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Channel: kyupinの日記 気が向けば更新
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ラミクタール単剤と抗うつ剤

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普通の抗うつ剤が副作用で服用できないような人は、ラミクタール単剤で劇的に良くなることがある。それも12.5mg程度の少量。

一般に、双極性あるいは単極性の難治性うつ状態に対しラミクタールが使われることが多く、最初から、単剤でラミクタールを試みることは稀である。つまり、最初から他剤併用でラミクタールを処方することがほとんどである。

ある時、どこの病院でも良くならないと言う女性患者が初診した。3環系は体への負担が強すぎて服用できず、またSSRIも不安感が強くなったり、かえってパニックになるなど服用できないと言う。

このような人ではラミクタールを最初に処方することも一考である。少なくともトピナよりは処方しやすい。(このような人は初診だが、初診でないようなものだ。)

この女性患者はラミクタールが奏功し、また副作用も全くと言って良いほどなかった。12.5mg隔日でも相当に良かったが、その後、服用しやすいように連日12.5mg服用させることにした。(1日おきに服用の指示は混乱しやすいこともある)。

しかし・・
わざわざ入院までさせて、ラミクタール12.5mgだけ処方し、「これで大丈夫です」と退院させられるだろうか?(←反語)

精神科医の視点では、いくら全快した様に見えても、ラミクタール12.5mgだけというのは安心できない。せっかく入院までしたのなら、何らかの抗うつ剤の併用を考慮したいものだ。(退院後、生活上のストレスで少し悪化することも考慮している)

種々の3環系抗うつ剤を試みたところ、彼女の場合、アンプリットなどの比較的服用しやすい薬でさえ継続が難しいことがわかった。

なぜ、本人が普通の抗うつ剤は服用できないと言っているのに試みるかだが、他人が処方するのと自分が処方するのでは、副作用の出方が異なることもあるから。それに全ての抗うつ剤を試みたなんて、普通はありえない。そのような試みをするために入院までさせているのに・・

彼女は、アモキサンなどの少量は服用可能なことがわかった。ラミクタールは他の気分安定化薬や抗うつ剤、ベンゾジアゼピンと併用されることが多いと思われるが、抗うつ剤では馬力の出るタイプが併用の相性が良いように思う。例えば、

①ラミクタール+アモキサン
②ラミクタール+ノリトレン
③ラミクタール+ブプロピオン


などである。ただ、これらの組み合わせはラミクタールが少量のケースである。

ラミクタールはストレスに対する感受性を下げるなどのSSRI的な効果を持つので、平凡な馬力系の3環系の方がフィットしやすいのであろう。ラミクタールとSSRIの併用はダメとまでは言えないが、相乗効果として悪い方向に行くこともある。

治療の序盤では抗うつ剤との併用が望ましいが、時間が経って安定してくれば、ラミクタール単剤でも良い人もいるように思った。なぜなら、時間が経ちリボトリールとかメイラックスだけで良い人がいるくらいだから。

参考
古いタイプの抗うつ剤とSSRI

大学の倫社の試験?の夢

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奇妙な夢を見たので書きとめておく。

大学時代、特に教養部と基礎医学で出席しない授業が多かったが、試験だけは出席していた。これを休むと不合格になる。

なぜか大学で倫社の試験があった。その時の夢の話だ。(実際はそんな科目などない)試験前日に少しだけ準備した。午後3時からの試験で手間取っているうちに午後3時5分になり、これは遅刻になると焦った。

部屋を出てすぐに試験会場に急いだ。なぜか試験会場の1つ上のフロアが僕の部屋だったので、階段を下りていく。

ところが、そのフロア(たぶん3階)は学生でごった返しており、どこが試験の部屋なのかわからない。どうもその学生たちは1学年下の人たちのようであった。そこにいた後に耳鼻咽喉科に進んだ学生に尋ねると、実験室の方向を指差すので急いでそちらに向かう。

試験会場の外では、既に試験を終えた学生たちが部屋から出てきており、大型テレビで日本シリーズを観ていた。大画面にピッチャーの上半身が映し出されている。「これはヤバイ」と思いつつ試験の部屋に入った。普通、試験を終えて学生が退室する時間には試験が受けられない規則だが、まあこれは夢ということで・・

部屋の中に入ると、皆立って試験の採点(実際はそういう試験はなかったのだが)をしているようであった。

試験の採点中に、ドサクサに紛れて、まだ試験を受けていない学生が飛び込んできたわけである。

自分の席辺りに行くと、隣の○○君が、「僕の答案をそのまま写すといいよ」と言った。まあ優しい・・

試験時間が何分残っているかと聞くと、あと15分と言う。どうやら試験開始時間を間違えたらしい。

過去に、基礎医学の神経解剖だったと思うが、前日にほとんど試験勉強をせずに出たことがあった。授業も3~4回くらいしか受けていない。全く出席を取らない教授で、「自分で勉強するならそれで良いです」と言っていたほどである。前日の試験勉強の時間は20分くらいであった。もちろん合格するとは思っていない。

いざ出席してみると、たった4題しかなく、菱形窩の神経核を全てイラストで書かねばならない問題と、小脳から発する神経路?を全て挙げて説明する問題だけはできたが、後の試験は自信がなかった。1題は全然見当もつかないシロモノだった。

ところが、わからないもので、なぜか合格だったのある。

医学部の試験は合格か不合格かしか発表されないので、試験点数まではわからないが、たぶんギリギリだったと思う。しかし、この試験に大遅刻してきた奴がいたのである。試験時間のたぶん3分の2以上経過していたと思う。彼もなぜか合格し、そのためでもなかろうが、後に基礎医学に進んだ。

この神経解剖の試験は決して簡単な試験ではなかったらしく、再試、再々試、最終口頭試問まで行われた。この神経解剖で留年者が出たほどである。

余談だが、アメリカなどでは解剖学は滅びつつあるらしい。というのは、コンピュータが発達してソフトで本当に自分で勉強できるから。「日本はまだ良いですよ」という話だった。(日本では解剖学講座として成立しているため)

夢のお笑いの倫社の話に戻るが、その試験は2本立てになっており、筆記と実技である。実技の方はなぜか「お弁当を作る」試験で、テーマは「野菜フライ弁当」のようなものであった。チキンのから揚げや牡蠣フライもあったので、むしろミックスフライ弁当と言うべきか。

やはり、冬は牡蠣フライである。(謎

筆記試験のところはほとんど書くところなどなく、一番上だけになぜか過去に習った先生のような名前を列記する部分があった。皆、10人前後書いていたが、全く不思議な試験であり、何名か書いているうちに、お弁当の方も気になり、そちらを先にすることにした。とにかく時間が差し迫っていたからである。

隣には女の子がおり、この女子学生は過去ログに出てきている(参考)。彼女が、「カンニングがばれるといけないので、盛り合わせは変えたほうが良いよ」と面白いことを言い、彼女自ら牡蠣フライと野菜フライの盛り合わせ方を変えた。しかも「タルタルソースも多めの方が良いかも?」と言い、バンバンかけていた。

この夢は自分で夢と気付いていないため、なんだかおかしくてたまらなかった。

この辺りで夢が終わった。合格したのかどうかは不明である。

参考
強烈な印象の夢(2009年1月31日)
獏(バク)
稀に学生時代の夢をみる

マルク・シャガールと10時10分

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マルク・シャガールのスライドショー。音楽は前半2曲(Brightest、Coffee)はアメリカのロックバンド、コープランドによる。コープランドはロックの中でも、エモ、クリスチャン・ロック、アンビエントなどのジャンルに属する。2000年頃に結成され2010年に解散。

マルク・シャガールはロシア(現ベラルーシ)出身の20世紀を代表する画家。彼は1887年、ベラルーシのユダヤ人家庭で生まれ1985年に亡くなっている。あの時代に生きた人としては長命で作品も多い。その作風から「色彩の詩人」と呼ばれている。

彼の作品の中で、度々振り子時計が出てくる。しかもその振り子時計は、ほとんどの場合、午前10時10分を指している。

普通、子供に振り子時計を描かせると、自然に10時10分の絵を描きそうである。あるいは午後3時くらいか?

だから、あのシャガールの10時10分は、図柄のバランスが良いだけで、あまり意味がないのではないかと思っていた時期もある。シャガールが最初に振り子時計を描いたのは、1909年(1910年?)の「安息日(サバト)」という作品と思われる。上の映像では、4分28秒目に出てくる暗い印象の絵なので参照してほしい。

この安息日では良く見ると10時10分というより、10時5分くらいに見える。後に出てくる絵ではほとんどと言って良いほど10時10分である。たまに11時10分と言って良い絵や、長針も短針も描かれていない空白の文字盤の絵もある。

この安息日では、当時のベラルーシの彼の家庭の居間が描かれている。目立つのは、石油ランプや蝋燭、吊りランプ全てに明かりが灯されていること。この居間は綺麗に片付けられているし、安息日のお祭りの準備ができていた様子が描かれている。

上のスライドショーには出て来ないが、1914年の「時計」という画面いっぱいに描かれた振り子時計の作品がある。この振り子時計は、彼の両親が大切にしていたものだったようである。この「時計」の絵では、巨大に描かれた振り子時計の向かって左下の隅に小さく、窓に向かって頬杖をつく男性の絵が添えられている。これは「憂鬱(メランコリー)」を象徴する図像であるという。また1949年の「青い翼の振り子時計」の作品も強烈である。この作品でもちょうど10時10分を示している。

どうも西洋的には、時計そのものに「うつろいゆくもの」や「存在の危うさ」を象徴するイメージがあるらしい(ヴァニタス)。東洋的には「無常」といったところか?


シャガールの絵では、しばらくの潜伏期を経てこれらの振り子時計や安息日で出てきた吊りランプが度々出てくるようになる。その時計の指し示す時間が、例え逆さまだったとしても、10時10分なのである。

上のスライドショーでは、8分11秒目に出てくる1943年の「軽業師」という作品では時計は逆さまなのに10時10分になっている(正確には10時8分くらいに見える)その他、スライドショーの9分21秒にも絵画の上のほうに10時10分を指し示す振り子時計が小さく描かれている。

シャガールの絵では、パズルの一片のようにある一定の「絵のマーク」の繰り返しが見られる。それは、時計、ランプ、梯子、雄鶏、魚、山羊などである。彼にとって、これはある種の象形文字であり、文字と絵画の中間的な意味を持つのかもしれない。

あの10時10分には意味があることが、何かの書物を読んでいたときに知った。あの10時10分はユダヤ教の主要教派の多くが聖典としているタルムードに由来するという。

午前9時は、アダムとイヴが神に禁断の実を取って食べることを禁じられた時刻である。そして午前10時は禁断の実を食べてしまった時刻(原罪)。午前11時は裁きを受けた時刻、更に12時は楽園を追放される時刻である。

つまり、10時10分は原罪を犯した直後の、まさに空中遊泳の時間なのである。罪を犯して裁きをまだ受けていない非常に不安定で不安感の強い時間ではあるが、今なら何でも許される時間でもある。

これは自分に擬えても、その時の落ち着かない気持ちが想像できる。1930年くらいから、あの振り子時計が多く描かれ始めたのは、その時代のヨーロッパの世相も関係していたのであろう。

参考
Ave Maria(Hayley Westenra)
クリスマスカード



アメブロの退会トラブル

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日曜日のお昼頃、アメブロの自分のマイページを開こうとしたところ、既に自分が退会していることが判明。いったい、何のこっちゃ?と思った。

ログインのためパスワードを入れるが、何者かにより退会させられているためログインできない。しかし、自分のブログは普通に閲覧できるので、読者の人は僕が退会させられていることに気付かなかったのではないかと思う。

アメブロスタッフのお知らせによると、不正アクセスのために、かなりの読者が退会になるトラブルが発生しているらしい。復旧まで待つようにというコメントがあった。日経ネットを見ると、

ネット広告大手のサイバーエージェントは25日、コミュニティーサイト「アメーバ」が第三者からの不正アクセスを受け、一部会員が退会状態になって利用できなくなるトラブルが起きたと発表した。個人情報の漏洩や不正利用はないという。同社によると、約2千万人いる会員のうち、サービスが利用できなくなったのは約5万人。

といった記事も出ている。なんと、アメブロの会員は2000万人もいるのである。信じられない数字。日本は赤ちゃんから老人まで入れても1億ちょっとしかないのに・・

また、退会のトラブルに見舞われた5万人も大変な数である。その5万分の1に入ってしまったのである。(2000分の5と言うべきか。)

アメブロは無料会員と有料会員がおり、自分の場合、いろいろな制約があるので無料会員にならざるを得ない。

有料会員になると自分にとって、最もメリットがあるのはアメブロメールが2ヶ月で消去されないこと。これは非常に大きい。今のところごく一部の保存したメール以外は2ヶ月経つと全て消えてしまう。

またブログ周囲の宣伝が消去できるのもよろしい。自分の最新の記事の下に、妙な宣伝サイトが載るのは気分が良くない。このブログは無料会員だから、あのような変な宣伝も付いてしまうのである。

アメブロはずっとセキュリティが甘いと思っていたので、有料会員になると、万一ハッカーが侵入した場合、個人情報が漏れてしまう危険性がある。そのため、匿名を保てる無料会員のまま続けるしかないのである。

今回は、アクセスできなくなったのは相当に驚いたが、過去ログを消去されたりしなかったのは良かった。実は、ほとんどの過去ログは下書きなしで一発で書いているので、下書きのワード文書など残っていない。

しかし、何らかのアメブロの大トラブルの際に消えてしまうこともありえるので、過去ログをIE8のウエブの状態で保存している。しかし、個々の記事単位では保存していないので、復旧してもコメント欄は消えてしまう。

僕のアメブロは1ページに5つの記事があるが、1ページごと5つ分の保存をしているわけである。半年に1回ね。以前は10くらい?の記事を1ページに載せていたが、読者の方から、アクセスが集中した時に重いと言う意見があり、今は5つにしている。

このブログの過去ログには膨大の数の記事があり、どのようなことを書いているのか覚えていないものも多い(過去ログを探して見ると驚くほど。こんな記事を書いているみたいな・・)。もう一度同じ記事を書けといわれても多分書けない。相当に酔っ払って書いてるのもあるし(笑)

今回のトラブルで、7月以降全く保存していなかったので、急いでシャガールの記事までを保存した。保存する手間は5つずつだとたいしたことはない。

ちょっと思ったのは、今回のトラブルは新聞に載るほどの大事件だったので、サイバーエージェントも復旧にお金と時間をかけてくれたが、もし5万人ではなく5人くらいの被害者だったら、単に「パスワードの管理が悪い」で済まされてしまった可能性もある。無料会員であるだけに。だいたい、無料会員なので、復旧が後回しにされないか心配していたほどである。

アメブロは、いったん自分のブログのマイページに入ると、クッキー?のせいと思うが、IDやパスワードを入れなくても自動的に入れる。たぶん数週間は大丈夫である。これだけ手間のかからないブログも少ないと思う。

海外旅行の際、JTBの無料インターネットサービスで自分のサイトを検索し、マイページをクリックしたら、全く知らない女性のマイページが開いた。メールがいくつか来ており、またコメントもついていたようである。アメブロの別のユーザーが、そのコンピュータを使い、マイページに入ったままログアウトしなかったためである。(僕がログアウトしておいた)。

同じミスを自分がしないようにしないといけない。やはり少し不便でも、デフォルトで時間が経ったら自動ログアウトになる方が良いと思う。セキュリティを考えると。

しかし・・
今回は、いかなる方法で5万人も一度に退会させたのか不明だが、そのようなスキルがあるのなら、もう少し有用で人々のためになることに使ってほしい。

とにかく、無事復旧したのは良かった。




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トピナと過食の改善、情緒の安定について

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今回のエントリは「105kgから62kgまで減量した人」の続きになる。また「トピナの用量をどのように決めるか」のエントリとも少し関係がある。なお「105kgから62kgまで減量した人」はトピナではなく「広汎性発達障害、アスペルガー症候群」のテーマにいれている。

あの105kgから62kgまで減量できた女性患者さんは、その後全く来院しなくなった。仕事はしているのを職員は見ており、だいたいの様子はわかっていた。どこのエントリか忘れてしまったが、彼女の場合、一般的に言う寛解や治癒とは異なるのではないかと記載している。それは服薬を止めると、再発する確率が非常に高いと思われるからである。

1年半ほど経ち、彼女は再診した。その時の体重がなんと85kgを超えていたのである。

彼女は肥満しやすい家系らしく、過食をトピナで抑えているだけで本質的にはさほど摂食障害が改善しているとは思えなかった。薬を止めた後、再び過食に悩むようになったらしい。

再診の際に内服薬を希望したためトピナを処方したところ、不思議なことが起こった。通院しなくなる直前のトピナの処方量が100mg(50mg2錠)だったので、そのまま処方している。ところが、彼女の話では、

服用した夕方、食事をしていると、左手が痺れ始めた。その数時間後から、顔も痺れてきたと言う。心配になり薬を止めたところ次第に消失。しかし、あれほどあった異常食欲が収まっている。

トピナ100mgであっという間に過食はなくなったらしい。過去ログを読むとわかるが、彼女は薬に弱い体質である。だから1年半も薬を止めていたのなら、少ない量で再開すべきだった。トピナは効いてはいるので、完全に中断せず、12.5mgから再開することにした。

これで、副作用がほとんどなく服薬できるようになった。徐々に増量し、100mgまで増やしたところ、最初に100mg服用した時の痺れ感は全く生じなかったらしい。

しかし・・
トピナ100mgでは過食の抑制は今ひとつなのである。それは少量から漸増したことも関係している。(仕方がないが・・)

しかし、本人の話では、むなしい気持ちやうつにはかなり効いていると言う。彼女はリボトリールを併用しているが、少量であるし飲まないこともあるようで、実質的にトピナのみの薬理作用なのは間違いない。

彼女は再び少しずつ体重が減り始めたが、劇的に減ってはいない。おそらく62kgになることは難しいのでないかと思った。

それでも、彼女は通院を続けることにしたようである(今のところだが・・)。

参考
105kgから62kgまで減量した人

エンゼルパイを握ったまま寝ていた・・

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これは診察時に出てきた言葉。

彼女(非定型精神病)はてんかん性の不機嫌に類似した病態を呈しており、何をしてもなかなか改善しなかった。もちろん最近の気候も多分関係がある(急に寒気が来たこと)。しかし、何かのきっかけでその状態から抜け出せそうであった。

彼女はリーマス、テグレトールは中毒疹の副作用のため服用できず、また3環系抗うつ剤、SSRIも服用できない。また、アナフラニールの点滴もできないのである。

抗うつ剤では、サインバルタとブプロピオンのみ短い間だけは服用できるが、時間が経つと必ず思わしくない経過に至る。サインバルタは希死念慮が出現するし、ブプロピオンは不注意になりボケる。ブプロピオンはADHDの人にも使える薬であるが、人によると、たまに逆の副作用が出ることがある。

ラミクタールはなんとなく不機嫌になることが多いため、使わない方針であった(中毒疹は出ないため判断を保留していた)。トピナはラミクタール比べると悪くはないが、決定的に改善はしない。過食傾向は改善するので服用している時期もあったが、やがて中止してしまった。リリカは過食が出るといい本人が望まないので処方しないことにしていた。

彼女にとってデパケンRとセロクエルが重要であることがわかってきた。この2剤は彼女には過食も体重増加もない。デパケンR800~1000mg使っているが、セロクエルは200mgまでに留めている。他はベンゾジアゼピン系眠剤(もちろんロヒプノール)と便秘薬くらいなので、滅茶苦茶な処方ではなかった。

天候もあろうが、よくわからない理由で病状が悪化した。最初、アパシー傾向になり、やがててんかん性の不機嫌状態のような病態に至った。意識は清明である。ここで、ラミクタールを12.5mg追加したのが、最大の失敗。

ラミクタールは思わしくないのはわかっていたのに・・

最悪の不機嫌状態に至り、打つ手がないので、エビリファイ液とセロクエルを服用するように言う。

エビリファイ液は1日24cc、セロクエルは最大700mgである。

本人には、セロクエルは上限まで飲んでもかまわないが、エビリファイは多く飲んでもそこまで良くなるとは思えない上、彼女の睡眠を悪化させるケースもあるため、最高3本まで(6ccなので18cc)に抑えるように伝える。

このように簡単に書いているが、相手は最高レベルの不機嫌状態なので、現場は修羅場である(←言いすぎ)。

これだけ服薬してもびくともしない。少し改善したように思われるが、大きな変化もなく、ぐったり寝込んだりもないので、いかに病状と釣り合っていたかがわかる(過去ログでは向精神薬は相対的なものという記事が出てくる)。そこで、

ここはヤケクソで、ジプレキサを追加してみましょう。

これはそれなりに根拠があり、かつてジプレキサを服薬して良かったことがあったからである。ただ、過食になったので、その後、本人が拒絶し服用しなかっただけである。

このジプレキサの追加は受け入れられたのである。彼女は、あのような不機嫌状態でも、僕の指示に従っていると最終的に良くなるのがわかっているのである。たぶん。

今回のタイトルは、ジプレキサ服薬の際の事件である。彼女によるとある日の夜、セロクエルを800mg服用しジプレキサザイディス5mgを追加した後、眠りこけながらいくつかパンかお菓子を食べた。(彼女の言葉)。

そのまま眠っていたが、ぱっと目を醒ますと、

エンゼルパイを手に握ったまま寝ていた。

という。これには2人で大笑い。エンゼルパイってまだあるんか?(ガキの頃1つ20円だった。あのお菓子は森永の傑作)彼女は、

あれはダメです!(もちろんジプレキサのこと)

と言い放った。過食が出るからである。彼女の話をよく聴いてみると、それでも3日連続で服用したらしい。その3日目の出来事だったようである。

この「エンゼルパイを手に握って寝ていた」日をもって、あの超絶レベルの不機嫌状態が全快した。不思議なことに体重もむしろ減っているという。

きっと、あの大笑いが良かったんだと思う。

(終わり)

濃い色の絵の具、薄い色の絵の具

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向精神薬を絵の具に例えると、本来、濃い色と薄い色の絵の具があると思う。

濃い色、つまり強い色の絵の具を使って描くと、もちろんケバくなる。

薄い色の絵の具は、抗精神病薬の範囲で考えると、例えばルーラン、エビリファイ、ロナセンのような薬物が相当するが、これらは本質的なパワーがない。ここが薄い色に擬える理由である。

しかし、こういう薬を使いこなせるようになると、服用感のない処方になる。患者さんが、全く服用している感じがしないという。その他、セロクエルもどちらかというと薄い色の絵の具だと思う。

抗精神病薬は普通、幻覚や妄想に対し処方される。時に、薬の量が極端に多くなったり、あるいは多剤になるのは、薬が思うように効果が出ないという理由が大きい。薬が効かないから多量処方になるのである。

薬が効かないのは、入院している場合、服薬は遵守できているので、本人のせいではないし、また看護者のせいでもない。むしろ、疾患性そのもの(個人差)及びその病状のタイミング(病期と言っても良い)が大きい。

つまり、同じ薬でも効く時と効かない時がある。過去ログで、何度か失敗していたのに、何度も同じ繰り返しをしていると、4回目とか5回目に効いたという話が出てくる。

薄い色の絵の具は最初はうまくいかないが、時間が経ち病状が安定して来ると、次第にフィットすることがある。これはあらゆる効果がはっきりしないタイプの薬に言えることである。

これは、昔、失敗した薬が、今、失敗するとは限らないことを言っている。

向精神薬は柔軟に使いこなさないと、硬直した処方になり患者さんへの負担も大きくなる。

きっと・・
向精神薬の再トライの失敗ですら、寛解、治癒に向かう1ページなんだと思う。

参考
赤と黒の壷


あけましておめでとうございます。2012 元旦

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お正月には、夫婦で300枚以上の年賀状が届く。出すのはもうちょっと少なく、たぶん280枚くらいである。

毎年、年末は年賀状を書くのは厄介な仕事で、嫁さんに散々言われてやっと書く。宛名を書くのも裏のデザインもパソコンがするわけだけど、入力などは自分がやるので、ほとんど自分がやっているのと同じだ。

嫁さんはパソコンの入力ができないので、やむを得ない。(←これではパソコンを使えるとは言いがたい)

今年はさすがに何度も言われるのが辛いため、多忙の中、12月21日には印刷を終わらせた。ただし、その後、何らかの文章を入れるのでそのまま出せない。

これは嫁さんも同じで、なんだかんだでクリスマスを過ぎ26日頃にやっと出したようである。「あれほど言っていて、何日も出さないなんて何ちゅうことだ!」というと、

何度も言わないと、なかなかやらないから。

といわれた。全くその通りである。ギリギリでないと動けない。そんな面倒なことは。(参考

自分の年賀状は29日に出したので、県内は元日に届きそうであった。今回、嫁さんが早く出してわかったことは、住所が変わって何年も経っている人は年内に自宅に返送されてくること。

嫁さんの話では、住所変更でも近所だったら郵便局の人が気を効かせ届けてくれるらしい。ただし、郵便局の担当者?が変わると、そこまで親切にしてくれず住所が間違っていることが発覚する。7年後くらいに。

年賀状は医師の場合、大学時代の友人と同じ精神科の同門の人がほとんどで、かつて在籍していた病院関係の他科の医師からも年賀状を貰う。また時々通院している病院や歯科の先生とも年賀状のやり取りをしている。

ある時、嫁さんが整形外科に通院したところ、院長から最近年賀状が戻ってくるので、正しい住所でもう一度出してほしいと言われたらしい(年賀状、年賀状と催促されたという)。この先生は僕の大学時代の恩師なので、そんな風に言われるのもちょっと不思議な感じである。

歯科の先生の場合、最初数年、むこうから年賀状が来ていたが、こちらは特に返信していなかった。ただ、自筆で書かれた内容が実に恐縮したものだったので、やはりこちらも出した方が良いと思い始め、ある年から出すことにした。

普通、歯科にかかっている患者さん全員は、先生に年賀状は出さないと思う。もちろん出す人もいると思うが。個人病院の場合、先生が年賀状を出すのは、そういうこともあると思うので(営業的なもの)、ただ貰って出さないのもありと思っていた。

精神病院の場合、普通、患者さんには病院から年賀状は出さない(←当たり前)。

しかし、患者さんは外来、入院患者さんとも、病院宛てにいくらか年賀状が届く。これらは、そのまま返信せず、年初に外来なり院内での診察の際にお礼を口頭で言って終わりである。患者さんまで出し始めると、年末の大事業が更に大変なことになる。

ところが・・
患者さんから、直接、自宅に年賀状が届くものがそこそこあるのである。


これらは、なぜ住所がわかったのかが謎だが、お歳暮とかお中元の際にうっかりわかってしまったものと思う。誰がうっかりしたかだが、もちろん自分ではない。

自宅に届く患者さんの年賀状に返信しないのも少し悪いと思うため、彼らには別バージョンで年賀状を出している。そのうち彼らに返信しているのに、病院に届く患者さんには口頭で終わりと言うのも悪いと思い始め、彼らにも更に別バージョンで年賀状を出すことにした。(病院に届く患者さんに、自宅住所を書く必要はないため)

だから、自分の年賀状は数通りのデザインがあるのである。

ああ・・
こういう風にして、年末の大仕事が年々大変なものになっていくのであった。

国士無双のダブルリーチ

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28歳の頃、配牌で1筒待ち国士無双を聴牌していた。

何のことやらわからないと思うが、麻雀の話である。星新一氏のエッセーで、麻雀のネタで書きたいが、知らない人には全然何のことやらわからないので、自粛しているといった文章があった。なるほど、と思ったものだ。

上のように配牌で国士無双を聴牌している場合、第一ツモで上がれば地和もかぶるためダブル役満になる。しかし第一ツモでは上がれずダブルリーチをかけた。ダブルリーチでは安全牌に困るため、字牌と端の牌は出やすい。

しかし・・

上がれなかったのである。それどころか数回しかツモれなかった。なんとトイメンの友人が2順目か3順目にリーチをかけ一発ツモだったから。

そのツモ牌が1筒。彼の待ちは1,4,7筒の3面待ちでピンフの形だった。自分にクズ牌が多い時、周囲に綺麗なメンタンピンの好牌が入っていることはよくある。

なんちゅう弱さ、とその時は思ったが、結局、こういうのが良いんだと思う。

奇跡というか僥倖のようなものは、実らない方が後が良い。

ある年、生まれて初めて地和を上がった。お正月だったが、その年はつくづくつかない年で、あまり良いことがなかった。

このようなものの考え方は、過去ログにも宝くじの話や一般的な精神科治療の際に出てくる。(過去ログにあるが一部は検索できず)。

僕は初めて麻雀を覚えた日に「清老頭」を上がった。清老頭は必ず対々和の形であり、鳴いて上がっても良いため周囲が下手だからこそ上がれたと言えた。上がり牌は九筒だった。清老頭は簡単そうに見えてそうそう上がれるものではなく、その後、1度も上がっていない(聴牌だけなら何度かあるが)。

その後、なかなか役満が上がれず、その次に上がったのは国士無双。これも上がり牌は九筒だった。



金子正輝プロのインタビューから。彼は九蓮宝燈を配牌で聴牌しておりツモ上がりしたらしい。金子正輝プロは荒正義プロなどとは異なり、闘志が表情に出るタイプである。(ポーカーフェースでないと言う意味)モンドの公式戦では、数年前にミスター麻雀こと、小島武夫プロが九蓮宝燈を上がっている。比較的早い順目で9万をツモ上がりした。(小島武夫プロは九蓮宝燈をかなり昔の公式戦でも古川凱章プロから上がっている。)

参考
宝くじ
オーストラリアの人口
父島

電話でも良くなっているのがわかる

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ある患者さんが関東の知り合いに電話をかけたところ、あまりに良くなっていることに驚かれたと言う。

たぶん声色が良く快活に話したため、顔など見なくても良くなっていることがわかったのであろう。

その患者さんは、相手の人にいったい何をしたのか?と聞かれたが、うまく答えられなかったようである。(参考←この人)

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家族でないとわかりにくい精神所見

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ある時、リエゾンで脳炎後遺症の患者さんの治療を頼まれた。その人はいかなるウイルスによる脳炎かすら確定しておらず原因不明の白質脳症と言える病態であった。(白質脳症は疾患名というより状態像)

初めてベッドサイドで見た時、激しく喋り続けており、質問するとこちらに向き、そのままオウム返しに答えた。

つまり会話など無理な状態であった。


このような人は、一般病棟で看護できる精神症状まで改善することが目標で、鎮静的な薬を使わなくてはならない。つまり気分安定化薬と抗精神病薬の組み合わせによる治療である。

気分安定化薬で推奨できるのは、デパケンRとテグレトールで、直感的にはリーマスはあまり良くない。(リーマスは明確な器質性背景がある場合は使い辛い。てんかんに禁忌になっているほど)。

どうにも良くならないなら、鎮静するためにフェノバールやイーケプラも良いかもしれないが、イーケプラは新規抗てんかん薬であるし、フェノバールの方が一般的であろう。イーケプラは躁状態にも効くという話なので根拠がないわけではない。しかし、イーケプラは10人に1人くらいイライラ感が出ることがあり、このタイプの精神症状ではこじれる危険性もある。(高価なイーケプラを使う甲斐がない)

抗精神病薬では、セロクエルとかコントミンくらいで治療したいが、リスパダール液やセレネース液(または注射、錠剤)、ジプレキサも悪くない。

僕が診察する前はセレネースの筋注やリスパダール液が使われていたが、一時的に少し静かになるが、再び興奮する繰り返しだったようである。

このような病態は、生命予後はともかく脳の機能としては予後は不良である。オウム返しが出ているようであれば、ダメージは相当に大きいと思われた。(会話ができないのもある)。

なお、白質脳症自体は可逆性のものもあり、抗癌剤で生じたようなものは中止すると改善する。この人の場合、何らかの原因不明の脳炎後遺症なので、自然に発生したような経緯である。

神経再生のような効果がある薬を選びたいため、当初セロクエルをメインにデパケンRとテグレトールで治療を始めたが、興奮が全く改善しないため、コントミンも追加した。

この4剤で時間をかけて様子を診ていたら、数週間で次第に穏やかになった。しかし、器質性の認知症にほぼ固定したことは事実であり、時間が経っても、認知症において次第に今以上に良くなるようには思えなかった。

その患者さんの奥さんが毎日面会に来て、昼食を食べさせていた。一部、介助をしていたのである。

1年以上経ち、奥さんと話をしたところ、夫は少しずつ良くなってると言う。食べさせる時にそれがわかると言うのである。ところが、看護者に聞くと(精神科の看護師ではないともあると思うが)全然、変わっていませんと言う。

どのようなところに変化があるのか奥さんに聞いたところ、食事を食べさせる時の反応とか予期のような点で以前より違うと言うのである。

この患者さんは、急激に薬を減量しない限り、再度、興奮状態に至る確率は比較的低いと思われるので、僅かずつ慎重に減量することにした。奥さんの意見は、夫は以前より眠いようなので、眠くなる薬を減らしてほしいと言う。

このような人の場合、万一、興奮状態が再燃した場合、精神科病棟でないだけに相当に困ったことになる上、もうひとランク器質性の荒廃が進行する危険性がないとは言えない。

注意しつつ、最初コントミンを減量してみた。これはうまくいった。抗精神病薬はセロクエルのみになったのである。テグレトールとデパケンRは少しだけ減量し継続した。ともに600mg程度である。

その後の奥さんの話では、はっきり目を開けていることが多くなり、食事介護しやすくなったという。それでもなお、看護者の意見はたいして変わっていないと言う話であった。

この辺りでようやくラミクタールを試みることにした。ラミクタールは賦活の効果が大きいので、このタイプの患者さんでは劇的に悪化させる危険性もなくはないため、処方には決断が必要である。

それでも認知を改善するために、ラミクタールは中毒疹や興奮のリスクがあっても試みてみたい薬でもある。また奥さんも色々な治療にトライすることに同意している。

ラミクタールを隔日に12.5mg処方追加したところ、奥さんの意見ではかなり夫に変化が起こったと言う。

奥さんが病室に入った瞬間、その方向に視線を向けるようになったというのである。また、子供や孫たちが面会に来ると、誰なのかある程度わかっているように見えるらしい。

つまり、痙攣発作がなかったとしても、ラミクタールは脳炎などによる高次脳機能障害をいくらか改善する。

参考
ラミクタールのテーマ
デパケンRのテーマ
セロクエルのテーマ

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リエゾンの診療報酬と医療崩壊

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このブログでは、時々リエゾンの記事をアップしている。

読者の方は精神病院ないしクリニックから、他の病院ないし施設まで往診し診察しているので、さぞかし診療代が高いと思うであろう。

しかし、その診療報酬は驚愕するほど安いのである。

普通、一般の総合病院などに精神科医が往診し診察したとしても、毎週同じ曜日に診察に行く場合、「往診」にならず「対診」とみなされる。往診の診察とは全く違う診療報酬によるのである。

またうつ病や神経症の人の診察を行った場合でも「通院精神療法」がとれない。まあ、通院はしていないですし・・(そういう見解)

このようなことは実際に社会保険事務所に問い合わせて確かめたので正確なものである(多少ローカルな見解の相違があるかもしれない)

対診の診療報酬
再診 69点
外来管理加算 52点


1回の診察で121点、つまり1210円しか診療報酬が得られないのである。患者さんは3割負担でも360円ほどである。

これって、何か間違ってないか?

ある月、毎週1回、1ヶ月に4回ほど車で(ガソリン代も使い)診察に行った患者さん1名の診療報酬を計算したら、1月トータルでたった4840円だった。これは薬をその病院で処方しているのもあるが、薬は普通に儲からないので(元がかかるため)、同じようなものである。また対診の場合、1名だけ診るというのは稀なので例えば10名診ていたとしても、1ヶ月に4回、診察に出向いて、やっと48400円。普通にありえない安さである。(のべ40回診察機会があって48400円はない、と言う意味。)

あれだけ専門性の高い医療(アドバイス)?を行ってこれだと、自分の病院で外来を診るとか、最近入院した人の診察をして、360点(3600円)貰った方がよほどマシである(入院してまもないと、1回の入院精神療法は3600円である。しかも1ヶ月に12回くらいまで取れる。ただし入院期間が長くなると、800円まで下がり回数も制限される)。

リエゾンの報酬は元がかかっていないので、純粋に精神科医の技術料である。それがこの報酬では、やらない方がむしろ良いくらいである。(報酬のバランスが悪すぎ。誰が考えたのかわからないが)

つまり、リエゾンという精神医療はは半分くらいはボランティアと言える。

だいたい、日本の精神医療にかけるGDP比の額は先進国中でもかなり低い。あれだけベッド数があってこの低さは、いかに入院費が安いかがわかる。

以下はOECD加盟国の医療費の状況である(2008年)。これは医療費全体の順位で精神医療費がいかなる順位なのか不明だが、日本では精神医療にお金をかけているとは言えないのでその寒さが予測できる。

OECD加盟国の医療費の状況(2008年)
1、アメリカ 16.0%(GDP比)7538ドル(1人当たり医療費)
2、フランス 11.2%  3696ドル
3、スイス  10.7%  4627ドル
4、ドイツ  10.5%  3737ドル
5、オーストリア 10.5% 3970ドル
6、カナダ    10.4% 4079ドル
7、ベルギー   10.2% 3477ドル
8、ポルトガル  9.9%  2151ドル
9、オランダ   9.9%  4063ドル
10、ニュージーランド 9.8% 2683ドル
(以下略)
22、日本 8.1%  2729ドル


これを見ると、日本はOECD加盟国中22位であることがわかる。なお、1人当たり医療費のドルベースでは20位である。

日本では精神科での入院費は結核病棟より低い。これはあまりにも安いと言うほかはない(普通、結核病棟より安いのは医療的にありえない事件。どのような人が入院しているかを考えると容易にわかる)。

これでは、リエゾンという精神医療が発展していきそうにない。

現在、総合病院の外来精神科や精神科病棟が次々に廃止されているのは、同じベッド数を持つなら、他の最先端の内科、外科系に変更した方が病院全体の売り上げが上がるからである。これは国立病院でも収益性が非常に重視されていることにもよる。

また、近年の診療報酬改定で最先端医療により医療費を振り向けているのが、それに拍車をかけている。

医療崩壊を来たした1面は、地方の過疎地域に医師が集まり難くなり、出産や一般の手術ですら、満足に産婦人科医や麻酔科医が集まらないことがある。

高度医療をしている病院は経費もかかるが、診療報酬も大きいため、多くの医師や看護師を確保できる。その反動が地方に及んでいるのである。(重要)。

地方に医師が行かなくなったのは、今の研修医制度(スーパーローテイト)を契機に、地方の医学部出身でも都会で研修を希望する人が多くなったことも大きい。便利な都会で生活し始めると、田舎に行くのが辛くなるものだ。

近年の診療報酬改定は、少なくとも医療崩壊を防ぐ方法にはなっていない。

厚生労働省の人々は頭の良い人が集まっていると思うので、少しは考えてほしい。

(このブログの読者の方にはレセプトに関わっている人もいると思うので、対診の診療報酬の意見を歓迎します。これを請求し忘れているとか・・未だに信じられないためです。)

参考
リエゾンをする精神科医の経験年数
成年後見制度の鑑定書


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統合失調症の告知と予後

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ある日、嫁さんと街に買い物に出かけた。その際に僕の患者さんが働いているショップがあるので、こっそり見に行ってみた。遠くで見るだけで会うのが目的ではない。今回は「1人目女性患者さんについて」の近況でもある。

彼女は退院後、しばらくデイケアに通っていた。その後、2年くらい臨時職員として公的機関で働き、その後、民間の企業に転職している。今から考えると、最初の1年は今よりは良くなかったと思う。ただ、疾患のため、休まざるを得ないとか、入院するほどの悪化はなかった。

彼女は典型的な分裂気質で、それが予後を良いものにしたといえた。

彼女は一般の人に比べ、ある種の感覚の鈍さがあるのである。分裂気質が統合失調症とどのような関連があるかと言うと、実はそれほど大きな関連はない。もし分裂気質の人が統合失調症というのなら、生まれつき統合失調症に罹患していることになる。

過去ログのにもそれを示唆する記載がある。

保護室では彼女の場合、いつも本を読んでいることが多かった。保護室に生まれて初めて入れられて、騒ぎもせず、悠々と本(詩集など)を読んでいる。これは大物だと思った。いつも、凛としているのである。ある時、病棟婦長と一緒に保護室で診察している時、最近の体調などを聴いていた。どんな話の流れだったかもう忘れてしまったが、彼女が急に口に手を当てて笑いだした。なぜ笑うのか聞くと、彼女、「だって、先生たちが悪い人には見えないんだもん」と言ったのである。彼女は2~3週間くらいはその保護室で療養したが、特に文句も言わなかったのである。こういう患者さんも珍しい。

彼女が退院する前に、療養病棟の4人部屋に移床させた時期がある。その部屋は階段を上がるとベッドの様子が丸見えで、大抵の患者さんが嫌う、そういう部屋の一角である。たぶん、広汎性発達障害の人であれば、そのベッドだけはやめてほしいと希望するだろう。別に広汎性発達障害でない人でも辛い場所であった。

ところが、彼女は全く平気だったのである。僕が、

このベッドは皆が嫌う場所なんだ・・

と彼女に話したところ、

え?、そうですか?
私は全然気になりません。


と笑顔で答えた。彼女はその辺りの感覚が一般の人とは違っているのである。たぶん、それは統合失調症による欠陥症状ではなく生来性のものである。それは個性、人柄ともいえる。

このような性格だと、社会復帰が比較的容易である。その後、2回目の職場に、僕がこっそり様子を見に行った見たのである。嫁さんが一緒に来ようとしたため、

貴方は来なくてよろしい。

と言った。嫁さんは知らなくても良いことである。

彼女は穏やかな表情で接客をしていた。しばらく見ていると、そのお客さんの接客を終え、立ち上がりパソコンの入力をしていた。職場の様子は、いつも診る診察室での彼女とはまた違った印象である。彼女はうまく表現できないが、なんらかのことで動揺することもなく、いつも飄々としているのである。

うーん、あれは立派なものだと思った。過去ログに、精神科医の社会へ貢献する部分はかなり大きいという記載がある。

彼女が、働けなくなり生涯にわたり障害年金を貰い続けるのと、あのように働いて所得税や社会保険料を支払っているのとでは日本経済にとっては大変な違いである。

また、彼女はセロクエルを主体に今は治療しており気分安定化薬は使用していない。ここ2年くらいで体重が少し減っている。僕はセロクエルのために体重が著しく増えた患者さんはあまり経験していないんだな。これは彼女が日々働いているのもあると思う。

彼女の予後が良かったのは、彼女が分裂気質だったこと、僕の言うことを守りきちんと服薬していること、彼女や家族に診断名を告知しなかったのも無関係ではないような気がしてならない。

また、初診した初日の彼女への自分や看護者の対応も良かった。特に外来婦長の貢献は大である。

現在、統合失調症の告知は今はする方が一般的になってるが、これは精神科医の保身や免罪符的なもの、医療裁判なども微妙に関係している。僕の世代の精神科医、特に僕の大学医局では告知はしないのが普通だった。そのスピリッツは医局同門に連綿と流れていた。

かつて研修医の時、教授がある患者さんの症例検討会の際に、統合失調症の告知の事に関して、医局員の前で、こんな風に話した。

統合失調症の告知?
本人や家族が聞いたら、どんな風に感じると思うかね?そんなことを言わなくても、治療がうまくいけばそれで良い。昔の精神科医は、涙を流して「統合失調症」と診断書に書いたものだ。


全くその通りである。この「涙を流して・・」と言う下りは、「この人は自分が一生、面倒を見る」覚悟の意味合いがある。やはり統合失調症は大変な精神疾患なのである。その流れを汲む自分は、ロスト・ワールドな精神科医なのかもしれない。ラミクタールやトピナを使っていても、クラシックな精神科医なのである。

本来、統合失調症の告知に限らず、医療場面では同じような状況にしばしば遭遇する。

癌や統合失調症の告知は、ある種の暴力なのか?
統合失調症やアスペルガー症候群の告知は残酷。


そういう気持ちがあるから、告知は避けるのである。これは長年、そのスタンスだけは変わっていない。これはあの症例検討会の時の言葉がずっと頭に残っているからだと思う。

あと当然のことだが、彼女の精神病がここまで改善したのは、抗精神病薬による部分が相当に大きい。彼女にとって内服薬は今後ずっと必要と思われる。

以下はある日の診察時の彼女の話である。

仕事で観光地のあちこちに行っていますね。最近は、プライベートでも友人と旅行に出かけた。外国人に日本語を教えるボランティアをしている。

また発達障害の子供のお世話をしている。体育とか、水泳のサポートです。発達障害の子供でも重い子供と軽い子供がいるのでびっくりしました。

家族の仲はとてもよいです。ずっと前に病気になる前より良いです。元々の性格ですか?

さっぱりしている。あまり反抗期もなかったですね。少し頑固かもしれない。最近は、リルケやハイネ、チェーホフの作品を読んでいます。


参考
統合失調症の診断は・・
薬物治療と寛解のレベルについて
統合失調症の寛解、就労、予後の謎
楽器演奏とリスパダール(前半)
バカヤロウ

総合診療医 (仮称)

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最近、全ての科に精通した医師を育成しようと言う試みがある。実は過去にもそのようなタイプの医師はいた。

そのような医師たちが名医かと言うと、もちろんそうではない。そのようなタイプの医師はいても良いが、おそらく多人数は必要ない。育成自体は、特定の科を極めるよりどの科も少しずつできるほうがずっと易しいと思うので希望者さえいれば容易ではないかと思う。

医師育成に関する国の試みは失敗続きだ。例えば、スーパーローテーション制度も、上の「全ての科に精通した・・」の端緒と考えられる試みだが、結局は都市部への医師の集中と地方の医師の過疎状態を招いた。当初は考えてもいなかったであろうが、この制度は特に地方の医療荒廃の1つの原因になったのである。

今後、その医療過疎を解消するため、医学部の定員を増やしているが、これまでの経緯を考えると、これもうまくいきそうにない。

総合診療医を育成しようとすると、精神科だけが抜け落ちる。(友人の話)

それに限らず、全ての科に万能になろうとすると、全ての科が中途半端になる。現代のあらゆる科はそれほど甘くはない。

総合診療医は、何でもできるのではなく、何もできないのと同じだ。

何かを捨てる決意がないと、総合診療医を目指せないであろう。



ヴィクトリーネ・ツァック

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ハンス・アスペルガーは、病棟での主任看護婦、ヴィクトリーネ・ツァックを天才と呼んでいた。彼女の直感的診断力と治療の成果は伝説的だったと言われている。

ハンス・アスペルガーは彼女から影響を受けた経験の1つとして、パニックに襲われた幼児の破壊的かんしゃくの真っ最中に、それを落ち着かせるのを目撃したことを挙げている。

彼女の治療(看護)プログラムはリズムと音楽を用いた体育課題や、行事、歌などの演劇的な表現活動だったようである。


しかし、ヴィクトリーネ・ツァックは1944年、連合軍により病棟が爆撃された際、亡くなっている。

ヴィクトリーネ・ツァックはレクレーションを治療に取り入れていたが、その他、言語的な治療も試みていたようである。

うちの病棟にはこのヴィクトリーネ・ツァックのようなセンスを持つ看護師さんがいる。最初に正看護師と准看護師の説明をしておきたい。

現在、日本の看護師制度の資格は、正看護師と准看護師の2つがある。このいずれでもない看護的病棟スタッフは看護助手とか補助看護師と呼ばれる。補助看護師は特に資格がなくてもなれるが、給与は看護師に比べかなり低い。

准看護師は制度的には成立しているが、今後比率的に正看護師がずっと増え、かなり少ない職種になっていくように思われる。現在は正看護師まで目指す人が多いからである。

正看護師と准看護師では初任給が違うため、もちろん准看護師の方が給料は安い。しかし1回の夜勤手当はたいして違わないか同額なため、それらを加えると若い頃にはそれほど給与差がない。これは若い頃は役職がないこともある。

しかし、それに甘えて正看護師の資格を取らないのはお薦めできない。なぜなら、将来、准看護師の資格が過去の遺産になり陳腐化する可能性もないとは言えないから。

精神科病院の場合、年配の看護師さんは準看護師のまま長く仕事を続けている人たちもいる。准看護師は、一般的に正看護師さんから低く見られており、特に正看護師養成の教育機関の人たちにその傾向が強い。

准看護師の人たちは、正看護師になるため学校に行くの諦めたわけで、学力や向上心という点で劣る人たちもいるが、家庭の事情などで行かなかった人もいるのである。だから、全ての准看護師が劣っているとはいえない。

このブログを読んでいる特に看護学生ないし高校生くらいの人たちに言いたいが、これからは准看護師で終わらず、正看護師まで資格を取るべきである。それは正看護師でないと、大きな地域の中枢的な病院に勤めにくいし、長く勤めても婦長(師長)までなれないからである。

また精神科に限っても、訪問看護やデイケアのスタッフなどには正看護師は必要だが、准看護師は必要ない。(准看護師は訪問看護ができないわけではないが診療報酬が低い。准看護師でもデイケアのスタッフになることは可能。ただし補助的人員)

だから、准看護師は一般の個人病院はかえって勤めやすい面があるが、大きな病院では昇進や役職で制約が大きいのである。

うちの准看護師さんで、極めて看護の才能のある人がいる。彼女は表情が硬まっているような患者さんをうまく笑わせる天才である。その看護能力は経営者にも高く評価されており、ボーナスなども正看護師と遜色ない。しかし、長く勤めても婦長にはなれないのである。それどころか病棟主任にもなれない。

彼女は役職こそないが、精神病院のレクレーションプログラムや運営のリーダー的存在であり、なんだかヴィクトリーネ・ツァックさんに似ている。

理事長の話では、まだ彼女が中学生を卒業した頃、田舎から預かり、補助看護師をさせながら准看護師の資格を取らせたという。その後(病院がお金は出すので)正看になるように言ったが、本人が断ったたらしい。

いつだったか、○○さんはなぜ正看護師にならなかったのですか?と冗談交じりに聞いたところ、

私はバカですから・・

と笑いながら答えた。謙遜しているが、もし正看護師であれば、間違いなく何年も前に婦長になっていたであろう。精神科の看護能力的に彼女より劣る婦長もいるくらいだからである。

ただ、彼女は全く後悔している風でもない。報酬的にはある程度見合ったものを貰っているので、意外に気楽に仕事をしているのでは?と思ったりする。

ある時、彼女自身が、ある広汎性発達障害の患者さんの看護の際、固まって動かな状態だった若い男性患者さんに背中をさすりながら、いろいろ話しかけていたところ、突然、スイッチが入ったようにスイスイ動き始めた話をしていた。彼女が、

不思議ですねぇ・・

と言うので、

それはローナ・ウイングがずっと前にアスペルガー症候群のカタトニアとして記載している。

と話した。カタトニアはかつては統合失調症(緊張型)でよく言われていたが、広汎性発達障害でも生じる精神所見。そこまで疾患特異性はない。カタトニアでフリーズしていて、全く動けないのに、何かの拍子に動き始めるのは時々見られる。

また、病棟内で(色がついた誘導)線が横切れずそのまま静止したりするのもカタトニアで見られる所見である。つまり、統合失調症で言われるカタトニア(悪性カタトニアと呼ばれる悪性症候群を除く)とは強迫の色彩の濃さや持続性などで若干異なる、などと説明した。

彼女はこの説明を聞いて理解できる准看護師である。また、彼女は看護記録の記載も秀逸なのである。実によく観察している。

これだけの文章では彼女の才能全てはうまく表現できない。

今回のエントリはややまとまりを欠くが4つのポイントがある。1つはハンス・アスペルガーにはヴィクトリーネ・ツァックのように才能溢れる看護師がいたこと、今の若い人は看護を志すなら是非、正看護師までなってほしいこと、広汎性発達障害にはカタトニアのような特殊な病態があること、また精神科病院には役職に関係なく才能がある人がいることである。


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