今回はいつか書く予定の記事の前置きである。長くなるのでこの部分だけ独立させた。
高校は義務教育ではないので、欠課ないし休みが多くなると単位が取れず留年になる。
自分の高校は全員進学していたが、都市部の私立の進学校のようなレベルではなかった。
当時、県立高校は校区制で行くべき普通科の公立高校は決まっていた。校区外は5%しか入学できないため、市外まで行く価値があるとすれば公立の理数科くらいで、どの程度のレベル差があるかも不明だった。だいたい市外の高校を受験し、高校浪人でもなろうものなら、大変な事態と言えた。
実際、自分の学年で高校浪人になった生徒は1名もいなかったし、わざわざ理数科を受験した人もいない。ただ、駅に近い生徒は市外に行くのが容易なので普通科を受験した人は1~2名いる。その程度である。
私立高校は公立のレベルと同じくらいの高校はわずかにあったが、おおむね滑り止めレベルであった。公立高校が落ちるかもしれない人が併願するのである。自分の中学校で落ちた子は2名だけだったが、なんとその2名に親友が含まれていた。彼は補欠で救われ実質落ちた人は1名だけだった。その親友は結局国立大学に現役で合格し卒後県庁に入った。
この話は生徒の励みになるので、後年、進路指導の先生が生徒に彼の話をよく話していたらしい。
僕は高校で休んだ日数は、1年時で7日以内だったと思う。しかし2年の時は、45日程度は休んだかもしれない。実質約3か月入院しいたものの、すっぽりと夏休みが入ってしまったため、留年を免れた。あの時、留年になっていたら、たぶん人生は変わったはずだ。
3年生になると体調はずいぶん回復していたものの、通学がルーズになり、たぶん20日くらい休んだ。このような生徒は内申書が良いわけはなく、普通に受験で合格しないと話にならない。これはたいていの生徒はそうなので、とりわけ不利になるものではないが、多少考慮する大学もあった。(入学試験の点数から3点引くなど)
高校は最高評定(うちの学校では5)の大安売り状態で、クラスにオール5が2名もいた。これはおそらく、生徒の推薦入学を有利にするためである。
自分が通っていた当時の小中学校時代、不登校はほぼない状況だったが、いじめはあった。ある生徒など、
あの子は、いじめを受けるためのみで通っているみたいだ。
と思える生徒もいたほどである。当時の教師はいじめをする生徒はほぼ決まっていたが、特に注意するようなこともなかった。
いじめは高校になると激減する。高校1年時に少しあったかどうかくらいである。現代社会のいじめは当時から著しく増えているわけではなく、いじめの受け手の反応の大きさの変化(言い換えれば敏感さの変化)だと思う。
都市部の父兄が子供を多少学費がかかっても公立より私立の小中学校に行かせたいと思うのは、極端ないじめをする子供がかなり減るからである。私立の小中学校ではいじめが皆無というわけではなく、陰湿ないじめはあるらしい。
さて、今日の記事の主題は、現在、公立ないし私立高校で特に進学校の場合、保健室登校になる子も稀ではないこともあり、かなり配慮されていること。
僕たちの時代は学校に行っていても、欠課は休みと同じであり多いと留年になっていた。ところが、現在では公私立とも進学校はかなり配慮し、卒業だけはさせているようだ(もちろん高校による)。これは義務教育ではないので、大変な配慮だと思う。
そうもしないと退学が多くなりすぎて収拾がつかないのかもしれない。
全く登校できない場合、留年が重なり結局は退学せざるを得ないため、進学するなら退学後やむなく大検を受ける。
したがって、精神科医は重い不登校の高校生(進学校の場合)は、なんとか保健室登校できるレベルを目指せばよいといったところである。
卒業できるかどうかは大変な差である。なんとか卒業できたことを、治療した子の親御さんと何度喜んだことか。
高校では不登校だったのに、大学では普通に登校できる子が稀ならずいる。特に文系はそうである。これは校則というか、日々の縛りが少ないことも関係しているのではないかと思う。
しかし、レベルの低い私立高校は素行不良や自主退学が多いため、そういう配慮がなく、そのまま退学になることが多い。
これは、かつての高校と同じ処遇だと思う。どのレベルの高校かで処遇が変わるのである。
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進学校の保健室登校について
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