アメブロにバグがあり、正常に記事がアップできない。
業務連絡
コントミン全剤型の出荷停止
コントミンはかなり古い定型抗精神病薬である。コントミンは鎮静作用が強いので、不眠や不穏の患者さんで糖尿病などがあり、クエチアピンが処方できない人に今でも処方されている。従ってコントミンはあった方が良い抗精神病薬だと思う。
コントミンはこれまでも溶出試験で基準を満たさないことが何度かあり、その度にロットを回収するなどの処置が行われていた。溶出試験は僕は詳しくはないが、基準の時間内に溶けないなどの条件を満たさない薬である。以下は田辺三菱製薬のアナウンスである。
おそらく田辺三菱製薬はこの際に全ての剤型を出荷停止し、溶出試験を満たすようにしたいと思われる。これはかなり費用がかかることで、コントミンのように薬価がタダに等しい薬は売れば売るほど赤字になるので、早急に対応されるかわからないところがある。
実際、レボトミンのPTP製剤が溶出試験の問題でずっと以前に出荷停止になり、今もPTP製剤は出荷停止のままである。このような事態になると、月間でレボトミンが30錠しか処方されない病院も1000錠のバラを買わないといけなくなる。これはレボトミンのような薬価が安い薬は、費用をかけて溶出試験に合格するようにする価値がないとみなされているからだと思われる。
上の在庫の状況の表では、しばらくは在庫があるが、やがては完全に購入できなくなる。コントミンがレボトミンと異なるのは、全ての剤型が販売中止になるので、コントミンが購入できなくなることである。
コントミンは先発品でジェネリックもないので、同じ構造式の薬は一切、購入できなくなる。
これは微妙に影響が大きいのではと思う。現在良く処方されているクエチアピンは糖尿病に禁忌とされているからである。
コントミンのジェネリックの話
コントミン全剤型の出荷停止の記事で、読者の一応薬剤師さんから以下のようなコメントを頂いている。この話は非常に重要なので今回記事にしたい。
kyupin先生への連絡的なものなので公開しなくてもよいコメントです。
ジェネリックでクロルプロマジン塩酸塩の錠剤25mg(鶴原製薬)は出ているようですが、これは代用できないのでしょうか。コントミンの溶出にバラツキがあるということなのでジェネリックも溶出は心配ですが。
一応薬剤師2023-03-24 00:41:20
コントミンはかなり古い定型抗精神病薬なので、全剤型(12.5㎎から100㎎剤型に至るまで)の薬価は9.4円で統一されている。従って25㎎4錠を眠剤として就前に処方するのなら100㎎錠1錠を処方した方が安あがりになる。
また驚くことに、ジェネリックの鶴原製薬のクロルプロマジン25㎎錠も同じ9.4円なのである。つまり普通に考えるとコントミンのジェネリックを処方する理由はほとんどない。全くないと書いていないのは、納入価格が多少は鶴原薬品の方が安いと想定されるからである。
なお、コントミンのように先発品なのにジェネリックのような扱いの薬品は準先発品と呼ばれる。これは調剤薬局の診療報酬に関係している。
鶴原薬品は25㎎錠しか発売していないのでとても扱いづらい。院内で25㎎だけ鶴原薬品で50㎎以上の剤型がコントミンなんてちょっと変である。
考え方によると、剤型で名前を変えているとミスが起こりにくいと言うのはある。例えばうちの病院では注射剤のセルシンは5㎎アンプル、10㎎はホリゾンを採用しておりミスが生じにくいようにしている。
コントミンは今は多く処方される薬ではないので、剤型によりメーカーを変えるメリットがない。そもそも、同じ薬価のジェネリックのクロルプロマジンを納入する病院は稀なので、かなり売り上げも小さいと思われる。
今回のような事態、コントミンが出荷停止になると、鶴原薬品のクロルプロマジン25㎎はロックがかかるので、容易に購入などできない。つまり製薬会社も小さな売り上げで細々販売している薬の受注を受けることなど無理なのである。
例えるなら、「一見さんお断り」みたいな状況になる。それまで鶴原薬品のクロルプロマジン25㎎を納入していた病院は引き続き購入できるが、急にやってきた病院は購入は難しいのであった。
後で思ったのだが、アモキサンと異なり、コントミンは田辺三菱と言う日本を代表する製薬会社なので、外資の製薬会社より利益を度外視して再発売される可能性はまだ高いような気がしている。
オランザピン1.25mg錠が発売されていた話
オランザピンは統合失調症や躁うつ病の躁とうつだけでなく今は抗悪性腫瘍薬の消化器症状に副作用にも処方できる万能タイプの抗精神病薬である。以下は先発品のジプレキサの添付文書である。
精神病状態を抑えるために、1.25mgで良いことはまずない。急性期は概ね10から20mgは必要で、回復している人でも5mg程度は維持用量として処方されることが多い。
躁うつ病のうつを改善するためには2.5mgで良い人も比較的いるといった印象である。たまに忍容性の低い人が1.25mg服用しているといったところである。
ところで、ジェネリック医薬品は先発品ほど広く適応が認められていないことがある。以下は日医工のオランザピンの添付文書である。これを見ると、ジプレキサとオランザピンの適応の差はない。
どのような時にオランザピン1.25mg錠が必要かと言うと、高齢者に対して処方する時である。僕はリエゾンで高齢者にオランザピンを処方する際、摂食不良や器質性昏迷に対して0.625mgから処方することが多い。従ってやや不正確になるがオランザピンを4分割して処方していた。もちろん分割するのは院内薬局の薬剤師さんである。共和薬品(アメルと書かれている)に1.25㎎錠があることを、院外薬局の薬剤師さんから聴いたのであった。
この高齢者への0.625mgが嘘みたいに効き、それだけで食思や精神症状が改善したことも多く経験している。
不思議なのは既に身体科のドクターが5mg処方していて、しかも無効だったのに、いったん中止し、数日から数週間の間隔をあけて0.625mg再処方した際に、急回復したことも数度ならずあったことである。
リエゾンではたいてい病棟に薬剤師がおり、ある女性の薬剤師さんが僕に質問した。「(うまくいかなかったのは)オランザピンの量が多すぎたからでしょうか?」
この理由は単純なものではない。少なくとも、多すぎたから失敗したわけではなさそうである。そう思う理由は、身体科の医師は少量から漸増していたからである。しかし、効かないから増量しまったのは確かであった。
その理由はオカルトだが、精神科医がタイミングを見て処方するのと、身体科の医師がルーズに処方する差としか言いようがない。
過去ログでは、なぜか向精神薬は精神科医が処方するのとそれ以外の医師が処方するのでは効果や臨床経過が異なると記載している。
向精神薬は純粋にデジタルな薬理作用が発現しているわけではなく、一定程度のアナログの部分が存在している。
精神科医が身体科の医師より、少量で効くことも同じ理由である。(言い換えると「手」が違う)
分包するのは薬局の薬剤師なのに、全く不思議な話だと思う。
1.25㎎があると便利なのは、0.625㎎が2分割で済むことと、2.5㎎の4分の3錠を処方することが易しくなったことだと思う。4分割はやや不正確になるが、この程度の少量だと、その不正確さの影響も多少は大きくなる。
このように考えていくと、有効でない多剤併用は、精神科医として未だ成立していないか、修業が足りていないと言われても仕方がないと思う。
抗NMDA受容体脳炎の話
今日の記事はずっと以前の記憶に基づく臨床経験の話である。
今日、朝から2020年にフランスとポーランドで共同制作された「Kubrick by Kubrick」と言うドキュメンタリー映画をテレビで観た(録画)。その時、急に興味が湧きスタンリー・キューブリンクのWikipediaを読んだ際に思い出したものである。このドキュメンタリー映画はNHKのBS1で放映され観た人もいるかもしれない。
今回の記事のインスパイアされたWikipediaの部分は、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」と言う作品のWikipediaの中にある。
エクソシスト2
キューブリックの元には同時に『エクソシスト2』の制作の依頼も来ていたが、最終的にこちらの制作を選んだ。ただし『エクソシスト』第一作で悪魔に憑かれる少女リーガン(リンダ・ブレア)が統合失調症を疑われ夥しい検査を受けるのと同様、霊魂、超能力「シャイニング」など科学で説明の付かない事象を説明の付く事象と曖昧に描かれており、関与しなかったにせよ影響は少なくなかったと思われる。
キューブリックはエクソシスト2を制作するかもしれなかったのである。エクソシストは封切当時、僕は映画館で診たが、精神疾患と言うより悪魔付きとキリスト教の視点で描かれているように見えた。神父さんのおかげで寛解する場面で映画は終わっている。
このリーガンの精神疾患は、今日的には抗NMDA受容体脳炎であったであろうと言われている(本当か?)
なお、スタンリー・キューブリックのシャイニングは過去ログで触れたことがある。
抗NMDA受容体脳炎と言う疾患が認知されたのはこのブログが始まった頃で2007年当時である。従ってそれ以前にはそれらしき精神疾患は別名で報告されてはいたが、精神科業界で知られていなかった。
抗NMDA受容体脳炎は統合失調症類似の精神症状を呈するため、最初に精神科病院に受診するケースが一定の割合でいそうなのは重要である。
当時、僕は新患の男性患者さんの精神症状が悪いため入院治療をすることにした。今となっては時期も不明だが、多分、2010年頃だったと思う。今、紹介状を検索したがすぐに見つからなかった。
僕はしばらく病棟で診ていて、確実に統合失調症ではないのに、臨床症状が非常に統合失調症に似ていることに驚いた。彼には幻聴は普通に生じていたのである。(内容など詳細は覚えていない)
最も決定的な事件は、廊下に彼がひざまずき、奥さんを見上げて泣きながら「(自分では)どうしようもならない」と語っている場面である。
この光景は、統合失調症ではありえないと思った。
彼の精神症状は向精神薬が効かず、むしろ無効と言うべきで、次第に悪化するばかりであった。副作用はそれほど出ているように見えなかったので、薬で紛れているわけでもなさそうなのである。僕は自分の病院で治療を続けることに限界を感じたため、市内の精神科を持つ中核総合病院に紹介することにした。
紹介の際の病名は、生活歴や仕事の内容から、工業用溶剤などによる「未知の中毒精神病」と思ったが、その診断はあんまりなので覚醒剤中毒後遺症の疑いとしている。(本人が使っていても言わないことがあるため)。とはいえ、覚醒剤中毒としても腑に落ちないことは多々ある。
当時、抗NMDA受容体脳炎については、僕は名前しか知らなかった。いかなる病態なのか知らなかったのである。
彼の経過だが、中核病院で抗NMDA受容体脳炎と正確に診断され、血漿交換などの治療により見る見るうちに清明になっていったと言う。それは奥さんが病院にまだ置いていた身の回りの荷物(衣類など)を取りに来られて、立ち話した際に聴くことができたが、短い期間にとても良くなっていることに喜んでおられた。
診断の決め手は、抗精神病薬が利かなかったことと、低体温だったという(そういう話。他のこともあったと思うが、治療した医師と直接話したわけではないので、詳細までは不明である)
普通、単科精神科病院の患者さんを身体新患の治療のために、中核病院に搬送した場合、改善したらその患者さんを送り返し再入院させるのが普通である。しかし彼の場合、帰って来なかったので、そのまま中核病院を軽快退院していたと思われる(当時、退院したことは精神科部長に確認)。戻ってこない場合、紹介状がないので、入院以降の治療や臨床経過が全く分からないことが多い。
そのようなことから、どの程度の軽快なのか今も知らないのである。抗NMDA受容体脳炎はエクソシストのリーガンのようにほぼ完全に治癒することもあるが、後遺症が残ることもある。
以下は、東京都立神経病院のサイトにある抗NMDA受容体脳炎の疾患説明である。このくらい平易な記載なら読者の方にも参考になると思う。
抗NMDA受容体脳炎は卵巣の良性腫瘍と関係が深いことからエチオロジー的には女性が多い。しかし僕の患者さんは男性であった。
彼の場合、入院中、病状が次第に悪化していったので、誤診するのなにも大抵の精神科医は速やかに中核病院の救急外来に搬送したと思うよ。
過去ログには患者さんは診断できる医師のところに行くものだ、という記載をしている。これは正確な診断はできていないが、統合失調症とか頓珍漢な診断で搬送しなかったのは良かった。そもそも間違いなく統合失調症であれば、その日に搬送などしなかったと思う。
参考
兄妹と思われるチャトラ
フルニトラゼパム出荷停止の話
フルニトラゼパムの錠剤にビニール片などの異物が混入し現在出荷停止になっている。これは原材料を扱う辰巳化学に起因するため、どのジェネリックメーカーなら大丈夫と言うのがない。
しかし先発品のサイレースは購入できるので、全く同じものがなくなるわけではないようである。
今回驚いたのは、ロヒプノールが発売中止になっていたこと。
エーザイがロシュのロヒプノールを吸収し、それまでエーザイが発売していたサイレースに一本化したようなのである。
ロヒプノールとサイレースのように併売されている先発品の一方が発売されなくなることはたまにある。例えばセパゾンとエナデールのようなケースである。これはエナデールがなくなりセパゾンが残った。またコントミンとウィンタミンもそうである。これはウインタミンが発売中止になりコントミンが継続して発売されていた(現在出荷停止)。
よく考えると、ロヒプノールは海外では麻薬扱いとなっている国がそこそこあるので、ロシュも可能なら中止したいと思っていたのかもしれない。麻薬扱いについては以下の記事を参照。ロヒプノールはハワイに持って行ってはいけない睡眠薬である。
新婚旅行で海外に行く際、ロヒプノール、フルニトラゼパムのように海外では日本とは全然違う扱いになっていることがあるので、一応、調べた方が良い。たまに海外に出かける際にアメブロメールで質問する人がいるが、僕も全ての薬までは知らない。
ロヒプノール、フルニトラゼパムは今なお、日本国内でそこそこ売れている睡眠薬である。この理由は強力なベンゾジアゼピンであることが大きいと思う。日本では犯罪で使われることはかなり稀な印象だが、現在、青い色を付けてあるのは、飲み物に溶かした時に分かりやすいようにするためである。昔はそうではなかった。
今回の異物混入トラブルだが、辰巳化学が問題だったとは言え、早期に復旧する見込みらしい。そこがアモキサンのケースとはかなり異なる。フルニトラゼパムはよく使われる睡眠薬なのでそこそこ病院にストックされているし、サイレースを購入し対処できることもあり、枯渇する前に供給が再開されると思う。
なお、コントミンの供給だが、田辺三菱製薬の向精神薬でもあるためか、可能な限り早期に復旧できるように頑張るという話である。
その理由だが、コントミンは今でも1万錠単位で使っている病院もあるので、必要性が大きいと言う判断である。正直、これには驚愕した。
同じ先発品でも、アモキサンはファイザー、コントミンは田辺三菱、この差は大きいと言ったところかもしれない。
ファイザーは新型コロナのワクチンで天文学的な利益が出たはずで、アモキサンくらい赤字覚悟で再発売しても良さそうに思うんだけどね。
大江天主堂と五足の靴
天草、下田温泉に行った際、この地域を観光した。大江天主堂は全く予定をしていなくて、突然行った感じである。上は大江天主堂の遠景。
すぐ近くに行って見た。天主堂の中は入れるが撮影禁止なので写真はない。
ガルニエ神父さんの名前がある。彼はフランス人で32歳で天草の地に来て82歳で亡くなるまでこの地で布教活動を行っている。
戦前、このガルニエ神父に会いに行った文学青年たちがいる。
上のWikipediaには彼らの当時の旅程が記載されている。なんと1907年の夏のことである。交通事情が悪い時代に凄いことだと思った。
確かロザリオ館だったと思うが、ダルニエ神父の手紙が残っており、フランスにいる姪?への手紙でチョコレートなどを送って貰ったことなどが記載されていた。
海岸近くに文学青年たちが辿った道の紹介と碑文があった。
海。この日は波が高く荒れていた。
この日、大江天主堂を観光した後、世界遺産、崎津天主堂まで行っている。崎津教会については写真もあり別の機会に。
これは下田温泉の旅館で食べたお刺身。これで夫婦2名分で食べきれない量だった。
非定型精神病のリーマスの血中濃度について
非定型精神病は典型的には更年期以降に診られる精神疾患で女性が多いが、患者数はかなり少ない。
過去ログにも記載しているが、「私は非定型精神病の患者さんは診たことがありません」と言う経験豊かな精神科医は、たぶん非定型精神病を双極性障害かパーキンソン病か統合失調症と診断している(と思う)。非定型精神病とは診断していないだけである。
経験的には非定型精神病はリーマスで改善することが多いので、確率の高い治療薬の視点で双極性障害と診断する人の診断感覚は悪くない。
個人的にはコアな非定型精神病の患者さんでリーマスを使わないで良くなった患者さんはおそらく数名しかいない。
転帰的に言えば、ECT一発でほぼ治癒した人が数名おり、他は意外な薬がフィットしたと言ったところだ。抗精神病薬が最も良かった人は1名もいないので、やはり非定型精神病は統合失調症っぽくないと思う。
リーマスが合わないケースも辛抱強く繰り返し試みることが重要で、何かの拍子に忍容性が変化し、リーマスが良いといった経過になる人もいる。
非定型精神病で幻覚妄想があるような人は時にかなり難治性で、僕の患者さんでは1年どころか3年以上入院した人もいる。難治性になる人は忍容性が低いか、ECTやリーマスが明らかに合わない人である。
1名など、かなり長期(5年くらい)の入院になり、ECTやリーマスも無効で、認知症の人のように病棟のあちこちに放尿するようなありさまで、一時は退院など無理なのでは?と思うほどであった。
しかしこの婦人ですら今はほぼ寛解・退院し、自宅では料理も普通にしている。1人で買い物にも行っているのである。
期待値的に非定型精神病は寛解するケースが多いと思うが、経過はさまざまで、あのように追い込まれるケースもあるのである。
この婦人は、ここに書けないほど酷い多剤併用処方なので紹介できない。抗精神病薬に限れば、セロクエル100㎎とジプレキサ1.25㎎しか処方していない。しかもこれらも実際に必要かどうかわからないと言うお粗末さである。
その婦人は寛解する前にアトモキセチンとビムパットを追加しているので、この2剤のいずれかが良かったような気がするが、それ以外の薬とのコンビネーションだからこそと言うケースもあり得る。臨床感覚として単剤で良くなるような気が全然しない。5年間も入院治療していたのである。
酷い処方のまま続けているのは、精神科医から診る限り、高度に寛解しているからである。処方変更など怖すぎてできない。この「怖すぎて処方変更などできない」という感覚は精神科医でないと理解できないと思う。
もう1人ほぼ4年間入院していた女性患者さんもいる。その女性患者さんは忍容性が低く、たいていの薬が副作用で使えなかった。良さそうに思える治療はECTのみで、この治療でさえ持続的に良いとは言えなかった。リーマスも処方できなかったと言うより、使える範囲では効果がなかった。
彼女の治療ほど、ご主人に申し訳ないと思ったことはあまりない。もしそのご主人が自分だったら、おそらく2年目で見切りをつけ転院させていたに違いない。しかし彼はそんな風ではなかった。彼は医療の専門家ではないので、彼の妻の治療がいかに難しいかわからないであろう。だからこそ、余計にそう思うのである。
当時、ECTの実施スケジュールについて考えていた。一度だけしてもさほど改善はしない。2、3回短いインターバルで実施すればそこそこ良くなる。しかし、ぐずぐずとした状態で20日から2、3ヶ月で次第に幻覚妄想が再燃しまうのであった。従って数ヶ月以内にメンテナンス的にECTを実施することが必要に思われた。しかし、そこで必ずしも実施しなかった。何故ならキリがないからである。
長期的に、このやり方では退院まで行き着けないと思った。理由を聴かれても、その人をずっと診ていたからそう思うと言うしかない。これは長く同じ人を診ている主治医にしかわからない感覚である。
しかし、試行錯誤を続けていたところ、彼女にある変化が起こったのである。ある変化とはリーマスの効果が目視できるようになったことである。彼女は忍容性が低いので高い血中濃度のリーマスは耐えられない。
どのように耐えられないかと言うと、口渇、多飲水となり、夜中にずっとトイレに行くと言う事態になる。あるいはまずくすると悪性症候群や横紋筋融解症に至るのである。基本的に水中毒はこれら2つの向精神薬の副作用の近縁に位置している。
そこで低レベルでリーマスを維持することにした。普通、リーマスは血中濃度が重要で、双極性障害だと高いレベルに維持する必要がある人が少なからずいるが、非定型精神病はそうでもない。これは非定型精神病の人が、更年期以降に発病しており、少なくとも若くはないことと関係している。何とリーマス200mgで寛解状態が維持できたのである。この用量でもリチウム血中濃度は0.3台はあった。これは一般的な治療用量ではないがこの人には十分である。
一時は、退院など無理ではないかと思うほどであったが、今は自宅でご主人と一緒に生活されている。料理もできているらしい。ご主人は到底、家に妻を1人でおいておくなどできないほどだったが、今は仕事に行っても安心できると言う話である。
リーマスは治療域と中毒域が接近しているため、用量調整が難しい。その後、過去に治療した非定型精神病の患者さんを調べてみると、最終的に少ないリーマス用量で大丈夫な人が多いことに気付いた。
非定型精神病は年齢的なものや忍容性の関係から、低レベルのリーマスで治療することがポイントのようであった。
これは非定型精神病全ての人がそうとは言えないかもだが、リーマスが合う人は多分その方が良いと思う。その理由は、非定型精神病は悪性症候群と似た病態だからであろう。これは以下の記事にも記載している。
昔のリエゾンの話
現在の総合病院のリエゾンは、もう20年以上継続している。この診療期間は長さ的にけっこう凄いのではないかと思う。その理由は、他の医師と交代したことが一度もないし、そもそも精神科医でも20年経験がない人も多いと思うからである。
僕が初めてリエゾン的な往診を始めたのは26歳の時であった。昔の制度の研修医2年を終えたばかりである。その時はまだリエゾンの形態として成熟しておらず、1枚の簡単な紹介状だけあり、病棟のカルテを見ながら方針を立てて指示すると言った感じだった。診察の場面で身体科の主治医が立ち会うことなどほとんどなかった。
行く前にその患者さんの精神症状、生活歴、現病歴などが記載されたFAXが送られてこないので、その精神疾患について予習することもできず、毎回ぶっつけ本番である。やはり26歳のヒヨッコ精神科医には荷が重い話であった。
しかし、その総合病院もリエゾンに慣れていないのか、あるいは他の業務で忙しいのか、紹介件数が少なかった。だから、行ってみたら全く仕事がないことも時々あったのである。
当時を思い出すと、次回に行って連続で診た患者さんは少なかったような気がする。なぜそうなったかと言えば、「この患者さんは統合失調症なので精神病院に転院させた方が良い」などと指示すると次回には転院してもういなかったからである。
実は当時、毎週行っていたのか、隔週だったのか、あるいは1か月に1度だったのか記憶が曖昧である。
他、これは過去ログでも触れているが、看護師あるいは看護学生の精神面の変調を診てほしいという要請が少なからずあった。これは厳密にはリエゾンとは言わない。
このような精神疾患に罹患した医療従事者のため、病棟で大変な事態になっていることがあった。このようなケースは、精神科入院患者ではないので、服薬を含め対応と言っても限界がある。
当時、その総合病院に行くときは、ほぼ手ぶらか暇つぶしに精神科雑誌を持って行くくらいであった。診察が早く終わったときはその病院の大きな図書館に行き、持参した精神科雑誌を読んでいた。当直ではないので、リエゾンが終われば帰っても良さそうだが、もしかしたら時間ギリギリに何か仕事があるかもしれないからである。
リエゾンに行く時は、病院車を使わず自分の車で出かけた。その方が運転に慣れているからである。ガソリン代だけマイナスになるが、当時、損得のことはあまり考えなかった。報酬もかなり安かった記憶がある。予防接種や当直より、リエゾンは遥かに面白い業務なのは間違いなく、たぶんタダでも行っていたと思う。
当時、自分の病院のカルテはなく、その総合病院のカルテに直接記載するだけだったので、自院にその患者さんの個人情報がなかった。これは今とはかなり異なる点である。
実際、リエゾンをしていればわかるが、家族がどんな診たてか直接、病院に聴きに来られることも稀ではなく、自院にカルテがないと情報不足で説明ができない。
26歳頃はまだ体調が万全とは程遠く、このようなのんびりした業務も自分に合っていたと思う。
当時、どうしたら良いかわからない難しい症例には遭遇しなかった。それはたぶん偶然だと思うが、きっと運勢が体調に合わせてくれたんだと思う。
年配の双極性障害の女性が膝を痛める理由
女性は骨の発育が思春期にほぼ止まってしまうため、成人して以後、相対的に筋肉・脂肪の重さに比べ骨が弱いバランスになる。従って、双極性障害とは関係なく膝の疾患は男性より女性の方が遥かに多いように見える。
統計をとったことはないが、統合失調症の女性に比べ双極性障害の女性の方が膝の痛みの訴えが多い印象である。
双極性障害の女性は薬物療法により肥満していることが稀ならずあるし、軽躁状態になると無理をして動き回ることでより悪化を来す。真の躁状態に至ればほとんど疼痛など感じず、安静が保てないことでより膝の病状を悪化させる。
双極性障害の薬物療法で肥満に大きく関係しているのはジプレキサ(オランザピン)とセロクエル(クエチアピン)である。この2剤に比べれば、バルプロ酸Naやリーマスの影響はさほど大きくない。
女性の統合失調症の患者さんも肥満している人は膝を痛めておかしくないが、そこまで多く感じないのは、疼痛が統合失調症により感じにくくなっていることが関係しているのかもしれない。過去ログには統合失調症と疼痛の話をアップしている。
上の記事の内容だが、統合失調症の人が疼痛を感じないわけではない。実際、湿布などの希望は結構多いと思うよ。
それでもなお、慢性疼痛で悩んでいる患者さんは、双極性障害、うつ病、広汎性発達障害などの背景疾患が統合失調症以外のことが遥かに多い。
統合失調症に慢性疼痛が合併している人もいなくはないが、彼らは狭義の統合失調症ではなく、広汎性発達障害がこじれて幻聴が生じ操作的に統合失調症と診断されているような人だったりする。
そのようなことから、女性でも統合失調症に比べ双極性障害の方が膝の疼痛に悩んでいる人が多い印象になるのだろう。
ハチワレのぶち
周囲がマスクをしていることでストレスが減少する人
新型コロナ感染症も2023年5月8日から5類に移行する。この結果、日本もやがてマスク着用者が減少していくと思われる。現況、日本では海外に比べかなりマスク着用者が多い印象である。
多くの人がマスク着用している環境はメンタルヘルスにかなり影響する。上の記事はその視点とは異なり、「マスク」着用が感覚過敏の人にはかなりストレスになると言ったものである。
新型コロナが流行し始めて3年以上経つが、以前より働きやすくなったという人が時々いる。しかも精神症状がかなり改善し、入院や酷いパニックで救急搬送されることが皆無になった。そのような人はマスク環境が永遠に続いてほしいと言っているほどである。
これは多分、「周囲の人の表情がよく見えないこと」で、ストレスが減少するためと思われる。
本人もマスクをしている方が楽だし、周囲の人もなるだけマスクをしてほしいといった感じである。そもそもそのような人はコロナ前からいつも職場でマスクをしていたという。マスクの環境だと、自分がマスクをしていることが周囲から浮かないことも大きなメリットになっている。
今後、次第にマスク着用者が減少し、ほとんどの人がマスクをしなくなるかは、国内の感染状況にも関係すると思われる。
もしほとんどの人がマスクをしなくなっても、その患者さんは以前ほどは悪くならないような気がしている。この3年間の安定が大きいのである。この長期に安定していたことが、おそらく精神疾患の規模を小さくしているのであろう。
全てではないが、精神疾患はそんな風になっていると思う。
精神科病院内のヒヤリハットと事故の話
市内の中核病院ではMRIなどの検査の際、生年月日を問うなどで本人確認をしている。初めて僕が経験した時、なるほど良い方法だと思った。
この方法は簡単な割に正しく確認できる確率がかなり高いが、精神科病棟では同じ方法は難しい。
実際、精神科病院では患者さんを人間違いして誤薬などの事故が起こることがある。誤薬とは、Aの患者さんの薬をBの患者さんに与薬してしまうなどである。
慢性期病棟で患者さんが与薬の際、「この薬はいつもと違う」などと言ってくれれば良いが、そう言ってくれる人はまずいない。本人確認が難しいことに加え、このような状況もあるので誤薬は身体科の病院より起こりやすいと言える。精神科病棟で誤薬が起こりやすい状況を挙げてみる。
〇同姓の患者さんがいる時。
〇新しく入職した看護師が多い時。
〇入退院が多く患者の入れ替わりが多い時。
〇このタイプのミスが多い看護師がいる時。
特別なケースとして、荒廃した患者さんが他人の薬を勝手に持っていって飲んでしまったと言う事故もある。
稀に総合病院で患者さんを間違い、全く他人を手術してしまったとか、片方の肺を切除するのに逆の健康な方を切除してしまったなどの大きな事故が報道されたりする。
精神科病棟の場合、皆、処方が似ていることもあり、誤薬そのもので大変な事態になった経験はない。しかし何故か薬の少ない人に、多い人の薬を誤薬しがちである。
医療業界では、精神科に限らず、このタイプの事故や事故になりかけた事例をヒヤリハット報告として文書で残している。実際に誤薬してしまった事例は事故報告、既遂にならない未遂はヒヤリハット報告になる。
ヒヤリハットを今後に生かす手法は、軽微な事故ないし事故が起こりかけた事例の積み重ねにより大きな事故が起こるという確率的な考え方から来ている。これらは、「1件の重大事故の背後には29件の軽微な事故があり、さらにその背後には300件の異常が存在する」と言われる。(ハインリッヒの法則)。
一般企業でも、重要書類やUSBの紛失などの事故も、うっかり重要書類のカバンを持って飲み会に行ったとか、偶然、USBをスーツのポケットに入れたままにして外出したなどの軽微なミスの頂点に位置している。
精神科の場合、事故報告は、誤薬の他、転倒事故(骨折)、誤嚥(窒息しそうになる)、離院などが挙げられる。転倒事故の場合、誰が悪いと言うものでもないことも多いが、結果が悪いので事故である。飲み込みが悪いのにうっかり肉団子の料理を給食に出したが事故は起こらなかったなど事例はヒヤリハット報告になる。
ごく稀に、朝起きてこないと思ったら、ベッドで亡くなっていたと言うものがある。これは入院患者さんに高齢者が多くなっていることもあるが、まだ若い人、例えば30~40歳代くらいでこのようなことが起こることがある。なお、突然死は健康上、何も問題がないと思われていた大学生やスポーツ選手にも稀に起こりうることである。
このような突然死は心疾患が多いと言われているが、既に亡くなっている人を救急搬送することはできないので、たいてい警察に不審死として届ける流れになる。
すると、なんと8人くらい警察官が来院する。精神科病院でのこのタイプの死亡(精神疾患のみで他に身体疾患がほぼない人の突然死)は、他殺もあり得ないわけではないので、正しく判定するために警察官に検死を依頼するのである。死亡原因の解明に、脳のCTを撮るとわりあい原因がわかると言われている。実際、もう10年以上前だが、50歳代の女性の突然死の際、脳のCTの結果、クモ膜下出血であっただろうと言われていた。
実は、常にこのような手順を踏んでいたが、新型コロナが流行り始めて、このタイプの突然死があった時、多くの警察官に病棟に入って貰うことに深い懸念があった。なぜなら、家族すら病棟に入れず、外出、外泊も禁止にしているのである。それなのに業務上、感染機会の多い警察官を病棟に入れることは相当な恐怖である。
そもそも警察署に依頼された留置者の新患は、常に院外のプレハブの診察室で行っていた。それは他の外来さんに比べ、同伴する警察官も含め感染率が高いと思われるからである。その際に、留置者や警察官はマスクだけだが、こちらは重装備、宇宙服のごとき服装で臨む。
ところが、この3年間、そのような突然死の事例は1例もなかったのである。これは偶然だと思うが、精神科病院でも、そのタイプの突然死は滅多にないことがわかる。
外来部門では処方をうっかり書き間違うなどがある。特に自分の患者ではない人を診た際、いくつか薬を変えてくれなどの希望があると、うっかり間違うことがある。自分の患者ではないとこのようなミスも起こりやすいので、できるだけ主治医の外来担当日に行くべきだと思う。
参考
Ibrahim Maalouf
今日はIbrahim Maaloufと言う天才トランペット奏者を紹介したい。この綴りは見慣れないが、日本語ではイブラヒム・マーロフと書かれていることが多い。
Ibrahim Maaloufはレバノンで出生。子供の頃フランスに移住しフランスとレバノンの2重国籍を持つ。父ナシム・マーロフはトランペット奏者、母ナダ・マーロフはピアニストと言う恵まれた音楽環境であった。まだ小さい頃から、多くの賞を受賞している。
彼のトランペットはピストンが3つではなく4つあり極めて特殊なものである(演奏を仔細に観ているとすぐに気付く)。父が発明した他にはない唯一無二のトランペットである。そのためなのかは詳しくはないが、4分音が出せると言う。ピアノで言えば黒と白の鍵盤の間の音である。
西洋音楽で4分音が出せる楽器はあまりない。ピアノはもちろん出せない。弦楽器に稀にあると言ったところである。日本の楽器では4分音が出せる楽器はあると言う。
彼の音楽のジャンルはジャズであるが、クラッシック、ロックに加えヒップホップも取り入れており、万人に受け入れられる音楽性だと思う。
彼の作曲能力は天才的と言って良く、どれとは言わず優れた楽曲が多い。彼の楽曲には傷ついた人の心をゆさぶるエネルギーがある。
上はイスタンブールのライブからだが、Beirutと言う楽曲から始まるように設定している。Beirutとはレバノンの首都、ベイルートのことである。
上の楽曲は、フランスのライブの最初の楽曲、True Sorry。このような凄いミュージシャンが存在していることに驚く。
彼のCDはアマゾンでもやや手に入りにくい。新品は特にそうである。中古でどうにか手に入るくらいである。LPレコードなどを希望すると一層手に入れるのは難しい。
0:52 True Sorry
6:37 Nomade Slang
19:02 Les Conseils d'une Chenille ft. Oxmo Puccino
29:01 Essentielles
36:52 Anywhere On This Road ft. Yale Naim and David Donatien
43:19 Red And Black Light
51:59 Will Soon Be A Woman
55:17 Goodnight Kiss ft. Laura Perrudin
1:05:32 The Song Of Wandering Angus ft. Laura Perrudin
1:10:54 Qabu
上の楽曲はEssentielles。これも聴きやすい楽曲。
聴いていて、彼の楽曲は映画音楽に良く使われているのでは?と思う人もいるかもしれない。実際、Baïkalは映画音楽として使われている。(映画のために彼が制作したかは詳しくない)
Ibrahim Maaloufはまだ42歳である。彼はトランペットは父親に子供の頃から強制されたものだったので嫌でたまらなかったと言う。父親が厳格だったこともある。そのため40歳代の終わりくらいになったら引退しようかと思っていたらしい。
しかし、新型コロナパンデミックにより、コンサートどころではなくなり、アルバムも思うように制作できなくなった。それらの経験から、ずっと続けようと気持ちが変わったと言う。
登山者の遭難時の判断や幻覚の話
僕は過去ログで人の判断に非常に興味があると記載している。これは上に挙げた過去ログに詳しい。
僕はたまに看護師さんや薬剤師さんから、「あら先生、山登りされますか?」と聴かれることがある。この答えはいつも「山登りはしないですね」である。なぜ聴かれるかと言えば、服装がそれっぽいんだそうである。特に冬は防寒のために軽くて保温性の高い服を登山専門店まで行き買ったりする。
全く山に登ったことがないかと言えば、学生の時、1度だけ友人数人と一緒に久住山に登った。もちろん登山は日帰りである。微かな記憶では、前泊で温泉旅館に泊まって翌朝出発だった。行かないでも全然良かったが、友人が多く行くので登山靴やリュックを買い準備して登山した。それ以来、このタイプの登山はしたことがない。登山靴もこの1回だけで邪魔になるので処分してしまった。
人の判断に興味があると書いたが、もしかしたら遭難し死亡しかねない山に登るという決断も相当なものである。
そういえば、高校生の時、体育の学科の授業で、大抵のスポーツはしても構わないが、登山だけはやめておくように強く言われたことがある。それだけ危険なスポーツとみなされていると思う。
僕は登山はしないが、登頂成功や遭難の話は非常に興味があり良く調べている。具体的には、登頂成功時の登山過程のその人の判断や、遭難するまでにその人がどのような判断をしたのかなどに興味があるのである。特に登山時の自らの甘い判断のために友人や兄弟を死なせてしまった話などは精神科治療にも参考になる。
僕が登山をしないのは、体育の教師に言われたからではなく、体力的に自信がないことや、遭難して死亡した時に、自分の家族や仕事を含め影響が大きすぎることがある。仕事とは実質的には患者さんである。
見事登頂した時の歓喜とか達成感に比べ、遭難、死亡時の損失が全く見合っていない。また例えば滑落のために骨折し、生きているが動けない状態になり、その後、死亡するまで時間がかかると言う亡くなり方がかなり惨いというのもある。
以下は文春オンラインの「山岳遭難ルポ」の第一人者、羽根田治さんの記事である。彼は遭難した当事者にインタビューし、遭難時の人間心理にも言及している。
羽根田治さんによると、遭難時に最終的に助かるかどうかは、結局は「運」なんだそうだ。しかし遭難の前後で人知が全く介入しないかと言えばそうではなく、これは「遭難、死亡しやすい」というものはあるらしい。以下は上の記事から抜粋。
逆に「生還の可能性を確実に低下させる条件」ならある、と羽根田は指摘する。「それは、遭難したときにすぐに探してもらえないこと、ですね」
つまり事前に登山届を出さず、家族などに登山行程も伝えていないケースである。いくら遭難者が奮闘しても、正しい場所を探してもらえなければ、その努力は報われない可能性が高くなる。
登山時に道に迷うという遭難パターンがある。このようなとき、わかる場所まで引き返すことが最も期待値が高い対処だが、遭難時の登山者にはこれがなかなかできないらしい。既に1時間とか進んでしまっているとなおさらである。
これは精神科薬物療法で言えば、ある薬を試みて、全然良くならないとか、かえって悪くなったなど迷宮に入ったような状態に近い。これはまずその薬を止めてみることが「わかる場所まで引き返す」ことに相当すると思う。しかしこれは精神医療ではしばしば実施されていることである。
精神科薬物療法では、精神科医と患者さんで大きく対処が異なる状況がある。
例えば、ある向精神薬を止めるという決断。
過去ログでは向精神薬、特にベンゾジアゼピンの離脱はインターネット上でしばしば言われているほどの頻度や規模ではないと記載している。なぜ大仰になるかと言えば、離脱などで大いに苦しんだ人がインターネット上でアピールするからである。
ある薬を中止する時、離脱ないし精神の変調が起きたら、処方量を元に戻すべきである。つまり増量だが、時に元の用量以上に服薬した方が良い場面すらある。大抵の精神科医はそう指示すると思う。
しかし強い決断で「この薬を中止する」と言う前提で薬を中止した人は、これができない。これは登山時に遭難しかかったときに、今来た道を辿って戻らないことに近いと思う。
文春オンラインの一連の遭難にまつわる記事はとても興味深く、特に遭難時の幻覚は統合失調症にみられる幻聴、幻覚とは異質なものであることが良くわかる。
今回の記事の文脈とは異なるが、上の記事の以下の部分はとても興味深い。
「その人が中央アルプスの千畳敷で登山者に指導していたときのことだそうですが…」ここでいう指導とは、登山口へやってくる登山者の中で、たとえば装備などが不十分そうな人を見かけたら、「どちらまで行かれるんですか」などと声をかけ、無理がありそうだと判断したら、ルートの変更を薦めたり、場合によっては登山を中止するよう助言することだという。
「それでロープウェイから降りてくる登山者たちを見ていると、ときどき『二重に見える人』がいる、というんですね。その人の背後に、もう1人本人と同じ人が陽炎のように浮かんでいる。要するに腰から上がダブって見える。『そういう人は、後で必ず遭難して亡くなってしまうんです』と。どういう理屈なのかわかりませんが、これは私も聞いていて怖かったですね」
かといって「あなた、山に行くと命はありませんよ」と言うわけにもいかない。それでもその救助隊員は、「二重に見える人」には「ちょっと計画に無理がありますよ」「顔色がすぐれないようですよ」などと声をかけて何とか思いとどまってもらおうとしたが、そういう人たちはみんながみんな「いや、大丈夫です」と言って出発していった。そしてみんな二度と帰ってくることはなかったのである。
この記事の幻覚の話。(抜粋)
翌日、前日の疲れが残る重い足をひきずりつつ、深仙小屋を経て、太古の辻に着いたところで雨が降り出し、不安な気持ちが少しずつ膨らんでくる。そして前鬼へと下っていく途中で、Kさんはルートを見失って樹海に迷い込んでしまう。さらに7メートルほどの土手から滑落し、小さな渓流に足を取られて流され、ストックや眼鏡などを失ったKさんは初めての野宿を余儀なくされる。
〈足がだるいので足台があればと思ったら、目の前に足台がさっと出てきた。ところが足を乗せるとすとんと足が落ちた〉(前掲書)
もちろん足台などあろうはずもない。Kさん自身も「これが幻覚か」と納得するが、翌日以降、さらに幻覚に拍車がかかる。
〈あちこちに旗が立っており、楼門もある。信者の詰所のような建物もある。渓流沿いに遊歩道があり、公衆電話を探すと下のほうに3台のボックスが並んでいるので向かう。近づくと場所が変わる。そこに向かうが、また別のところに変わる〉〈突然、すぐ近くで男の声がして(姿は見えない)、「この上に宿坊があるから泊まればいい」と言う〉(いずれも8月7日、前掲書)
〈サーッと音がしたかと思うと、まわりの景色がいっせいに光り輝き出した。不思議な光景である。この近くに大きな寺院があって、ライトアップしているのだろうと思う。しばらく見とれていると、そのうちに光が消えてもとの景色になった〉(8月8日、前掲書)
結局、Kさんは遭難から5日後の11日になって奇跡的に救出されるのだが、興味深いのは、幻覚はおもに山中を動き回っていた7日、8日に集中して見ており、一カ所にとどまっていた後半はほぼ見ていないという点だ。羽根田はこう語る。
「不安や焦燥にかられて、がむしゃらに動き回っているときは幻覚を見やすいのかもしれません。Kさんによると『夢はすぐ忘れるが、幻覚はいつまでもはっきりと覚えてるんです。正気の状態で見聞きしたのと同じなので、幻覚だったのかどうかは、後日、合理的に判断するしかない』そうです」
この文章の中で語られている幻覚は、その人(Kさん)と幻覚の立ち位置と言うか、幻覚に対する構えが、統合失調症の人のそれとはかなり異なっているのがわかる。
統合失調症の人は、「幻覚だったのかどうかは、後日、合理的に判断するしかない」、などとは思わない。
遭難時に見る幻覚は器質性幻覚であり、統合失調症の人の内因性幻覚とは異なっている。
大学病院精神科と単科精神科病院のすみ分けについて
大学病院はかつては紹介状なしで初診も可能だったと思うが、今は原則、紹介状がないと初診できない。
僕が研修医の頃の大学病院精神科は病床数が少なく50~60床しかなかった。しかも、実際に入院しているのはその6~7割だったと思う。
当時、なぜ満床にできないかと言うと、看護師の入院患者の増加への拒絶が大きかったことがある。全ての大学病院がそうではないと思うが、今風に言えば、働き方改革に反すると言ったところであろう。
看護師にとって、入院患者が増えれば増えるほど仕事が大変になるという主張である。これは医師からの視点では異常に見えることで、たいていの医療行為は大学病院では医師が行う。セレネースやセルシンの筋注ですらそうである。それなのにこの程度の患者数で仕事が忙しくなると言うのはおかしい。
実際、当時の看護スタッフには共産党支持者がいて、選挙の前に僕に比例代表に「共産党」に入れるように頼んだ看護師もいる。流石にこれは公務員には禁じられている行為である。そんなことより、僕に言えば入れてくれるのではないか?と思われたことが不愉快であった。
昔の大学病院にも、ありふれた病型の統合失調症、双極性障害、うつ病の患者さんは入院していた。どこが違うかと言うと、大学病院に紹介されたかどうかである。当時まだクリニックは少なかったが、無床であれば入院の必要性がある患者さんはどこかの病院に入院を依頼しないといけない。そのようなケースで多くの患者を大学病院に紹介するクリニックがあった。
そういえば、当時のクリニックは病床がなくてもクリニックと言う病院名は稀で、病院名だけですぐにクリニックとはわからなかった。
そのようなクリニックがあると、自然と普通の精神疾患の患者さんが集まる。入院患者で極めて稀な疾患は今だと神経内科に入院しているような人である。これは当時、まだ十分に精神科と神経内科がすみ分けできていなかったからである。
大学病院精神科は急性期のみしか治療継続しないので、入院後区切りがつくと、退院させるか単科精神科病院に転院させていた。これは今の整形外科疾患の患者さんを中核病院からリハビリテーション系病院に転院させる治療の流れと似ている。
大学病院でリハビリ的治療まで長い期間入院させると慢性期の患者ばかりになる。これは多くの新人精神科医にとって勉強にならないので好ましくない。従って、患者さんが大学病院に入院後、数か月後、単科精神科病院に転院になるのは自然な流れと言えた。
従って、患者さんが大学病院から単科精神科病院に転院するように言われた時、最先端の治療を諦められたわけでも、捨てられたわけでもなく、治療途上の自然な流れなのである。また遠方の市町村から大学病院に入院している患者さんは、地元の病院に転院させる方が家族の面会や退院後のデイケア参加の点で良いと言うケースも多い。
稀に普通の精神疾患(例えば統合失調症)なのに長期に数年単位で入院している患者さんがいた。これは、家族から何らかの依頼があった人であった。当時の大学病院精神科では、公務員の家族の人が多い傾向があった。
他、この人は長期に診ていこうと思われるような珍しい疾患の場合、研究対象と言うことで医療費が無料とされていた。なぜか統合失調症でもそういうケース(医療費無料)があったので、何らかの忖度というか融通があったとしか思えない。
当時、今より若年の緊張型の統合失調症患者さんが多かったので、発病後、急速に改善するケースや、次第に崩れていく患者さんを良く診ていた。基本、緊張型は予後良好でさほど欠陥症状を残さず寛解する人が多いが、治療序盤で時間がかかったり何度も再燃していると破瓜型的になる。今風に言えば解体型である。
この若い緊張型の新患は滅多に診なくなった。おそらく、僕の病院の自分の担当患者さんで約20年間で僅か2名である。その最初の1名は、過去ログに出てきている。
統合失調症や双極性障害の場合、初診で大学病院にかかるか、単科精神科病院にかかるかでは予後に大差ない。これは重要なことである。むしろ単科精神科病院の方が勝る面も多々あると思う。それは単科精神科病院の方がコメディカルスタッフが充実していることが大きい。
統合失調症や双極性障害の人が、大学病院での治療で単科精神科病院に比べ不利な点は、治療が安定しないことが挙げられる。治療経験が少ない医師に治療を受けることも多く、主治医の交代もしばしばある。
大学病院の指導医でさえ、単科精神科病院のベテラン医師より経験年数が遥かに短い。精神科医も年齢が行き過ぎると古臭い治療をしている人もいるので必ずしも良いとは言えないが、大学病院の8年~10年目医師と単科精神科病院の25年目医師では違うのではないかと思う。
そもそも、大学病院ないし関連病院を異動している医師は、研究(論文や学会発表)に追われて、患者さんを診ている時間が圧倒的に少ない。同じ15年目でもどのようなプロフィールかで、かなり治療経験の蓄積は違うのである。
これらは、精神科医としての資質のようなものもあるので万人に当てはまるわけではない。また単科精神科病院でも評判が悪い病院もある。
結局、大学病院と単科精神科病院のすみ分けは、研究機関なのかどうかが大きく影響しているのである。
﨑津教会
今回は、天草、下田温泉に旅行した時の観光の後半。なお前半は上の記事である。
最初、この光景を見た時びっくりした。遥か向こうだが、小さな漁村に教会が⛪️建っていたからである。まさにドラゴンクエストⅡの世界だった。
近づいていくとこんな感じ。天草の﨑津集落は世界文化遺産にも登録されている。以下はWEBサイト。
入江の景色。
天草のキリスト教の遺産の建造物の中は撮影がほぼ禁じられている。
上にあるように、フランス人の神父は、かつて踏み絵が行われていた吉田庄屋役宅跡に﨑津教会を建てた。
この日は既に夕方に近かったのだが、天候に恵まれて綺麗な写真が撮影できている。
﨑津教会正面。中にも入れるが撮影は禁止。
向かって右側にある﨑津資料館みなと屋の中の資料は撮影が許可されていた。以下は展示物など。
これらの写真は長崎との位置関係がわかる。
16世紀後半、この地のほとんどの村人はキリスト教徒になったと記載されている。
ブラジルのリオデジャネイロにもこの像がないか?と思ったが、コルコバードの丘の巨大な像はマリア像ではなく、キリストの像である。
江戸時代までの年表。
豊臣秀吉や徳川家康は当初は利益が上がる南蛮貿易を優先したため次第にキリシタンが増加。そして遂に30万人を超えるのである。危機感を持った幕府は1614年禁教令を発布したが、その後、天草島原の乱が起こる。その辺りの経緯が記載されている。
1805年の天草崩れ事件はなぜあのような大岡裁きと言うか穏便な措置で済んだのか不思議に思っていた。色々な要因があるが、ひとつは信者が多すぎたこと。彼らを全て処刑するとその地域の産業が成り立たなくなるし、再び内乱が起こるリスクもあると判断されたのだろう。
また、彼らのキリスト教は既に変質しており、本来のキリスト教とは異なっていたこともあった。その理由は200年近く外国人の司祭などいなかったからである。江戸幕府が多くのキリシタン?を邪教の信者扱いにしたのは、ウィンウィンの措置だったのだと思う。(宗門心得違い)
実際、明治以降、カトリックが入ってくると、彼らはそれを受け入れない人たちもいた。
キリスト教が日本で流行らなかった理由の1つは、日本人の知的レベルが高すぎたと言う話がある。宣教師を逆に問い詰めて、キリスト教の矛盾を指摘していたらしい。
宣教師が逆に論破されては仕方ないでしょう、といった感じである。
世界的にも、日本人は宗教なしで生活が成り立つ稀有な国民だと思う。
参考
改正精神保健福祉法案可決成立について
令和4年12月、精神保健法改正案を含む、「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律等の一部を改正する法律案」が参議院本会議で可決成立している。
今回の改正で家族の同意が得られない際に、精神保健指定医の判断と市町村長の同意で医療保護入院が可能となった。以下は上記リンクの要点。
医療保護入院の見直し
元来医療保護入院制度は、「基本的に本人の意思を尊重するという原則においても、症状の悪化により判断能力が低下するという精神疾患の特性を考慮して」、本人の同意が得られない場合においても入院治療へのアクセスを確保する必要から創設された経緯があります。精神保健指定医の判定の許、家族等1名の同意を得ることが要件となっています。今回の改正においては、①家族等が同意・不同意の意思表示を行わない場合にも、市町村長の同意を可能とする等、適切な医療を提供できるようになりました。②医療保護入院の入院期間を定め、一定期間ごとに入院の要否(病状、同意能力等)の確認を行うこととし、入院者の権利擁護を一層推進することとなりました。
この医療保護入院の制度そのものも(従来の法律、改正案とも)日本弁護士連合会は反対している。今回の法律改正は、彼らの主張に逆行しているようにも見える。
上記の抜粋(青)の中で、市町村長の同意というフレーズがあるが、従来も市町村長の同意による医療保護入院もできないわけではなかった。しかし非常に条件が揃った稀な状況でしかできなかったのである。例えば、全く家族がいないか、行方不明のような状況で連絡が取れないとか、家族がいても認知症で判断ができないなどの特殊な状況である。
困る事例は、家族がいるものの「あの子は勘当している」などと言い全く協力してくれないケースなどである。このような時は、家族はいるため「市町村長の同意による医療保護入院」は容易ではない。
注意点は、市町村長同意に基づく医療保護入院は、入院の瞬間は、精神保健指定医1名の判断による非同意(非任意)入院になることであろう。この非任意というフレーズに弁護士会は反対しているのである。
以下のリンクに記載しているように、先進国でも条件下で非任意入院は行われている。
上記から抜粋。
精神科とその他の科の入院医療制度において、最も特徴的なことは、本人に意思に基づかない入院形態が、どの国でも法的に位置づけられていることだと思われる。上のタイトルの「非任意入院」とはそういう意味である。この制度は、個人の自由を認めている憲法に反しているのではないか?と思うかもしれないが、その自由に時に制限が加わることは、刑法や精神保健福祉法で例外的に認められている。その根拠は、法的には「パレンス・パトリエ」と「ポリス・パワー」である。
パレンス・パトリエとは、ラテン語で「人民の父」という意味である。一般的に「国親制度」などと呼ばれることもある。一方、ポリス・パワーは読んで字のごとしで、「社会防衛」を意味している。
基本、措置入院や医療保護入院などの非任意入院は、本人が精神疾患のため正しい判断ができないため、本人を守り治療を進めていく制度である。パレンス・パトリエは医療保護入院、ポリス・パワーは措置入院や医療観察法に基づく入院に関連している。
今回の法改正は、現況の精神保健福祉法では真に本人が守れない(治療できない)ケースが出てきたことが関係している。
例えば、患者さん本人を家族が虐待していると言った状況があり、頑として家族が入院治療に同意せず、本人が病状が悪いまま放置されるケースが挙げられる。このようなケースでは従来の法律では精神保健指定医が入院治療が必要と判断しても入院させることができなかった。
ところが今回の改正により、このようなケースでも市町村長同意のもと医療保護入院は可能となったのである。
実際のところ、家族の虐待が証明しにくいケースもあるし、虐待があったとしても嫌がらせ的に精神保健指定医は訴訟されるリスクがある。ほとんどの精神科医は、そのような家族がついている患者さんを診たくはないというのが本心だと思う。まして措置入院でもないのに。
上に挙げた、困る事例は家族がいるが、「あの子は勘当している」などと言い全く協力してくれないケースもある意味、ネグレクト、虐待であろう。それは治療に協力しないだけでなく入院治療を阻む行為だからである。
今回の改正精神保健福祉法は一見、人権と言う視点で従来から逆行しているのように見えるかもしれないが、実際は、患者さんにより適切な医療を行えるようにしたものである。
以下の記事にあるように、パレンス・パトリエの思想は、精神医療の専門の医師の平均的な視点で最も良いと思われる治療を提示し行うことである。
パレンス・パトリエとポリス・パワーについては、過去ログでも時々言及している。
日本では西欧の先進国に比べ、人権を制限する傾向の法律になりやすいのは、国民が社会防衛を優先する傾向が強いことと関係があるように思う。例えば、日本は死刑制度があり、しかも国民の80%が死刑制度の廃止に反対している。
余談だが、EUに入るために死刑制度の廃止が要件にあり、もし日本がチェコの位置にあったとしてもEUに加入できない。
昔、精神科病院に社会的入院が多かったことも、日本がほぼ単一民族の国家なことや日本人全体に宗教色が少ないことも関係していると思う。(日本人はみんな兄妹や子供みたいなものなので面倒をみてやろうというおせっかいさ)
アメリカや今のヨーロッパのような多民族国家では、異なる民族や異なる宗教で対立が生じやすいこともあり、国も規制を緩めて国民に自由にさせる方が国民にコンセンサスが得られると言ったところなのだろう。訴訟社会のアメリカでは特に訴訟リスクを排除する点でも合理的である。
アメリカやヨーロッパのその代償は、ポリスパワーの視点では治安の悪化、パレンス・パトリエの視点では、精神障害者の浮浪者比率の増加などに影響していると思う。
ラツーダの等価換算の話
ラツーダは日本では最も新しい非定型抗精神病薬だが、等価換算的な数字はあまり紹介されていない。例えばネット上を検索してもあまり出てこない。
以下はラツーダの過去ログ。
そういえば、近年は等価換算という評価があまり言われなくなっている。その理由は、おそらく非定型精神病薬が治療の主流になったこともあると思われる。
2000年頃のように定型抗精神病薬もそこそこ使われていた時代は、新しい非定型抗精神病薬の力価的な目安が必要だった。
定型抗精神病薬は非定型抗精神病薬より副作用が強いため、副作用的限界が概ね処方上限であった。これは個人差があるので人により上限が異なる。1990年頃は今より上限がルーズで、上限を超えてもレセプトで査定されることがほぼなかった。だからヒルナミンの2000㎎とか、セレネースの30㎎などの処方が見られたのである。
それに対し、非定型抗精神病薬は定型に比べ錐体外路症状などの副作用が出にくいため、上限は副作用で推し量れない。また非定型抗精神病薬は高価な薬物なので、上限を超えた処方は厳格にレセプトで査定されるためできなかった。このようなことから、次第に抗精神病薬の等価換算が言われ始めたのだと思う。なお、錐体外路症状については以下の過去ログを参照してほしい。
非定型抗精神病薬が主流になると、それぞれの薬に個性が強いため、等価換算で比較することの意味が薄れてきた。そのようなことから、等価換算的な評価があまり言われなくなってきているのでは?と思う。
例えば、エビリファイとロナセンは等しい換算になっている。つまりリスパダール1㎎に対しエビリファイとロナセンは4㎎である。(=コントミン100㎎)
また、ジプレキサとシクレストも等しい換算となっており、リスパダール1㎎に対しそれぞれ2.5㎎である。
これらに意味があるのか?と言ったところだと思う。特に最近の非定型抗精神病薬は統合失調症以外にも処方可能で、マルチな薬効を持ち合わせていることもある。
ところで日本の非定型抗精神病薬の上限は概ねコントミン換算で800㎎程度になっている。可能ならこの範囲で治療しましょうと言った感じだと思う。穿った見方をすれば、2剤まで併用可能なので、精神病の重い人でも1600㎎までで抑えて下さいとも取れる。まあ国はそんなことは考えていないと思うが。
新しい非定型抗精神病薬、ラツーダの等価換算はパンフレットなどでも全く記載されていない。ラツーダの等価換算はどのくらいなのか良くかわからないのである。
ラツーダは上限が80㎎なので、一般的なコントミン換算800㎎に従えば、
ラツーダ10㎎=コントミン100㎎=リスパダール1㎎
くらいの換算であろうと予測できる。実際、この換算通りらしいのである。
副作用的にラツーダ80㎎がリスパダール8㎎と等価とは到底思えないが、より新しいタイプの非定型抗精神病薬は、車で言うABS的なコントロールのしやすさがあるので違和感があるのだろう。これは、リスパダールは非定型と言いつつ、やや定型抗精神病薬よりな抗精神病薬であることも関係している。
なお、リスパダールは発売時点では上限12㎎で適宜増減できるため24㎎まで処方可能だった。発売数年後、リスパダールの上限は6㎎までに下げられたが、それに併せて薬価も上がった。しかし適宜増減はできるため今でも12㎎までは処方可能なのである。適宜増減可能な非定型抗精神病薬はリスパダールしかなく、これも定型抗精神病薬的な扱いだと思う。
大抵の非定型抗精神病薬はコントミン換算800㎎程度と言うが、リスパダールは一見6㎎上限に見える。しかし12㎎までの処方も可能なのである。このようなことも考慮すると、リスパダールは少し特殊な薬なのがわかる。(重度の精神病の人向けの非定型抗精神病薬)
ラツーダは40㎎から開始し翌日から増量できる。このようなコントロールしやすさも抗精神病薬の進化だと思う。
なお、レキサルティの上限2㎎はリスパダール換算で4㎎らしい。レキサルティは重い精神病には2㎎では抗精神病作用が不足する。レキサルティはローカルでは3㎎まで処方可能で4㎎は査定されると過去ログに記載している。(地域性あり)
レキサルティ3㎎はリスパダール6㎎に相当し、この換算だとレキサルティ3㎎上限がより実際を表しているように見える。
いずれにせよラツーダに限らず、等価換算が20年前より意味が薄れてきているのは確かだと思う。