入院中のアルツハイマー型認知症の高齢女性が、時々頭痛や腰痛を訴えて痛み止めや湿布を希望することが不思議でならないでいた。
その人は重度の認知症で、面会の夫の顔も忘れており、入院中の男性患者を自分の夫と間違っているようなレベルである。診察中の話も5秒後には忘れている。
そのような人が痛みを感じて痛み止めを希望するのが不思議なのである。
一般に、どこか痛くても何かに強く集中していると痛みを忘れてしまうか、痛みを通常ほど強くは感じないものだ。例えばスポーツをしている時の痛みなどである。フランスワールドカップサッカーの中山選手は骨折しているのに試合終了までプレーを続けていた。
ずっと以前だが、グアム旅行でうっかり美しいクラゲを手で掬ってしまい手のひらを数か所刺された。
船に乗っていて、そこにいた現地の人に伝えるとピーピー言うので、瞬間、意味がわからなかったが、尿をかけろと言う意味だと理解した。しかし手は敏感な場所なのでそんな治療で簡単に良くなるわけがない。
しかし、その後バナナボート?であっという間に治癒したのである。その日、風と波が強く、中止になるかぎりぎりの天候で、山のような波の高さであった。バナナボートを引く船が波が高すぎて見えなくなるのである。あの瞬間、手を離したら、多分波に流されて死亡していたと思う。命綱というか安全ベルトなどなく、紐を手で掴んでいるだけなのである。それくらい安全対策もルーズだった。
あの疼痛の消失は、脳内のアドレナリンに間違いない。
そのように注意をそらされたり、あるいは脳内の疼痛を緩和する物質で疼痛は緩和する。
重い認知症が間断なく痛みを忘れやすい脳の状況があるわけで、それでもロキソプロフェンや湿布を希望するのが理解し辛いのである。
歳をとると朝起きた時に、北斗の拳のケンシロウのようになる。
つまり、あたたたたた・・と言いつつ起きなければならないのである。僕は朝起きた時、どこか痛い(腰とか背中とか)ので、朝風呂に入るようにしている。やっとそれで血液循環が良くなり痛みは緩和する。朝風呂は習慣なので真冬でも湯冷めはない。
むしろ真夏の方が朝風呂は有害である。その理由は、体内に熱が籠り朝から気温が高いと熱中症のようになるからである。そのため、本当に真夏日の時期は朝風呂はシャワーのみにしている。体調が悪いと朝風呂は、朝から疲れるという事態になりやすい。僕は痛みに対する効果であれば、シャワーと湯舟に浸かることはあまり差がないことに気付いた。
高齢者に自殺が増えるのは、疾病やそれに伴う疼痛も大きく影響している。自殺まで言及するなら、疼痛が強いことそのものがうつに向かわせやすい。
ところが、加齢は全ての生物的な反応を弱める方向に向かわせるので、高齢者が若い人たちより痛がることは不思議である。つまり高齢者は全てのことが鈍くなるという感覚が自然である。
高齢者に疼痛で悩んでいる人が増えるのは、ある種のパラドックスだと思う。
例えば、とてつもなく痛いことの1つに癌の骨転移がある。骨転移の疼痛の理由は、癌細胞が骨膜を喰い骨折の激痛が持続するからである。つまり新鮮な骨折の痛みがいつまでも治らない状態になる。このレベルでは麻薬系の鎮痛薬が処方される。戦場のモルヒネと同じである。
このような激痛でさえ、骨転移の50歳の人と90歳の人では同じはずはない。おそらく50歳の方が痛みが激しいはずである。
内因性の視床下部の疼痛物質、例えばエンケファリンやエンドルフィンは、高齢者では若い人よりは枯れていると考える方が自然である。こういう風に考えると、高齢者に疼痛を訴える人が増えることが少し理解できる(やや辻褄が合うといったところ)。
つまり、言い換えると、高齢者では体内の疼痛を緩和する機序が弱まるために痛みに悩むようになるといった考え方である。
このような疑問を感じる理由は、おそらく統合失調症の患者さんをいつも診察しているからだと思う。