もう10年くらい前だろうか、腰痛のために近所の整体師の先生にかかっていた時期がある。
その先生の特徴は施術時間が非常に短いこと。だから、先客がいたとしてもたいして待たなくてよかった。それでも一応電話をして予約して出かけていた。というのは留守にしていることも多いからである。
あれは少なくともマッサージではなかった。かといって気功でもない。
その先生はその地域の区長のような仕事をしていたようで、たまに近所に住む精神科患者のことで相談を受けた。
たとえば、「近所に精神障害者が入居しているアパートがあるが、奇声があるし行動もおかしいし、どのように対処したら良いか?」などである。近所の人がみな恐れているという。
この対応は結構難しい。なぜなら、そのように精神症状が悪い(と思われる)精神障害者を親や親戚でもなんでもない人が病院に連れて行くのは難しいし、リスクも伴うからである。
僕は、「どこかの病院に通院していると思うので、そこのPSWに相談するか、あるいは訪問看護があればその看護師やPSWに相談してはどうでしょうか?」と答えた。「また、もし具体的に近所の住民に被害があれば警察に通報するのも良いでしょう」と付け加えた。
果たして、その精神症状の悪化していた青年は、近所の小学生を追いかけるといった事件を起こし、措置入院になった。このような軽微な犯罪は医療観察法で処遇されず、今も措置入院になることが多い(ケースによると、医療保護入院や任意入院もありうる)。
ある時期から、日本の精神科病院はいわゆる社会的入院患者を積極的に地域に戻すことを推進しており、そのための受け皿として、たとえばグループホームや共同住居が作られた。民家やアパートを流用したとしても改装が必要である。
しかし、これらはプライベートが損なわれるところがあるので、一般のアパートに1人で住むことを選ぶ人もいる。特に若い人にそのような希望が多い。
大学の近くにかつてあった風呂なしトイレなしの間借り的なアパートは、最近の学生は選ばなくなり、相当に古くなって誰も住まず空室だらけのところが多い。
このようなアパートはいくら家賃を安くしてもなかなか空室が埋まらないので、リスクがあっても精神障害者を入居させ家賃を得ようとする大家もいる。リスクとはどのようなものかというと、たとえばタバコの不始末による火事とか、ごみ屋敷になりかねないといったものである。また、近所から苦情が来るとか、同じアパートに住む一般人が出て行ってしまうということもありうる。そのような経緯で、やがてアパート住人が全て精神障害者のみになってしまうケースもある。
近所の苦情とは、特に奇声とかだけではなく、深夜にゴソゴソ動き回ったり、大音量で音楽を聴いたりすることも含まれる。
国からすると生活保護をつかったとしても、ずっと入院させておくより、その患者の年間の医療費を含め社会保障費はずっと安くなる。
アパートや共同住居に住める人は概ねここ20年で出て行ってしまったので、社会的入院と呼べる人たちは今はほとんどいなくなっている。ただし、これは地域性も多少あると思われる。ここでいう地域性とは、その都道府県の精神科病院の空床率や、地域住民の精神疾患患者へのスティグマの強さなども含まれる。スティグマが強いと地域移行が難しくなる。
うちの県は、スティグマはそう大きくないと感じるが、それでも病院関係者に土地を売るのは許されない言ったスタンスである。その理由は、グループホーム、共同住居、精神障害者用の民間アパートを建てられたらたまらないと言った感覚があるからである。
地域移行を成功させるには、訪問看護、デイケアの参加が非常に重要である。なぜなら彼らの病状変化、特に悪化をモニターできるからである。早期に対処することは、結果的に精神科病院近郊の人たちのスティグマを和らげることにもつながる。
その点で、最初に記載した措置入院になった事件は、退院後のアフターケアが十分に機能しなかった事例だと思う。
基本的に不必要に長期に精神科病院に入院させておくのは現代的ではないし、人権にも反している。
しかし同時に精神障害者を地域で看ていくことは、国民がリスクを分かち合うことでもあるのである。
最初の事例を見ると、それが明白なのがわかる。
注意:「精神障害者」という用語だが、一般に精神科雑誌、専門誌などでは「精神障碍者」や「精神障がい者」などは使われない。ウィンドウズのIMEでは最初になぜか精神障碍者が出てくる。
参考
厚生労働省のホームページから、精神障害者の地域移行について(厚生労働省のHPでも精神障害者と記載されている)