最近、FIREという言葉がよく話題になっている。FIREとは、Financial Independence, Retire Earlyの略である。以下を参照してほしい。
ずっと以前、20年くらい前はFIREという言葉はまだなかった。しかし1990年代には既にFIREの概念は言われていて、例えばハワイでコンドミニアムの会員権の話を聴きに行った時にもMCの人がFIREの概念に触れていた。(コンドミニアムの会員権を買いに行ったわけではなく、話を聴くだけで100ドルくれるというので行ってみた。当時、100ドルでなんとフェラガモの靴が買えた)。以下の記事にその日の詳細が記載されている。
MCの日本人女性は、経済的に余裕をもって早めに現役を引退することは恥ずかしいことではないと強調していた。つまりだ、日本人にとってFIREすることはなんだか恥ずかしいと思えることだったのである。
彼女の話ではアメリカ人は医師でも経済的に成功し十分な資産を持つと、40歳くらいで医師を引退する人もいるという。日本人とアメリカ人では医師と言う職業の考え方が違うのであろう。
FIREとは定年退職を早くすることとは意味が異なる。FIREとは、「経済的に十分な余裕があり、自由に生きることができる」という、経済的なものに加え精神的なものも含まれている。
最近、若くして資産形成に成功し今は自由気ままに旅行などをして生活している若者がテレビで紹介されていた。ちょっと気になったのは、その若者は十分な資産を形成したとまでは言えなかったことである。経済的な大きな変動があった際に少し危ういのでは?と感じた。例えば、日本円の価値が大きく下落するなどである。
現在、若い世代の人たちがFIREに憧れる理由の1つは、精神的ストレスの過敏さ、生きにくさが関係していると思う。FIREに憧れ、それに向かってストイックな生活に耐えるなどの行動は、これらが背景にある。
自分たち世代が若い頃、仕事をしないで自由に生きることはそれほど憧れでもなかったし、そのような生活が実現したとしても暇さに耐えられなかったと思う。つまり仕事をしない生活に慣れることの方が難しいのである。
その点、ストレスフルな職場が辛くてたまらない人たちは、少なくとも自分たちの世代より、仕事をしない生活がストレスにならないと思う。きっと、仕事をしない生活にはすぐに慣れるのではないかと思われる。(それが目標だったのでなおさら)。
FIREを目指すにあたり、総合的に判断する必要があると思う。例えば極めてストイックな生活、例えば買いたいものも買わず、旅行にも行かず、倹約して資産形成することは、なにかを失っていることでもあるのである。
その何かとは、たぶん時間なんだろうと思う。若い時の時間は自分たちの世代が体験する時間とは価値が異なる。
これはちょうど今のように常にマスクをして生活し、楽しいこともできない新型コロナパンデミックの環境になると余計に感じる。きっと失っている貴重な時間は、大学生など若い世代の人たちの方が遥かに大きいのである。
若い時の体験は無形だけど価値が高い。また、若い時に得たお金は、なるだけ自己投資に使うべきなんだろうと思う。