かつて、小学校~中学校には普通に暴力体育教師がいた。
過去ログでは、順番に殴られるような状況で、なぜか僕は殴られなかった話をアップしている。拳で殴っていたので、殴られたら口腔の出血は必至である。ただ、個人的には暴力を受けた体験はほとんどない。
しかし暴力的言動を受けたことはある。過去ログでたぶん書いていると思うが、吹雪の日に、風邪で熱があるが登校していた。体育の授業はサッカーだった。外は吹雪だし、風邪で熱があるので、その体育教師に教室で自習はできないかお伺いに行ったのである。ところが、その教師の答えは、
バカ野郎、外で見学もできないような奴が学校に来るな!
そんなことが許されると、社会が乱れる。
だった。これは後半は微妙な発言だと思う。今だったら、普通にワイドショーの話題になる案件である。このような話をすると、40歳半ばの人までは結構「そんな体育教師いたいた」と同じような話を聴けるが、今ではほぼ絶滅していると思う。
当時の体育教師には武器も持っていた。竹刀というのはよく聴くが、自分の中学校時代は、折れた木製バットである。これで突かれると出血するので、たいていは叩くことのみに使用された。それでも相当に痛い。
この使用法はタイガー・ジェット・シンと同じである。タイガー・ジェット・シンはいつも凶器としてフェンシシングのサーベルを持っていたが、それで相手を突くことはなかった。サーベルの柄の部分を凶器にしていただけである。子供心に、タイガー・ジェット・シンは相手に大怪我をさせないようにプレーしているんだと思ったものである。タイガー・ジェット・シンは悪役だが、当時の日本のプロレス界ではなくてはならない悪役だった。そもそも悪役はタイガー・ジェット・シンもそうだが、強くないとできないと思う。
体育教師はそんな風だったが、当時の子供たちは、そのために不登校にはなることはなかった。当時、小学校6年間と中学校3年間で不登校になった女児が1名だけいた。ところが、今ではありえないが、担任の教師が授業中、その家庭の詳細を話してくれたのである。細かいことは忘れたが、父親に相当に問題があり、給食費も入れないような家庭という話だった。
職員との話では、ゆとり教育が始まった頃に、暴力教師はほとんどいなくなったという結論である。