンド名のニッケルバックのニッケルとは小銭を意味し、メンバーのマイクがスターバックスコーヒーでアルバイトの際に、しばしば、「Here's your nickel back.(5セントのお返しです)」と言っていたことから来る。
上のビデオでは、ストリートを携帯電話をかけながら歩いていた青年が、バスに轢かれるところを偶然、オッチャンに助けられた場面から始まる。しかし、ビデオ全体を見ると、それは必然であり、おそらく、オッチャンが誰かまもなく死ぬ人を探していたことがわかる。
不思議なことに、助けられた直後から、その青年は見えないはずのものが見え始める。「見えないはずのもの」とは、ヒトのちょうど頭にあたりに漂う時間を表す数字であった。
青年は他人の頭の上を手で払おうとしたりと奇妙なことをするため、周囲の者から気味悪がられる。おそらく最初は彼には、その数字の意味がよくわからなかったのではないかと思われる。道行く人の全員、妊婦の中の胎児にまで数字が見えるのである。そして、数字の真意が氷解する場面に遭遇する。救急車で搬送される寿命が10秒に迫った老女は、まさに象徴していると言えた。
最後の場面、若い女性を青年は救い、その奇妙な現象は消失する。しかし、その異常体験(超常体験)は、その救われた女性に引き継がれるのである。
たいていの人は自分の死がいつなのかわからないから、安心して生活できる。もし、生まれた瞬間、既に自らの寿命がわかっていたら、人々の人生はどんな風に変わるのだろうか?と思ったりする。
逆に不思議なことだが、いつ死ぬかわからない環境、例えば戦時中などでは一部の神経症はかなり軽快することが知られている。いつだったか、渡航を自粛するように政府が呼びかけていたのに、3名の若者が戦時中のイラクで誘拐される事件が起こった。あのような「自分探し」に行く人々は、おそらく意識はしていないだろうが、一部にそういう動機もあるように思われる。(参考)
僕が学生の頃、近所の喫茶店で若い青年が店主にこんな風に言っていた。
癌でもう数日しか命がなかったとしたら、通りで殺人とか大事件を起こしても同じ・・
その時、店主がどのように返答したのかもう覚えていない。しかし、その青年の話だが、全然同じではないよね。本人の名誉や家族のその後の人生が全く異なったものになる。(参考の後半)
少なくとも日本では、癌でもう僅かな寿命しかないことが分かった人が、全国を震撼させるような犯罪を起こしたなんて聴いたことがない。あるかもしれないが、非常に稀と言う印象である。
一般に、寿命が明白になった人は、残った人生をより有意義に生きようとする人の方が圧倒的に多い。過去ログで自分が学生時代に学んだある内科教授が、「癌で死ぬのは悪くない」と言った話をアップしている。以下過去ログから再掲。
普通、癌で亡くなるのはそう悪くないと言う人もいる。それは、癌が判明してすぐに死ぬことはほとんどなく、死ぬまでに数ヶ月から時に1年以上猶予があるからだ。本人もその間にやり残したことがある程度はできるし、死んだ後の家族のことも考えることができる。家族の方も同様で、心の準備ができるので、実際に亡くなるまでにそのショックも時間とともに和らぐ面がある。それに対し、脳卒中や交通事故などで亡くなった場合は、そういう心の準備ができない。これは本人も家族も同様である。
しかし、僕は癌で死ぬのは嫌だな。事故も嫌だけど。なぜなら、癌はとてつもなく痛いことがあるから。
凶悪犯罪は、自分がいつ死ぬか分からない人か、自らの死を決めた人によって引き起こされることが圧倒的に多い。
たぶん、その引き起こした人自身、その後の展開が全然読めていないからもあるように思われる。
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自分や他人の寿命がわかったとしたら・・
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