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中毒疹の履歴ある人とラミクタール

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向精神薬の中で、抗てんかん薬は中毒疹が出やすい薬物群である。従来、テグレトールはとりわけ出現しやすく、酷い中毒疹を経験するとテグレトールは処方し辛くなったものだ。

テグレトールは記事の中では時々出てくるが、未だにテーマとして挙げていないのはその理由が少しある。テグレトールは中毒疹が出やすいものの、ラミクタールのように細かい増量マニュアルなどない。

初診時に大量に処方はしないものの、最低剤型でも100mg錠なので、中毒疹が出た際に、そこそこの量を処方していることが多い。

ところがラミクタールはテグレトールに比べ、軽微な中毒疹まで含めると、遥かに高いように見える。(そのような印象)

つまり、テグレトールの処方を逡巡しているようでは、ラミクタールなんて処方できない。

ただし、双極性障害の浮上し難いうつ状態に関しては、ラミクタールの方がテグレトールより遥かに有用性が高いので、この考え方も少し極端である。(双極性障害の場合、テグレトールは他の薬で代替できそうだが、ラミクタールはそうもいかないという意味)。

ラミクタールは、他の薬物で中毒疹が出たような人は、その副作用の出現頻度が高いと言われている。(重要)

だからラミクタールを処方する際に、以前の中毒疹の履歴を聴取することは重要である。

ある時、アレビアチンとフェノバールをイーケプラに切り替えた患者さんがいた。イーケプラは種々の点で、アレビアチンとフェノバールより良かったが、部分発作が再発したのである。

イーケプラにして良かった点は、それまで続いていた慢性的な頭重感と頭痛が消失したこと。日常の気分の重さがなくなり、軽くなったらしい。

一方、右手から始まる意識障害を伴わない部分発作(単純部分発作)がたまに出現するようになった。これは彼女の最も重かった発作ではないが、服薬していて発作が起こるのはお粗末である。服薬しているからには発作が止まらないと意味がない。(どうやっても発作が止まらない人は話は別)

つまり、イーケプラの抗てんかん作用は、最高量でさえ彼女には不十分と言えた。

これでは何のために変更したのかわからない。なんだかんだ言ってアレビアチンは強力な古典的抗てんかん薬だと思う。

新しいタイプの抗てんかん薬への切り替えは、患者さんを古典的抗てんかん薬が持つ神経毒性から解放する意味合いがある。特に毒性が大きいのはアレビアチンだと思う。

部分発作が再発したからと言って、アレビアチンに戻すのは最後の手段である。何のために苦労して切り替えたのか、わからないから。

それにアレビアチンやフェノバールは減量には時間をかけないといけないのである。これまで減量にかけた時間を考えると、そう簡単にはアレビアチンに戻す気が起こらない。

この患者さんは、かつてうつ状態がみられ、抗うつ剤を投与していた。だから、イーケプラからラミクタールに変更するのが適切のように見える。しかし過去に抗うつ剤で1回、抗精神病薬で1回、中毒疹が生じたことがあり決断できなかった。(わざわざリスクを負いたくない。)

そこで、いかにも部分発作に効きそうなテグレトールを追加したのである。テグレトールも神経毒性があるわけで、妥協するのにもテグレトールまでである。

ところが・・
大変な中毒疹!


水泡まではできていなかったが発赤と痒みが酷い。紹介状を書き、しばらく近所の皮膚科で治療してもらった。そこそこ時間がかかったが痕跡もなく治癒している。

結局、マイスタンを追加して部分発作は完全に消失。最初から、ラミクタールを諦めた時点でマイスタンにしておけば良かった。テグレトールはこのタイプの発作にはオーソドックスな選択とは言え、中毒疹のリスクは高いからである。

彼女に、ラミクタールを試みる気は起こらない。今となってはその必要もないが。

結局、薬で皮膚に副作用が出るような人は、ラミクタールは使う前からリスクがあるんだと思う。それはたぶんテグレトールも同じような位置にある。

個人的に、漠然と「薬に当たったことがある」くらいの人は量を絞ってラミクタールを試みている。僕はラミクタール再投与もするくらいなので、その辺りまではする精神科医である。

参考
ラミクタールと重篤な中毒疹






認知症のBPSDとリリカ

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ある時、リエゾンでいつも車椅子上で体を折り曲げている老人を診察した。その女性は90歳を超えており、かなりの高齢である。

紹介状によると、疼痛を訴え気分のムラがある。また、意欲低下のためリハビリもできない。また食事をろくに摂らない。疼痛については痛がる場所がコロコロ変わるという。

紹介状を読んだ際、「気分のムラ」という言葉は「精神科医はあまり使わないよなぁ」と思った。(参考

車椅子上で、床にある何か取ろうとするような奇妙な姿勢。普通、このような人は老人なら、リフレックスかリリカの少量が良い。最初、リリカ50㎎、レンドルミンを投与してみた。

リリカ 50mg
レンドルミン 0.25mg


2週間後。
ナースによれば痛みの訴えが減少し、体を折り曲げることもあまりなくなっているという。また、精神面も落ち着き気分のムラが減っている。食事も良く摂るようになったらしい。

理学療法士によると「自分の思っていることを話せるようになった。以前は、会話が成り立たず、リハビリも無理だったが、今は少しずつリハビリも進められるので助かっている」と言う。眠剤はあまり意味がないので中止。

その1週間後
かなり良くなったので家族が驚いている。訴えが大幅に減り、ナースコールの嵐が消失したと言う(一同、爆笑)。

現在の病状については家族は納得している。病棟に行ってみると、ビスケットを食べていた。前に比べると表情が明るい。リリカは、温和な抗うつ作用、食欲の増進などの効果を持つ。

初診3ヶ月後。
落ち着いているが、少し独り言をいうようになった。本人に何か問うと、「わからない。わからない。」と繰り返す。リリカを1カプセルに減量してみた。

リリカ 25mg

その2週間後。
リリカを1カプセルにすると、情緒が不安定になるという。2カプセルの方が看護がしやすいと言うナースの意見。2カプセルに戻す。

リリカ 50mg


2週間後。
かなり元気。動き回っている。お菓子を良く食べる。ナースは、今の薬で良いという意見多数。そうして退院となった。

本人は、わからないことはわからないと言う。デイサービスに通う。前よりずいぶん明るくなり、色々なことができるようになっているため、あまりの変わりようにケアマネージャーが驚愕。

リリカで食欲が出て、明るくなり、しかも疼痛も減り、歩き回れるようになった。認知症はあまり変わらないが、少なくとも進行はしていないという。お菓子を良く食べるのは、たぶんリリカによる過食と思われる。

本来、物静かで口数が少ない女性。古風な人。日本的な男性を立てる性格らしい。

初診8ヵ月後
心臓病もあり、たまに息苦しいという訴えがある。リリカの影響もなくはないと思われたので、再び減量。グラマリールを50㎎追加。(リリカは25㎎)

リリカ 25mg
グラマリール 50mg


グラマリールは微妙な薬で、ジスキネジアを改善する面がある一方、抗精神病薬に似た副作用が出ることがある。精神面もかえって悪化するケースもある。基本的に、現時点で彼女へのグラマリールは謎の処方である。

その1ヵ月後
息苦しいという訴えが減った。グラマリールはよく効果がわからないらしい。

更に1ヵ月後
感情の起伏があり、かわいがっているペットに当たる。外見からはかなり穏やかに見えるが。

わからないと言う訴えが多い。デパケンシロップを2ccだけ追加してみる。デパケンシロップ2ccは100mgであり、この女性にとって少なすぎとは言えない。(つまりそこそこの重さ。)

初診11ヵ月後
デパケンシロップを飲み始めて、はっきり少し落ちついたという。物忘れは結構あるらしい。メマリーを考慮するがまだ処方しない。

1年2ヶ月目
メマリー5mgを追加。今後、もし良いなら、リリカをメマリーに切り替える方針とする。

リリカ 25mg
グラマリール 50mg
デパケンシロップ 2cc
メマリー  5mg


2ヵ月後。
一見、前より表情が良いように見える。疼痛はほとんどない。今は体を海老のように曲げる動作は全くない。リリカは隔日投与とする。家族によると、ボケ症状はあまり変化がないらしい。

リリカ 25mg隔日
他変更なし


その2ヵ月後。
リリカを1日おきにすると、飲まない日があまり良くないと言う。気にそぐわないと言葉も荒く、物を投げる。少なくともBPSDにはリリカの方がメマリーより効果的である。今後、リリカとメマリーは併用するが、メマリーは一応20mgまでは漸増してみる方針だった。

突然ながら終わり。長くなりそうなので。

この後のあらすじだが、メマリーは増やすと、かえって良くない。(家族の話。愁訴が増加し、うるさいという。また無駄で困る動きが増える。)

つまりだ。認知症進行を抑えるため推奨量のメマリーは不適切だが、5mg程度使うには問題がない。メマリーを5mgだけ使い続けて、年単位で認知症が抑えられるかは微妙というか疑問である。

少なくとも言えるのは、リリカを25mgだけでも追加すると、認知症のBPSDにかなり有効なこと。リリカは疼痛だけではなく、抗てんかん薬的な効果を及ぼしている。

彼女は最初から最後まで、セロクエルなどの抗精神病薬は一度も使わず治療を進めている。一般に、高齢者の疼痛を伴う認知症やうつ状態にリリカは有効である。少量だけ試みる価値がある薬物といえる。

参考
認知症のBPSDを抑えると言う意味
メマリー
ラミクタールとメマリー
ラミクタールとメマリー Part2
精神科医は無意味な生物と思われているところがかなりあり・・

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たとえ保護室にいても入院したことがわかる

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よくわからないタイトル。

タイトルが長くなるのと変なので端折ったら、よくわからなくなった。もう少しわかるように書き直すと、

「たとえ保護室にいたとしても、○○氏が入院したのがわかる」

○○氏は恐れられている、あるいは嫌われているわけ。その○○氏が入院したら、患者さんが保護室にいても、それに感付いてしまうと言う実に奇妙な現象。

保護室は入った人はわかるが、一般病棟とは隔絶されて設計されることが多い。だから、外なんて見えない。音もほとんど聞こえない。それどころか病棟も違うわけ。だから誰某が入院したなんてわかるわけがない。

保護室は設計的には廊下が必要である。(そういうルール)。

廊下ではなく、向かい合う保護室の外が、談話室のように真ん中にテーブルと椅子がある空間になっている設計もある。

保護室は色々と工夫されているが、例えば壁などを拳で殴ってもラバーが張ってあり、怪我をしにくいとか、トイレが見たことがないような特別仕様になっているものもある。

古典的な保護室は、窓がないかあっても手が届かない高さにあり、外も見えず、また丈夫なドアは分厚いので、外には声が聴こえ難い場合もある。今時、古典的とは言え鉄格子はない。(もちろんある場合もあるが、そういう設計では中に入らなくても会話は可能。)

普通は医師は保護室内に入って診察する。だから保護室に長居すると、職員が全館放送で探すこともある。精神鑑定の場合も、保護室で診察するケースが多い。

最新の保護室は超ハイテクになっているものもあり、一品物なので非常に高価である。(うちの病院はそうでもないが)

基本的に保護室は全てを便利にするようにはできない。何らかの不自由さは残るものだ。

それにしても、ある日、保護室内の患者さんが、○○氏が入院した当日に気付いていたのにはビックリした。電波でも受信したのか?と思い、

あんた凄いよ。

と誉めてあげたら、

それくらいわかりますよ。(←これも意味不明)


と返された。よく第六感というが、これが神経伝達物質の影響を受けるなら、病状の悪い時のみ、直感が働くというのはわかるような気がする。

今日は、酔っ払って書いているので、こんな記事になった。

参考
甲状腺と霊感
精神症状と株価暴落が連動している人
宇宙人にさらわれたら・・

携帯メールアドレスのコピペ

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嫁さんが携帯メールアドレスのコピペができないとギャーギャー言う。僕に聞くが、

自分ももちろんできない。(プロらしいクリアな回答)

携帯でメールをしないため。自分の携帯はいわゆるガラケー。

アイ・パッドやアイ・ホーンはあまりほしいと思わない。アイ・ホーンは幅が広いのが難点だと思う。ポケットに入れた時、邪魔。

ドコモでは似たような機種って、ギャラクシーって言うんですか?そういうのも興味ない。

あのタイプの盤面いっぱいに液晶がある携帯は、落とした時に壊れやすいのでは?思っているのもある。(携帯はうっかり落とすため。今まで何度落としたことか・・)

長い期間、同じものを使っており、その間、嫁さんは2回も機種変更している。

自分の携帯はポイントを使い、電池を2回交換している。ポイントはかなり余っている。仕様的には不良品(電話番号登録が簡単でない。メールでバグが起こるらしい)と思うが、全然壊れないのでその点だけは優れもの。電池も1週間以上持つ。2人でドコモに支払う電話代は5000円~6000円である。

時々、街に行った時、ショップで携帯アドレスを聴かれることがあるが、パソコンのメアドにして貰う。ただ、自分のメアドは良く覚えていないのが難点。

現代社会のガラケーは軽量化が進まず、テレビが観られるなど無駄な機能が増え、むしろ重く、大きくなり老人仕様になりつつある。

とにかく、軽量で薄いガラケーがほしい。テレビなんて必要ない。

僕のメールにはスパムと思われるメールが時々来るため、不在を示すライトがチカチカしているが、あれも一瞬、ドキっとし健康に悪い。メール機能がなければ最高なのに・・と時々思う。

携帯は持たないわけにはいかないのよ。仕事にも必要だし。

家でトイレに行く際も、時々、携帯を一緒に持っていく。病院で何かあったら、まず携帯にかかって来る。

携帯はまだいい。かかってくる電話番号が表示されるから。

しかし、うちの電話は相手番号が表示されないので、たまたまトイレにいたり、入浴している時は最悪。どこからかかってきたのかわからない。だからむしろトイレに持っていくべきなのは固定電話の子機である。(←極めて重要)

携帯電話は便利は便利だけど、ストレスになるハイテク機器だと思う。

最初の嫁さんのメアドコピペだが、「引用」機能でできたらしい。でも次に困った時はやっぱり忘れているだろうと・・

滅多に使わない機能はすぐに忘れる。自分は年賀状のソフトで毎年、新鮮な気持ちでマニュアルに臨む。

1年経つと、どのように使ったのかすっかり忘れているから。


音楽性幻聴とカタプレス

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過去ログでは、音楽性幻聴はあまり病理性が高くないと記載している。言い方を変えれば、音楽性の幻聴は本人にさほど苦痛を与えず、潜在的エネルギーが低い。重大な所見ではないことが多いのである。

ある時、年配の疼痛をともなううつ状態の女性の治療をしていた。処方はサインバルタ40mgとリリカ150mgがメインである。(他は降圧剤など)

この女性の場合、治療を始めて1年以上経過し、処方変更もない時期に生じているので、由来のよくわからない「音楽性幻聴」と言えた。

本人が、この音楽をなんとかしてほしいと訴えるので、何か追加しようと思ったが、何が良いのか少し迷う。結局、ルーラン1mgを投与してみた。止まれば儲けものである。

サインバルタ 40mg
リリカ  150mg
ルーラン 1mg
(他は降圧剤など内科薬)


この結果だが全然効かなかった。当然といえば当然だが、これでたまに止まる人もいるので、副作用の少なさを考慮すると最初に試みて良い方法である。デパケンR200mgとか投与するよりずっと良いと思う。

そこで無理だと思ったが、ルーラン2mgと思い切って倍量にしてみた。

こういう処方は、あまり薬のことを知らない外来婦長とか外来看護師がいるからこそできる手法。なまじっかわかっていると、相当奇妙なことをしているように見える。

このような試行錯誤の根拠だが、この音楽性幻聴は器質性に由来するから。

ルーランは2mgまで使って諦めた。4mgまで増やしても効きそうにない。

そこで、ちょっと思いついてカタプレスを使ってみた。彼女は降圧剤を飲んでいるので、カタプレスは使いやすい。ただ、少しサインバルタへの影響はあるかも?と思ったが、誤差範囲だろう。(さほど使わないので)。

さて、いくらの量にするかである。一応、小さい方の剤型75μg錠を選ぶ。

サインバルタ 40mg
リリカ  150mg
カタプレス 75μg
(他は降圧剤など内科薬)


これであっさり止まった。これはひょっとしたら、放っておいても自然消滅していたかも?と思った。

音楽CDも、最後までいくと止まるでしょ。あれと同じ。(←意味不明)

参考
ときどき頭のなかで音楽が聞こえます
情報の混乱と器質性幻覚③

痩せると少量の抗精神病薬でも副作用が出やすい話

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過去ログでは、治療中の体重減少の話が度々出てくる。時々、思うが、過去ログに出てくる人たちが全て実在しているのは凄いことだ。(つまりノンフィクション)

このブログに出てきていない人でも5~6kg程度以上減量した人は山ほどいる。

おそらくだが、自分ほど患者さんの体重減少に成功した精神科医はいないのではないかと自負している。

ジプレキサやセロクエルでさえ、減量した人は多数である。これはたぶん精神科医の技量に含まれる。

また家庭療養中は体重変化がなかったが、仕事をバリバリし始めて急激に5kg程度減ることもある。このパターンはMARTAでの治療で時々観察される。(参考

これは治療を進めた結果の2次的体重減少であり、その視点では体重減少は病状の回復を示している。こういうケースでは、体重減少と精神症状の回復は一連の現象である。重要なのは、

体重増加、無月経の問題意識を持つこと。

このブログでリスパダールやドグマチールがあまり出てこないのは、これも1つの理由である。

その意識があるから、そうならずに治療を進められるのである。治療中の体重減少は、ほとんどがリリーフによる治療上の出来事である。

特に本来、薬に弱かった人は、体重減少につれて錐体外路症状が出やすくなる。それに限らず、些細な、あるいは微妙な副作用が出やすいという傾向がある。


これは痩せすぎた場合は、更にリスクが大きい。

一度、75kgくらいが45kgまで減った女性では特に不随意運動が顕著だったが、1年以上経つとかなり目立たなくなった。2年くらい経つとそれも消失した。(計20年以上入院している病状の重い人)

統合失調症の人は薬物を減量する際は、元の量が多い人は、かなり注意して治療を進めるべきである。なぜならこのタイプの慢性の不随意運動は、いったん出ると、改善のスピードが遅いから。

その意味では、急激な断薬は極めてリスキーな医療行為である。

実際「抗精神病薬の減量のテクニック」の中で、

実際、年余にわたり2500㎎以上服用していたような人は、1000~1500㎎まで順調に減量できたら、そこでひと息つくべきである。

と記載している。過去ログで、青で書いているのは重要なことだからである。このメカニズムの1つは、体重減少に伴う体内の脂肪組織が減少することも関係しているのでは?と思う。

薬が減って体重が減少すると、更に忍容性が下がり、薬が相対的に重くなる。

この歯車が廻り出すと、薬物の減量と体重減少が平行して起こる。だからこそ驚異的な治療中の体重減少が生じるのであろう。

参考
リリーフ成功というやつ
体重の減量のテクニック
高プロラクチン血症
リスパダールの脂溶性

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クラス全員のテスト結果を廊下に貼り出した先生

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今、急に思い出したので書き留めておく。

僕が5年生の時、隣のクラスの男性教諭が、クラス全員の算数の採点済み答案を張り出したことがあった。

驚くだろうが、本当の話だ。

彼の意図を今から想像するに、結果が悪かった人を激励する意味もあったと思う。しかし、結果の悪かった児童の心情はあまり考慮していなかったとは言える。その理由だが、0点の児童も6人くらいいたからである。しかもその6人の内5人は女子だった。

彼のクラスは成績の良い児童とそうではない児童が二分化しており、中間層が少なく正規分布していなかった。なぜそれを知っているかと言うと、6年時に彼が自分のクラスの担任となり、その話をしていたからである。

全員の答案を廊下に貼るとは、その後の影響を考えるとかなり大胆な行為と言えた。たぶんPTAから苦情が出たのであろう、その後、3日くらいで貼り出した答案は回収された。

それでも、それ以上の問題にはならなかった。今だったらテレビや新聞に出るかもしれないような事件である。

当時、各クラスでテスト日は統一されていなかったため、まだその市販テストを実施していないクラスもあり、それも問題だった。(他のクラスの子に問題や正解がわかる)

その教師は6年生の担任になったが、どうもその事件もあり、心を込めては好きになれなかった。子供心に、あの教師を軽蔑していたんだと思う。

その教師は答案事件のようなものは、僕のクラスでは起こさなかった。ただ、とりわけ出来の良い児童を贔屓する面があり、むしろ僕は成績が良かったこともあり可愛がられた。

そのクラスではとりわけ成績が良い児童が3人おり、1人は僕だったが、そのうちの1人の家庭に彼が家庭教師に行っていた事が後に判明。(これも過去ログに出ている)。

ああいうことをする人は、そのようなこともするのであろう。たぶん。


その教師がある時、自分を呼び、少し遠まわしに助言した。以下はその時の要約である。

このまま田舎の小学校~高校まで進学した場合、県立高校のレベルから考えて、君にとって残念なことになるかもしれない。だから家族に話して○○市の私立の中学校に行けるように頼みなさい。

といったものである。彼は真に僕のことを考えて助言していたと思う。(その後、健康を害し他所の中学や高校に進学するどころではなくなったが)。

しかし、彼の予測は全く外れたのである。過去ログにあるように、あの時代のあの地域にはレベルの高い児童が多く、次第に地元の県立高校のレベルが上がったためだ。

その証拠に、僕が卒業する2年前に東大理Ⅲに合格した先輩がいたし、2~3年上の理系クラスでは1クラスに6人の京大合格者が出るなど、一介の県立高校としては想像しがたい発展を遂げたためである。(東大理Ⅲは合格者が出ない県がある)

いかに教育は環境が大きいかがわかる。

あの当時から、ずっと気持ち的にその教師は許せない人の1人だったが、その後よくわからないが気持ちの変化が起こり、10年くらい前に許した。

実は、許した方が良いのか、許さない方が良いのかさえ、自分の中ではまとまっていない。彼がしたのは、あの2つの失態だけではないからである。

ただ、1つだけ言えることは、彼は自分には実害がなかったから許したわけではない。そういう理由なら、たぶんとっくに許している。

今日のエントリは良くわからない人も多いと思う。

参考
独創的な授業をする先生

具体的に名前や病院名を挙げて誹謗中傷する書き込みは避けてください

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さきほど、具体的に病院名や医師名を挙げて、誹謗(と考えられても仕方がない内容)の書き込みがあり削除しています。

仮に、それが実際の事件であったとしても、このブログのコメント欄で書き込むのは不適切です。

これまでもほぼ同じ対処をしています。
 

子供の頃、健康優良児にノミネートされた話

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今日は自分の子供の頃の話だが、読者の皆さんにも参考になると思いアップしている。

僕は小学校6年生の時、健康優良児の最終ノミネート4名まで残った。自分は考えてもいなかったが、ある日、校内の畳の部屋に呼ばれ、4人が横一列に並ばされた。その時、目の前には校長先生がいた。

その4人の中では自分が最も小さい印象であった。周りはそのくらい体格が良かったのである。

当時、既に病気の始まりの頃で、4人の中で最も顔色が悪かったのではないかと思う。それでも、あのようなマンモス校で4人に残れたのは、かなり体格が良かった方とは言える。うちの父親はあの時代の人にしては身長が高かったこともある。

校長先生は目の前で、

みんな体格が良いなぁ・・

と言い、それだけで決定されたようである。最終的には校長先生の「鶴の一声」で決まったものと想像する。健康優良児に決まった子は、僕よりは格段に体格が良く、自分なんて問題にならなかった。

前々回の記事で出てきた6年時の男性担任は、その校長を非常に嫌っており、よく悪口を言っていた。その1つは「健康優良児の選定では自分の好みで決めるので、その後、滑稽なことに良くなる」と言うものであった。(詳細は重要ではないので省略)。

日常の担任の話はイメージとして頭の中に残り、その考え方は子供に伝染する。


6年生の頃は健康を害していたのに顕在化していない状況で、そのために学校を休むことはなかった。僕は1年生の頃から、たまに急性腸炎のような疾患で1年のうち1~2日休んでいた。1年を通して皆勤だった年は、たぶん2年間くらいである。

これは学校を休んだ子にしかわからないと思うが、たまに休んだ後、登校した日の友人の優しいこと。まさにジーンとなるほど。周囲の子供の気持ちがこちらに伝わってくるのである。

当時の児童は外で一緒に遊ぶことも多く、特に僕が通った小学校は2時間目が終わった後、週に1日くらい、全校生徒が一斉に裏山に登っていた。その際に転ぶ子供も多い。軽い擦過傷くらいはしばしばで、同級生はこのような児童をサポートするというか、助けるような「実地体験」を積んでいた。他の子を思いやる場面がよく出てくるのである。

つまり「心の理論」などは、このような遊びを通じて育まれる部分も大きいのではないかと思う。

最近の子供たちは、古典的な遊びをあまりしなくなったので、この点でトレーニングが不足していると見ることもできる。

小学校の通信簿には、成績と行動評定に加え、先生の短いコメントが記載されていた。このコメントにはもちろん学科のこともあるが、行動面の特性に言及されていることも多い。

このような通信簿のコメント内容は、手に入る場合、精神鑑定などで参考になる資料である。

小学校の教諭は、やはり子供をよく見ており、この短いコメント欄にその子の本質的な特性が語られていることがある。

(今日の記事は別の話だったが、長くなりそうなので急に止め、タイトルを変更している)

参考
統合失調症は減少しているのか?

ほんの8~9歳くらいの新患の子供

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ある日、家族に同伴され、ほんの8~9歳くらいの女児が新患として訪れた。

詳細は書かないが、精神所見は重大なものとは言えず、かといって奥行き的に、重大ではないかどうかは不明と言えた。家族は、軽いうちに病院に連れて行こうと思ったのかもしれない。

「習い事をしているのなら、そのようなことを続けるのが良いのでは?」くらいに伝え、経過観察が良いと思ったので、そういう話をしてそのまま帰ってもらった。

その女児は、結局何もなくそのまま帰ることになったので、涙ぐんでいた。あるいは、来る前からそういう気持ちだったのかもしれない。

最後に、「もう少し年長になり何か困ったことがあれば、また来て下さい」くらいに伝えたと思う。

その後の話である。外来婦長と、なぜ彼女が精神科病院に受診したのかを含め、少しの時間話した。

彼女の家族はかなり遠方から、小児科ではなく、精神科病院に連れてきたのである。

僕は婦長に話した。

このような症状で、薬を出す精神科医はたぶんいない。また、カウンセラーに任せ、定期的に通院させる精神科医もいないのではないかと。

外来婦長は、僕よりもずっと深刻な診立て?をしていた。

ひょっとしたら、僕はバカなのかもしれない。

あのくらいの精神症状で連れてくる家族は、たぶん何かその後変化が起こったら、少なくとも普通の家族より早く精神科に連れてくるように思う。経過観察のメッセージは伝えたのでそれで十分と思ったし、それくらいしか対応が思いつかなかった。

その女児にとって、あの程度の症状で、遠方の精神科に定期的に通院すること自体が、たぶん有害である。

余談だが、このように診察に来てもらって、結局、話だけで終わり、初診料と通院精神療法(子供は高い)を支払って帰ってもらうのは、なんか悪いみたい(笑)。

実際、初診で、あまりにもあっさり終わるような時は、診察などなかったことにして、カルテを廃棄し、そのままお金を取らず帰ってもらうこともある。(自分の裁量。他の医師がどうしているのか、いつか婦長に聞いてみよう)。

今回の場合、生育歴や病歴の聴取に時間がかかったため、診察代を取るのは適切と思われたので普通に支払ってもらった。あれだけ時間を取り、本質的なものは「経過観察しましょう」だけだが、無料で帰すとアドバイスの重みがなくなり、良くないと思ったのもある。

「なんか悪いみたい」と思う理由は、日本人は薬など有形なものにはお金を払うのは当然と思っているが、「お話」はタダと思っている人も多いから。(傾向があるというべきか)。別にその家族のことではなく、一般的な日本人の感覚を言っている。

だからといって、無意味で無害な薬を処方するのは、なおアホであろう。

精神科医が、アホっぽい印象を持たれるのは仕方がないと言うか、それも料金に含まれていると思うしかないなと、時々思う。

参考
循環器内科



精神科医は医師になり5年目までが重要

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現在は、僕が卒業した当時と比べ卒後臨床研修制度があるため、医師免許取得後、すぐに精神医療ばかりすることはできない。

この卒後臨床研修制度は時代の要請ではあるが、当初の理想通りにはいかず、種々の問題点が顕在化した。当初は卒後臨床研修は7科のスーパーローテーションで2年間だったが、その後見直され必修3科になり、期間も実質1年となった。必修とされているのは、内科、救急、地域医療である。

この制度の影響として、医学部卒業生と大学病院医局の関係が薄れたことがある。また、その結果、半ば義務的なものだった僻地への医師の派遣が難しくなり、過疎地自治体病院の医師の確保は容易ではなくなった。

卒後臨床研修制度は、現代の若者のフィーリングにマッチしている面があり、少なくとも、旧来の医局制度のある種の窮屈さは減っているようには見える。なぜなら、どこで働くかの自由度は増していると思うからである。

今日の記事は、昔の医局制度を前提に記載しているので、そのまま現代に当て嵌められるのかはわからない。

昔の医局制度は、例えれば大工や左官さんの見習い制度に似ており、ヒヨコから色々学んで熟達せねばならず、犠牲にするものも大きかった。それも数年単位である。

僕は研修医が終わったあと、派遣病院の選択肢が2つしかなく、僻地に行くしかなかった。どちらも僻地には変わりがないので、どうせならと、とんでもない僻地を選んだ。

これには理由があり、医局員も結構いた上、派遣病院も多数あったが、医局員及び派遣病院いずれにも制約があったからである。

まず、当時、大学病院医局には県内病院の2代目の医師が多く入局する時期に入っており、誰もが遠方に派遣することは出来なかった。つまり、「派遣されるにしても、自分の親の病院が手伝えない病院には派遣されたくない」という個人的理由である。そのため、特に遠方の派遣病院は、平均して3分の1の医局員は派遣できなかった。

また、派遣される病院には大学病院との繋がりで優先順位があるのである。だから、自ずから、自分のような医局員は遠方に派遣される確率が高い。

特に僕の入局した年は極端で、県外に派遣できる医師が2名しかいなかった。当時、まだ若かったし、僻地で「信号もあまりない」などは、さほど気にならなかったが、現代社会の若者であれば、嫌と言う意思表示もする人もいるような気がする。

当時、不公平感があるとすれば(僕はさほど思わなかったが)、自分の大学の卒業生、つまり生え抜きの若い医師がたいして勉強にもならない僻地に派遣され、そうではない医局員が、地元のスタッフも施設も充実した病院で働けると言う矛盾である。

僕のオーベン(指導医)は、一緒に飲みにいく度にこの矛盾と言うか、不合理さを愚痴っていた。このような事態は、オーベンは強く問題視するタイプの医師であった。

しかし今から考えると、若い頃の1年や2年はたいした問題ではなく、誤差範囲なのである。(重要)

むしろ、僻地の病院ではどのような精神医療が行われており、都会と田舎の統合失調症の患者にどのような相違があり、地域の疾患集積性の相違もこの目で見ることができたので、本では学べないものの勉強にはなる。

当時いかなる僻地に行っても、

なんでここにはこんなに統合失調症の人が多いんだ!

と愕然とするが、実はそれは錯覚であり、どこもたいして統合失調症の頻度は変わらないのである。精神科病院に勤めているから、そう思うだけであった。

ただ、都会と田舎では「統合失調症のエネルギーの凝縮度?」のようなものの相違があり、明らかに都会の統合失調症の患者さんを診察する方が疲労困憊する。

つまり、すさまじい僻地で、統合失調症の人ばかりに囲まれて精神医療をするのは楽なのである。

実際、僻地から都会の精神科病院に移った時、忙しさのレベルや患者さんの質の相違に、最初、体調が一気に悪化した。過去ログでは、友人が「精神科患者の診察は、自らの健康に有害作用がある」と言った記事がある。(参考)。

大学医局では個々の医局員について、計画的ではなく、むしろ徒然なるままに派遣病院を決めているように見えた。その理由の1つは入局者数が毎年変わるため、計画しようにもできないのである。また当時は、民間病院はかなり精神科医が不足しており、公的病院から民間病院へ引き抜かれ異動する精神科医も多かった。実際、今でも精神科医は不足している。

若い医局員は、どこか厳しい病院で1年でも勤めると、その医局員の発言権がいくらか増し、少しだけ自分の希望が受け入れられるようになる。

医局の事情で、まだ若いのに、2年も3年もドサまわりのような僻地病院に行くようになるのは、その医局員のせいではなく、巡り合わせというか、運が悪いと言う面が大きかった。また、そうでも思っていないとやってられないと言えた。

5年目というと、大学院に行かない場合、研修医2年、派遣病院3年で計5年であるが、この時点で、天才的に治療が上手い精神科医は稀である。

その理由は上にもあるが、無意味とまでは言えないが、その5年のうち数年はモラトリアム的なスキルが上がらない病院に勤めざるを得ないためである。

僕はモラトリアム2乗の僻地病院でリハビリを終え、最も業務的に厳しいと言われる病院に異動した。これは表向きは医局人事だが、実はオーベンと打ち合わせし、そういう段取りにしていたためである。

一般の人には想像し難いと思うが、リハビリ的病院より、往々にしてそのようなハードな病院の方がむしろ給料が安かったりするのである。

給料が安いのは、その分は勉強代と思うと、あまり腹も立たなくなる。この辺りの自分の心の内面の捌きは、その後のスキルの向上に影響する。

僕は、一見あまりスキル的に意味のない病院に勤めた経験も、5年目時点での医師の総合力に影響すると言う考え方をしている。

つまりだ。良いとこ取りしようとしても、理屈通りにはいかないと言う意味である。きっと、楽して上手くなろうとしても、それは難しいんだと思う。

色々な経験を経て、やっと実につくスキルというものがある。

その下地のようなものがあるとすれば、きっと医師になって5年目までに培われるような気がしている。

(おわり)

強制退院ないし外来受診拒否の人の処遇について

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入院中、院内で不祥事を起こし強制退院になった人は、内容にもよるが、退院後も外来受診はできない。うちの病院では特に明文化はされていないが、そういうルールである。これはどの病院でも同じようなものだと思う。

強制退院処分になっても、外来受診だけは可能と言う中途半端な処遇になる人がたまにいるが、その理由は不祥事の内容による。実はこれは困ったことであり、処遇に一貫性がないので、なるべくクリアカットに決めている。

なぜ困るかと言うと、再び悪化して入院が必要な際、他病院に紹介しにくいからである。そのくらいなら強制退院にした時点で、他の病院に転院してもらった方が良い。

過去に入院ではなく、外来通院中に診療拒否処分にした人が数名いるが、これはよっぽどのことであり、そうせずに対処できないほどの不祥事のケースである。

僕はよほどの犯罪者でさえ、治療可能性がある場合は、なるだけ受け入れる方針であり、そのような人たちから、「診てくれると言った病院はここだけだった」と言われたことが何度かある。

そういう風にしているのは、変な話だが、自分自身の好奇心から来る部分が大きい。難しい人は治療したくなるのである。これは科学者の本能なんだと思う。(医師も一応、科学者なので)

このような患者で、うまくいった例は過去にアップしたことがない。その理由は2つあり、1つはそのような事件性のある内容であること。もう1つは、どこをもって寛解ないし治癒なのか判定し難いことがある。マイナスの所見がいくら続いてもいつか起これば、それはプラス(つまり寛解していない)を意味する。

治療してみたい言っても、周囲が納得しないケースもある。以前、勤めていた病院では、「自分が院内にいる時だけ受診はできるが、他の医師は絶対診ない」という患者が数名いた。ある時、ある患者が、自分が不在の時に受診し外来で事件を起した。その患者は理事長の命令で以後、診療拒否処分になった。

そのような人たちは、やはり不祥事を起こすので、たまに警察から電話がかかってくる。

初診か2回目の受診の時点で、あらかじめ「警察沙汰になった場合、自分の患者だから、事実を捻じ曲げて、貴方に有利な証言など一切しない。自分が考えている通りに話す」と言ってあるので、そのまま、起訴されて有罪になることもあるが、概ね、精神障害者には警察や検察は弱腰であり、処分保留になることが多かった。

この結果は自分の説明のためではなく、当局がそのような姿勢だったからである。(起訴したからには100%有罪を目指すみたいな・・)

真の犯罪者は、とっさに機転をきかし、自分が罪にならず、処分保留になる言い方を心得ている。そういう人は、たとえ精神障害者であっても、有罪になるべきである。(責任能力あり)。

一般の人はよくわからないと思うが、精神障害者かどうかと、責任能力があるかどうかは別物である。

ある時、希死念慮が持続し、酷いリストカット痕のある若い女性を診ていたことがあった。この女性はセロクエルやベゲタミンAなども併用しないと、眠れず仕事もできない人であったが、治療中は概ね落ち着いていた。

その後、全然予想もしなかった事件が起こった。その女性の父親と姉から、別々に自分に電話がかかってきたのである。

その内容はほぼ同じで、「金儲けのために、あの子に眠剤を出しているだろう」と言う治療自体を糾弾するものであった。もし治療を続けるなら、「○○するという」脅し付きである。

これは病院側からすると、彼女の診療を断れば、それ以上のことは起こらないので、本人に事情を説明して転院してもらうことにした。つまり診療拒否である。

貴方には全く責任はないが、この病院になにか起こった場合、それ以外の患者さんが非常に困る。だから、他の病院に転院してほしい。家族は転院しても他県在住なので、すぐには通院病院は突き止められないだろう。

こういう場合、紹介状もかけない。そうして数年の年月が流れた。

数年後、彼女から僕に電話がかかってきた。再び診察を受けたいと言うのである。その理由だが、診療拒否の電話があった2人は既に別々に自殺しているので、うちには迷惑がかからないという凄い理由だった。

その後、彼女は急回復し、資格をいかしてデザイン系の仕事に就いている。

たぶん、いったん外来受診拒否にした患者さんのうち、後に再び診療するようになった人は、彼女ともう1名くらいである。

今回の話は色々な教訓がある。

希死念慮は本人の心の奥深くに入り込み、その疾患性が思いつかないことが1つ。多分、本人は性格の一部分のように捉えているように見える。これは「最初にお読みください」の一番上のエントリ「なぜ自殺が良くないのか」のコメント欄を見ているとよくわかる。

精神科医療を受けない方針が、いかに悲惨な結果になりうるかも示している。

彼らは、診療を受けていても自殺したかもしれないが、そうでない確率も結構高いと思われるからである。

参考
希死念慮の謎
強制退院の話

人生として成立していないほどの精神状態

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精神科医は患者さんを診た際、あまりにも重篤で、

人生として成立していないほどの精神状態。

と判断される時は、その事態が収拾可能であれば、たとえ一時的に薬物が大量になったとしても、その方針で臨む。

チンタラ良くなりようがない中途半端な治療は、時間がかかるので悪手、愚策である。それは患者の人生全体に影響する。(治療に即反応する人はそれで終わり)

過去ログにも、このような病態は「時間かかると予後が悪くなる」という記載が度々出てくる。(参考

その方針の大きな理由は、精神科医のその患者を救おうとする「本能的なもの」から来る。

人生として成立していないほどの精神状態なんて、そんなのあまり意味がない。

精神科医は人を診るというか、生きざまと対峙する医師なので、視点が他の科と異なるのである。

平凡な人生のワンピース、例えば、好きなものを買ってくるとか、美味しいものを食べに出かける、好きなスポーツを観る、どこか興味がある地方に旅行に行くなど、一般の人が自然にしていることができないなんて悲惨すぎる。

これは、人生の質的なものを重視しているといえる。

ここが精神科医と、身体を診る科の医師の最大の相違点。


身体科の医師が、ある時点の処方を見て、「薬が多すぎる」とか、「副作用が出ているじゃないか?」のは、精神科医から見れば、机上の空論である。

最初から、治療の前提が異なっているので、そんな風に思うのだろう。

参考
専門性について
薬剤性肝障害
多剤併用についての話
長嶺敬彦「抗精神病薬の「身体副作用」がわかる」の感想
オーストラリア旅行に来ていた患者さん


医師と海外旅行

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kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)
ハワイで撮影した風景。5年以上前のもの。

現在の航空機はほぼ全席禁煙と思うが、かつてはそうではなかった。

最初に僕がハワイに行き始めた頃、航空機は禁煙席と喫煙席に分かれており、たいてい後方が喫煙席であった。

当時は「禁煙席」の意識が低く、喫煙席と禁煙席は何も遮蔽するものがなく、禁煙席でも喫煙席の1列前だと、かなり副流煙が来た。今だったら客から苦情が出ると思う。

ツアーの際も、座席の禁煙・喫煙席は希望しても確実には保証されないのである。やはり意識が低かったとしか言いようがない。搭乗する当日、空港で航空券を受け取った際、初めて喫煙席とわかりガックリした。

僕の記憶では、いつもツアーでは禁煙席を希望したのにもかかわらず、禁煙席だったことは1度もない。喫煙席は安価で旅行会社に売られていたのかもしれない。(実際はよくわからないが)。

ひとまとまりの喫煙席では、空席に禁煙席から次々と喫煙者がやってきて、一服するため大変なことになった。航空機内は窓が開けられないので、毒ガスが充満し、空間がおぼろげに見えると言っても言い過ぎではないほどである。

遂に耐えられなくなり、禁煙席から喫煙席によくタバコを吸いに来る人に声をかけ、席を替わって貰った。これは頼めばほとんどの人が替わってくれたので、喫煙者にとって自由に喫煙できるのはありがたいことなんだろう。

そうして、やっとパチンコ屋のごとき副流煙の座席から脱出できたのである。

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この蔓のような木は何本にも見えるが、実は1本らしい。

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そして、何時の頃からか航空機は全席禁煙になった。これは僕たちにとっては、ありがたいことであった。機内でタバコの煙に塗れることがなくなったからである。

まだ全席禁煙になったばかりの頃、客の方はまだ付いていけず、トイレでこっそり喫煙する人たちが結構いた。そして、スチュワーデスさんに機内放送で注意を受けるのである。

今、トイレ内で喫煙した人がいます。トイレでの喫煙は危険ですので止めてください!

特にトイレのように狭い空間で火を扱うと、防火システムが発動しかねず危険だったのであろう。

ハワイの場合、日本からだと行きは8~9時間くらいで着く。これはほとんど起きているだけに、ヘビースモーカーにとって、大変な長時間である。

全席禁煙になったことで、ヘビースモーカーにとって、ハワイでさえ、非常に敷居が高くなったといえた。当時、僕の友人は喫煙できる航空会社を探し、やっと1つだけ見つけ、その航空会社が連れて行ってくれる国に旅行に行った。

何がしたいのかさっぱりだが、喫煙者にとってそれほど切実な問題なのである。

ハワイでは、その後、ホテルも禁煙の縛りが強くなり、おいそれとどこでもタバコが吸えなくなった。日本人のハワイへの旅行者の減少は、1つは経済的な苦境もあるが、禁煙にうるさいことも関係していると思う。

僕が始めてラスベガスに行った時、カジノでは喫煙テーブルと禁煙テーブルが別れており、隣で喫煙されたくなかったら、禁煙テーブルを選べば良かった。

それぞれのテーブルに仕切りがないので副流煙は多少はある。しかしラスベガスのホテルの天井はとてつもなく高いこともあり、さほど影響はなかった。

オーストラリアのカジノは完全禁煙なので、周囲で喫煙される心配はない。僕が凄いと思うのは、隣のオーストラリア人の息もタバコ臭くないこと。あの人たちは案外喫煙率が低いのかもしれないと思った。

それに対し、中国人の中年以上のオッサンは明らかに普段タバコを吸っているのがわかる。隣に座られても、それを感じるからである。

オーストラリアのカジノでの中国人と日本人の比は20:1くらいである。

オーストラリアのカジノで大きく張っているのは、たいてい中国人である。中国人ではあるが、本当に中国からやって来ているのか最初は疑っていた。オーストラリアの近くの国、例えばインドネシアやシンガポールの華僑ではないかと思っていたのである。

しかし、どうも中国本国から来ているようなのである。オーストラリアに来ている中国人だけでなく、日本に来ている中国人もそうだが、凄くお金を持っている。

こんなところでも、日本の国力の低下を痛感するのであった。

今日のタイトル「医師と旅行」だが、医師はまとまった時間が取れないので、あまり海外旅行をしていない。友人に聞いても、「新婚旅行で行ったっきり」という人が多い。開業医だとなおさら行っていないようなのである。一方、大学病院に長くいる人は、海外での発表や留学などで海外に行っている。(住んでいた時期がある)

また僕の世代だと、元喫煙者の方が遥かに多いので、禁煙にうるさい海外よりは日本国内の旅行を選ぶ人が多い。日本国内も今は喫煙できない場所が増えたが、海外よりは遥かにアジアしているからである。

元喫煙者と書いたのは、今は禁煙している人が多いから。いつだったか、大学の同窓会があった時、二次会でテーブルに灰皿が出されていたのに、誰1人タバコを吸わなかった。そのため、灰皿を片付けてもらったほどである。

それに対し、精神科医は禁煙が難しい。

精神科医の同窓会になると、パチンコ屋か雀荘のようになる。それに対し、若手の医師は精神科医でもタバコを吸わない人が比較的多いと思う。

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トローリーと呼ばれる観光用のバス?から撮影。

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これはハワイのお店で撮影。

サプリメントの離脱のためにサプリメントを使う

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今日の話は、「サプリメントを飲みたがる人」の続き。

この高齢の女性患者さんは、結局、3つのバッチフラワー、

①レスキューレメディー
②オリーブ
③ホワイトチェストナット


の2本目を飲み終わる頃にはほとんど精神症状は回復し本来の彼女の状態に戻った。

この3つは用法が違うので、ほぼ同時期になくなるというのが謎である。これらはグリセリンベースの10mlボトルで、レスキューレメディーは1回2滴、それ以外は1回1滴と言っていたので、普通なら、レスキューレメディーの方が早くなくなってもおかしくない。(回数は本人にまかせた)

現在の処方は、

リリカ 12.5mg
リフレックス 7.5mg


がメインであるが、実質的に、彼女の精神症状を改善したのは、上の西洋薬2剤の役割が大である。

バッチフラワーの3つは、サプリメントの離脱のために使う感覚だった。つまり幕間つなぎ的なサプリメントである。変な話だが、

サプリメントの離脱のためにサプリメントを使う。

と言ったところ。今はレスキューレメディーは使っても良いかもしれないが、それ以外は止めてしまっても症状はたいして変わらないと思う。全て止めてもたぶん問題ない。

そんな風に彼女に説明したが、本人は何がどうなって良くなったのかよく理解できないらしい。だから、薬を変えてほしくない人のように、未だにバッチフラワーを続けたがっている。

なんだかんだでまた買いに行かされる雰囲気になった。

ところが、グリセリンベース(日本人向け)のバッチフラワーはアマゾンで買えることが判明。しかもデパートやTUTAYAで買うよりちょっと安い。手間が省けてよかった。

このタイプの老年期のうつ状態は非常に強い不安感を伴い、時に妄想を伴う。混沌とし、どんなにあがいてもうまく行きそうにないように見えることがある。

彼女は、いったんサプリメントも含め薬を中止するという方針を取り、その場面でバッチフラワーを使っている。

日本人女性は、ホワイトチェストナットが比較的合う人が多い(個人的印象)。

もう少し若い女性で、ホワイトチェストナットとオークで素晴らしく回復した人がいるのだが、エントリにするにはあまりに長くなりそうな上、最初からこの2つのサプリメントが出て来るわけではないのでアップせずにいる。(4~5年前の患者さん)。

それと個人的に、オークの作用について、未だに疑問符が残っていることがある。(オークではなく、他のレメディの方が良かったのではないか?と言う疑念)。

バッチ博士は1886年に出生し1936年に亡くなっているので、現在の西洋薬より、遥か以前にバッチフラワーは発見されている。歴史のあるサプリメントなのである。

レスキューレメディーは不安に治療的だが、酷い病態であれば、ほとんど効果がない。しかし、離脱症状を緩和する手法は過去ログにも出て来る。

失声とレスキューレメディー

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「失声」は転換性ヒステリーの1つの表現型であるが、精神科ではこれを主訴に初診する人はかなり稀である。

なおフロイトの症例では、転換性ヒステリーが良く出てくる。ヒステリーでもガンサー症候群に比べ「失声」は医師へのインパクトが少ない。失声の場合、家族に同伴されて初診するケースがほとんどである。

失声以外にこれといった所見がないパターンが多く、妙に精神症状は安定しているように見える。まるで精神症状がこのヒステリーに凝縮されているようである。だから、自分の場合だが、何らかの西洋薬を処方することは稀である。許されるなら、

放っておいたら、やがて声が出るようになりますよ。

と伝え、帰ってもらっても良いのだが、そういうわけにもいかないので、仕方なくレスキューレメディーくらいを勧める。

レスキューレメディーは不思議なことに失声に治療的であり、レスキューレメディーを勧めた5人中4人は2週間以内に魔法が溶けるように回復している。(5人と言うのは記憶の範囲。やや不正確かもしれない)

外来婦長さんに、(失声は)

1週間で良くなる人が多いですね。なぜですか?

と聴かれたことがあるが、「僕に聴いてもわからない」と答えた笑い話がある。本当にわからないのだから仕方がない。

放っておいても失声は回復すると思うが、真に放っておいた場合、1週間では改善しないと思うので、西洋薬や漢方も含め、使うとすれば、レスキューレメディーは悪くはないであろう。

バッチフラワーは何らかの向精神作用を及ぼしているようには見える。それは例えば、スターオブベツレヘムなどで「泣き続ける女性」になったりするためである。

これは過去ログで少し触れている。(リフレックスの悪夢とトピナ⑨から再掲)

外傷体験のある女性患者さんにバッチフラワーのスターオブベツレヘムを処方すると、とにかく診察中にさめざめと泣くようになる。入院中の患者さんでもそれは同じである。あれはあれで、治療的なんだと思うが、本人にとって極めて苦痛を伴うことのようには見える。

しかしトピナはそういう心への関わり方はしない。トピナは「右から左へ受け流せるようになる」ことで、過去の問題を苦痛なく次第に減弱させていく。

つまりだ。スターオブベツレヘムは精神療法的だが、トピナは固有の薬理作用をベースに効果を及ぼしている。ただ、トピナは決して服用しやすい薬ではないので服用できない人がいるだけである。スターオブベツレヘムはいったん過去に戻って反芻し、トピナは前向きに発展していくスタイルともいえる)。


何も反応がない人がいるが、それも1つの重大な精神反応と考えている。

ただ、自分の場合、初診からレスキューレメディーなどサプリメントを勧めることは滅多にない。こういうのを勧めすぎる精神科医がいたとしたら、彼は危険人物である(笑)。

僕が失声にレスキューレメディーを勧めるのは、西洋薬では「とりあえず打つ手がないから」というのが大きい。

上で、5人中1名だけ全然効かなかった人がいると記載しているが、この女性は治療中、家庭内で大事件が起こった際に出現している。つまり、彼女だけ初診ではなく既に向精神薬を処方していた(サインバルタやラミクタールなど)。この差が大きいのかもしれないが、詳細は不明である。

失声が1ヶ月以上続いたため入院を勧めた。あまりにも長く改善しなかった場合、ECTをする予定だった。入院後、特別なことはしなかったが、1ヶ月以内に徐々に声が出るようになった。彼女には入院以後はバッチフラワーは使っていない。回復のパターンだが、最初は吃音が酷い人のようにカタコトだったが、次第に引っ掛かりがなくセンテンスが喋られるようになっている。

最初、彼女が声が出始めた当初は、看護者や家族ではなく、自分に対してしか声が出なかった。

彼女を診ていて思ったのだが、外来の場合、ある日再診したときに、既に綺麗に喋られるようになっている人が多い。だから、どのような順序で良くなったのか、個々の患者さんによく聴いておけば良かったと思った。入院の場合、毎日ではないにせよ、密に精神所見が観察できるのに対し、外来はかなりブランクが空く欠点がある。

しかし、これからが重要だが、ヒステリーの失声は、声が出るようになれば良いと言うわけではないのよね。よく考えると、当たり前だが・・

外来患者の場合、声が出るようになってからが大変。失声が改善すると、他の精神症状が一気に顕在化することがある。そこから、向精神薬を使うパターンになることが多い。

僕は、「あらら・・」と思うが、それからの方が方針は立てやすい。失声の状態は、ある種の仮面をかぶった状態で正体が見えない。(家族が同伴しているので、何が原因かは予想は出来るが・・)

レスキューレメディーであっさり失声を解消することが良いのかどうか疑問に感じていた時期がある。たぶん「早く良くなる」というのはそれなりにリスクがあるのである。

あの病態は、失声だからこそ精神が安定している面がかなりあるから。

以下は、ある女性患者さんの失声が改善し、1週間目に泣きながら話した内容である。最初、「腐ったりんご・・」と言っていたので、何のことかさっぱりわからなかった。以下は素早くメモしたものだ。

腐ったりんご・・
腐ったところを除くと、みんなが食べられるかもしれない。自分には広い視野が足りないと言われる。ずっと夫から言われていたのにピンと来なかった。


これはよく読むと凄い内容だと思う。彼女のこの言葉は、ある種の強迫の洞察になっている。

ジプレキサ筋注用10mg発売予定

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平成24年11月~12月にジプレキサの筋注用10mgバイアルが発売予定らしい。

現在、抗精神病薬のうち持続性ではない注射剤では、セレネース、トロペロン、コントミン、ヒルナミンの4剤が発売されてる。前者2つはブチロフェノン系、後者2つはフェノチアジン系である。

この4つは僕が医師になった時には既に発売されていたので、抗精神病薬全体のカテゴリー内でも久しぶりの発売と言える。

特に非定型抗精神病薬のうちのジプレキサ注射剤は本邦では初めての発売である。(持続性抗精神病薬のリスパダールは除外している。即効性ではないので)。

上のイーライリリーのパンフレットは、中央部分に若い男性が映っていたため削除。

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パンフレットの裏側。
ジプレキサは現在、錠剤では、2.5、5、10mgの3剤型、1%細粒、5mgと10mgのザイディス錠が発売されている。それに加え筋注用注射剤が加わったわけである。

筋注用ジプレキサの効能効果は、今のところ「統合失調症における精神運動興奮」となっており、躁状態には適応が取れていない。

今後は、特に精神科救急などでジプレキサ筋注が実施されるようになると思われる。もちろん、セレネースやトロペロン筋注なども行われると思う。その理由だが、医療経済的な差が非常に大きいと思われるからである。

ジプレキサは10mg錠の470円の3倍くらいの薬価になりそうである(つまり1500円前後)。

また、筋注用ジプレキサはリスパダールコンスタと異なり定期的に実施するものではなく、急性期の興奮時に即効性を期待して実施される。だから本来、連用されるものではない。

非常に効果の発現が速いらしく、筋注直後、約15分で効果が出ると言う。

全く帰る家がない人

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長期入院している患者さんの中に、全く帰る家がない人がいる。それどころか親戚も皆無である。

そのような人は住所も病院になっており、障害年金の診断書など提出書類の住所も同じである。これは決して珍しいことではなく、最終的に病院か搬送病院先で亡くなった場合、お葬式やその後のことも精神病院がいろいろ考えなくてはならない。

ある女性患者さんは、原爆で自分以外の家族全員が亡くなったらしい。しかし、彼女は奇跡的に助かり、しかも熱傷すらなかった。

その後、時間が経って統合失調症を発病したのである。

被爆と統合失調症はおそらく無関係である。広島や長崎で統合失調症が多いなんて聴いたことがない。元々、脳など神経組織は放射線に強いこともあるのかもしれない。

彼女は病型は非定型であり荒廃がなかった。ただし、もう高齢なのである。彼女は10年くらい前までたまに正月などに温泉に1泊旅行にでかけていた。

帰る家がないとはいえ、定期的に病院から温泉旅行に行く人は過去に彼女しか知らない。現在、彼女は旅行ができるほどの体力はない。

彼女は過去に脳神経外科や整形外科で手術を受けたことがある。ある時、認知症のような物忘れや不注意と思われる症状が出た。看護者らはその時、「この人も高齢だから」と言う話であったが、よく話を聞いてみると、急に出現したらしく発症の経緯に不審な点があった。

何も原因がなく、急に認知症になるなんてありませんよ。

と看護者に話した。まだその病院に来たばかりであり、それ以前の様子が100%わかっていたわけではないが、脳神経外科に受診させたのである。

診断は「慢性硬膜下血腫」で、手術をした方が良いと言う話であった。慢性硬膜下血腫は高齢者では、脳神経外科的診断のうちでは比較的ありふれた疾患だが、統合失調症の人では多くは経験しない。

手術を受ける場合、麻酔や手術の前に本人と家族の承諾書や保証人が必要になる。このように全く身寄りがない人では、院長の自分が保証人になるしかない。身寄りが全くない患者さんはそうそうはないが、たまにこのような事情の際に患者さんの保証人になっている。

住宅ローンのように保証人を回避する方法がないのが辛い。保証人になった場合、どのようなリスクが生じるか考えてみた。

医療費については保険も効き、本人が支払えるので問題ない。困るのは、まだ体力がある人で、医療機器を壊してしまうとか、医療に携わる人に怪我をさせてしまうことであろう。何らかの身体的疾患が重篤でそれどころではない人は問題ない。他人に対し怪我をさせるというのは考え難いが、何らかの検査の際に急に暴れ出し医療機器を壊してしまうことはありうる。

これは精神科の患者さんだけでなく、精神科に入院していない認知症の高齢者、またはそう高齢ではない人たちでもありうることである。

「なるな保証人」と言う言葉があるが、この場合はならざるを得ないのである。(ならなかったら手術どころか入院も難しい)

彼女はこの1回を含め、過去に3回、手術を受けており、全て自分が保証人になった。

彼女はボケてはいないので、今でも非常に感謝しており、年賀状にはよくそのことが書かれている。

参考
古典的ヒステリーは器質性疾患なのか?


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