Suedehead(Morrissey)
スミスはジョニー・マーの脱退が大きな要因で、1987年に解散している。活動期間は約5年と短いものの、その後の音楽シーンに大きな影響を残したバンドであった。今でも有望な新人バンドを評して、「スミス以来の○○」というフレーズが出てくるが、日本人の大半はスミスの名すら知らない。
解散後、ジョニー・マーは明るい未来が開けているように見える一方、モリッシーの将来は絶望的にも思われた。その理由は、ジョニー・マーは周囲が認めた実力が確かなギタリストだったが、モリッシーは、バンド結成前は、無職の、あるいは売れないライターにすぎなかったからである。また社交性ゼロで、友人など1人もいない状況だったこともある。
元々、スミスの解散に至った理由も、モリッシーの数々の失言のマスコミへの後始末をジョニー・マーがいつもさせられていたことや、モリッシーのシングルやアルバムに使う肖像などへの強いこだわりなどにマーが嫌気がさしていたこともある。実際、肖像権の問題が生じ、ジャケット写真を差し替えたこともあった。
ところがモリッシーは凡人とは異なり、スミス解散後、思わぬ行動を取る。それは、4枚目のアルバム、Strangeways, Here We Comeのプロデューサーだったスティーヴン・ストリートに、新しいアルバムを作りたいと手紙を書いたのである。
スティーヴン・ストリートと聴いて、「あっ、あの人か」と気づく人は洋楽通だと思う。彼はブラーやニュー・オーダー、スウェード、カイザー・チーフスのプロデューサーとしても知られている。(特にブラーの名盤)
スティーヴン・ストリートはモリッシーのニューアルバム制作にあたり、ヴィニ・ライリーというギタリストを連れてきた。ヴィニ・ライリーは気難しい男だが、ストリートは実力を認めていたのである。また、ヴィニ・ライリーはモリッシーと同じアイリッシュ系だったことも良かったようである。(ヴィニ・ライリーも重い神経症だったといわれている)
しかし、重大な問題があった。ジョニー・マーと比べ、ヴィニ・ライリーはヒット曲にふさわしいメロディーを作る能力が欠けていた。厳密には、ヴィニ・ライリーは少なくともそのようなセンスはないと思っていた。またスティーヴン・ストリートは音楽プロデューサーではあるものの、作曲家ではなかったのである。
ところが、幸運なことに、スティーヴン・ストリートは予想よりずっと作曲能力が高かったのである。
スミス時代、ジョニー・マーがまず曲を作り、それにモリッシーが詩をつけるという順だったようである。従って、マーは自分の楽曲に詩をつけてくれる人物を探していたことになる。それがモリッシーであった。実は、REMもほとんどの楽曲は先に曲ができており、その後にマイケル・スタイプが詩を付けるという順序だったらしい。(例外はあるが)
一番上に挙げたSuedeheadはモリッシーがソロになって初めてのシングル曲であるが、Viva Hateにも収録されている。このアルバムはストリートによりプロデュースされたモリッシー初のソロアルバムだが、ファンやマスコミには極めて好意的に受け入れられたようである。(Viva Hate 全英1位)
また、スティーヴン・ストリートには良質なシングル曲を書く能力が備わっていることを証明したものでもある。
なお、Suedeheadというタイトルは、リチャード・アレンの暴力的ティーン小説から拝借されたものであるが、その内容と楽曲の詩とは関係がない。Suedeheadのメロディはスティーヴン・ストリートに負うところが大きく、ギターのサビの部分でさえ彼のアイデアであるといわれている。
Everyday Is Like Sunday(Morrissey)
ライブでも演奏されるEveryday Is Like SundayもViva Hateに収録されている。この楽曲は、スティーブン・ストリートが録音のためにスタジオに入るまで、どのような詩が付けられているか知らなかったという。
モリッシーはたった2~3回のテイクでパーフェクトなものが完成するらしい。特に初回に最高なものが多いという。
確かに凡人ではない。
彼の今までの作品を見ていると、誰が作曲してもあまり変わらないように見えるのが不思議だ。
Late Night, Maudlin Street(Morrissey)この楽曲は過去ログでも紹介している。これもViva Hateに収録。この楽曲はスティーブン・ストリートがストラクチャーを考えているが、ほとんどのコードはヴィニ・ライリーによるものである。ヴィニ・ライリーは実際、Viva Hateでは、この楽曲が最も気に入っていると言っている。
参考
マーガレット・サッチャーとモリッシー
希死念慮とモリッシー
↧
Suedehead(Morrissey)
↧