統合失調症の人のうち、自分の体の中でいかなる異常事態が生じて服薬しなくてはならないのか理解できないため、なかなか服薬の必要性の理解まで行きつけない。これは特に統合失調症でも中核群の人に時々見られるが、異常体験が本人が困ると感じる体験に重ね合わさらないのであろう。ここが「統合が失調している」と呼ばれる所以である。
しかし、中核群の人たちが全て服薬しないわけではなく、トータルでは何が何やらわからない割に服薬はする人が多い。これはある意味、不思議なことである。
服薬しない人は薬がほとんど合わないかというとそうではなく、薬を選べば服薬に耐えられ、人によれば寛解に至ることも可能な人もいる。ただし、このような人たちは何らかの副作用が出るか、過去に副作用のためにかなり苦痛を感じていることも多い。これが服薬しない根拠の大きな部分である。
また、なぜその疾患に薬が必要なのか理解できていないため、「先生、自分の薬を飲んでみてくださいよ」などという。なぜその言葉が出てくるかというと、その薬の治療ターゲットが何であるかわかっていないからである。それくらい統合失調症という精神疾患はその人の思考の圏外にある。
「先生、自分の薬を飲んでみてくださいよ」というフレーズは広汎性発達障害の人も言うことがある。しかし、彼らの場合は、「その薬の治療ターゲットが何であるかわかっていない」からではなく、単に副作用的に厳しく「これくらい副作用がある薬を一度、先生ためしに飲んでみて下さいよ」くらいに思っていることが多い。
統合失調症の人と広汎性発達障害の人の精神疾患へのスタンスはとてつもない隔たりがある。
いずれにせよ、統合失調症の人で服薬すれば寛解に至れるのに、服薬しないまま慢性化し生活が成り立たなくなった患者さんほど不幸なものはない。