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精神科医は医師になり5年目までが重要

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現在は、僕が卒業した当時と比べ卒後臨床研修制度があるため、医師免許取得後、すぐに精神医療ばかりすることはできない。

この卒後臨床研修制度は時代の要請ではあるが、当初の理想通りにはいかず、種々の問題点が顕在化した。当初は卒後臨床研修は7科のスーパーローテーションで2年間だったが、その後見直され必修3科になり、期間も実質1年となった。必修とされているのは、内科、救急、地域医療である。

この制度の影響として、医学部卒業生と大学病院医局の関係が薄れたことがある。また、その結果、半ば義務的なものだった僻地への医師の派遣が難しくなり、過疎地自治体病院の医師の確保は容易ではなくなった。

卒後臨床研修制度は、現代の若者のフィーリングにマッチしている面があり、少なくとも、旧来の医局制度のある種の窮屈さは減っているようには見える。なぜなら、どこで働くかの自由度は増していると思うからである。

今日の記事は、昔の医局制度を前提に記載しているので、そのまま現代に当て嵌められるのかはわからない。

昔の医局制度は、例えれば大工や左官さんの見習い制度に似ており、ヒヨコから色々学んで熟達せねばならず、犠牲にするものも大きかった。それも数年単位である。

僕は研修医が終わったあと、派遣病院の選択肢が2つしかなく、僻地に行くしかなかった。どちらも僻地には変わりがないので、どうせならと、とんでもない僻地を選んだ。

これには理由があり、医局員も結構いた上、派遣病院も多数あったが、医局員及び派遣病院いずれにも制約があったからである。

まず、当時、大学病院医局には県内病院の2代目の医師が多く入局する時期に入っており、誰もが遠方に派遣することは出来なかった。つまり、「派遣されるにしても、自分の親の病院が手伝えない病院には派遣されたくない」という個人的理由である。そのため、特に遠方の派遣病院は、平均して3分の1の医局員は派遣できなかった。

また、派遣される病院には大学病院との繋がりで優先順位があるのである。だから、自ずから、自分のような医局員は遠方に派遣される確率が高い。

特に僕の入局した年は極端で、県外に派遣できる医師が2名しかいなかった。当時、まだ若かったし、僻地で「信号もあまりない」などは、さほど気にならなかったが、現代社会の若者であれば、嫌と言う意思表示もする人もいるような気がする。

当時、不公平感があるとすれば(僕はさほど思わなかったが)、自分の大学の卒業生、つまり生え抜きの若い医師がたいして勉強にもならない僻地に派遣され、そうではない医局員が、地元のスタッフも施設も充実した病院で働けると言う矛盾である。

僕のオーベン(指導医)は、一緒に飲みにいく度にこの矛盾と言うか、不合理さを愚痴っていた。このような事態は、オーベンは強く問題視するタイプの医師であった。

しかし今から考えると、若い頃の1年や2年はたいした問題ではなく、誤差範囲なのである。(重要)

むしろ、僻地の病院ではどのような精神医療が行われており、都会と田舎の統合失調症の患者にどのような相違があり、地域の疾患集積性の相違もこの目で見ることができたので、本では学べないものの勉強にはなる。

当時いかなる僻地に行っても、

なんでここにはこんなに統合失調症の人が多いんだ!

と愕然とするが、実はそれは錯覚であり、どこもたいして統合失調症の頻度は変わらないのである。精神科病院に勤めているから、そう思うだけであった。

ただ、都会と田舎では「統合失調症のエネルギーの凝縮度?」のようなものの相違があり、明らかに都会の統合失調症の患者さんを診察する方が疲労困憊する。

つまり、すさまじい僻地で、統合失調症の人ばかりに囲まれて精神医療をするのは楽なのである。

実際、僻地から都会の精神科病院に移った時、忙しさのレベルや患者さんの質の相違に、最初、体調が一気に悪化した。過去ログでは、友人が「精神科患者の診察は、自らの健康に有害作用がある」と言った記事がある。(参考)。

大学医局では個々の医局員について、計画的ではなく、むしろ徒然なるままに派遣病院を決めているように見えた。その理由の1つは入局者数が毎年変わるため、計画しようにもできないのである。また当時は、民間病院はかなり精神科医が不足しており、公的病院から民間病院へ引き抜かれ異動する精神科医も多かった。実際、今でも精神科医は不足している。

若い医局員は、どこか厳しい病院で1年でも勤めると、その医局員の発言権がいくらか増し、少しだけ自分の希望が受け入れられるようになる。

医局の事情で、まだ若いのに、2年も3年もドサまわりのような僻地病院に行くようになるのは、その医局員のせいではなく、巡り合わせというか、運が悪いと言う面が大きかった。また、そうでも思っていないとやってられないと言えた。

5年目というと、大学院に行かない場合、研修医2年、派遣病院3年で計5年であるが、この時点で、天才的に治療が上手い精神科医は稀である。

その理由は上にもあるが、無意味とまでは言えないが、その5年のうち数年はモラトリアム的なスキルが上がらない病院に勤めざるを得ないためである。

僕はモラトリアム2乗の僻地病院でリハビリを終え、最も業務的に厳しいと言われる病院に異動した。これは表向きは医局人事だが、実はオーベンと打ち合わせし、そういう段取りにしていたためである。

一般の人には想像し難いと思うが、リハビリ的病院より、往々にしてそのようなハードな病院の方がむしろ給料が安かったりするのである。

給料が安いのは、その分は勉強代と思うと、あまり腹も立たなくなる。この辺りの自分の心の内面の捌きは、その後のスキルの向上に影響する。

僕は、一見あまりスキル的に意味のない病院に勤めた経験も、5年目時点での医師の総合力に影響すると言う考え方をしている。

つまりだ。良いとこ取りしようとしても、理屈通りにはいかないと言う意味である。きっと、楽して上手くなろうとしても、それは難しいんだと思う。

色々な経験を経て、やっと実につくスキルというものがある。

その下地のようなものがあるとすれば、きっと医師になって5年目までに培われるような気がしている。

(おわり)

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