これは精神科医への良くある質問。
ほぼ全ての精神科医は、この質問を何度か受けたことがあると思う。自分の場合、オヤジからすら受けている。返事が曖昧だったこともあり、オヤジの結論は「業」になってしまった。
母親に関して言えば、精神科医になると聞いたとき、「まぁ・・」と言い、何もコメントがなかったが、あまり落胆もない感じだった。むしろ歓迎していたかもしれない。(尋ねたわけではないけどね)。
このアンサーだけど、はっきり言って説明するのが面倒。友人などは、このような質問には答えないことにしているという。
若い頃は、全くの素人の人には、「精神科が良さそうに思ったから」とか「精神科に興味があったから」くらいに曖昧に答えていた。それ以上、理由などないからである。
これは厳密には、精神科に興味があるのではなく、自分も含め「ヒトの精神」に興味があるんだと思う。
今の時代、親戚に1匹でも精神科医がいると、とても便利だ。その理由だが、精神医療の内情は、一般人やマスコミで語られている情報とは乖離があるからである。
真の意味で頼りになると思う。(←精神科医自身のコメント)
だって、今のマスコミの情報だと、精神科にかかるかどうかでさえ、決断が必要でしょう!
過去ログに、親戚の子を入院させて治療した話が出てくる。その親戚の子は現在は完治しており、服薬もしていない。今は結婚して子供もいる。仕事も社内の異動でそのまま続けている。その子の場合、序盤の治療をしくじっていた場合、退職になった可能性もゼロではなかった。子供の頃から叔父にはお世話になったので、少しは恩返しができたと思っている。
一方、他科の医師から、なぜ精神科医になったのか聞かれることはまずない。読者の方は不思議に思うかもしれないが、そういうものである。
精神科医になり気付いたのだが、精神科医はかなり特殊な医師と周囲から思われていることだった。深く考えず精神科に入局したので、周囲からのそのような目は意外だった。
精神医療はなんだかんだ言って閉ざされている面があり、普段、どのような仕事をしているのか、一般の人にとってベールに包まれていると言えた。
精神科医は、医局制度がしっかりしていた時代は、若い頃はいかに忙しくても我慢して働かざるを得ない病院に派遣され、それが結果的に修行になった。医局員もそのようなことは理解しており、スキルの向上が重視され損得勘定は度外視されていたのである。これは日本の体育系の上下関係に似たところがある。
なお忙しい関連病院で働けず、医局からどこへも派遣できない医師は予後不良とされている。その理由だが、派遣した場合、単に仕事ができないだけに留まらず、往々にして他の医師の足手まといになるからである。
積極的に忙しい病院に働くと言っても限度があり、ある程度自信がつくと、もう少し自分の時間が持て、学会旅行でものんびり行けるような環境に移りたいと思うようになる。
自分の場合、今までの精神科医人生で最も学会に出かけたのは研修医の時である。何度かオーベンや同僚と一緒に学会旅行に行き、生まれて初めて北海道や金沢を訪れている。この2つは、それ以降、行ったことがない。初めての土地でレンタカーを借り、あちこち観光するのは楽しいものだ。
忙しい病院で働いていると、「学会に行く」=「遊びに行く」と思われるのと、他の医師に迷惑がかかるので到底行けない。人数ギリギリの状態だからである。それでも行くとなると大変な決断が必要である。また留守中の外来患者の調整もかなり大変なのが普通だ。(過去ログで広島の学会の話が出てくる)
自分の場合、学会に行くと、なぜか病院内で奇妙な事件が良く起こるため、できるだけ自粛している。時には飛んで帰らないと行けなくなるからである。旅行気分どころではない。
そのうち学会に行くことが、自分が病院を空けることを含め、凶と思うようになった。看護師さんやコメディカルスタッフも、自分がいない時は心細いと言うのでなお更である。
どうも、なるだけ自分は病院かその近くにいた方が良いようだ・・
などとオカルトなことを思うようになり、ますます行けなくなった。精神鑑定をしているので、たまには病跡学の学会に出たいと思うが、病跡学なんて飛びぬけて遊びに思われるため、未だに行ったことがない。
なぜ精神科医なのか?の話に戻るが、僕は両親や親戚全てに医師がいないため、いかなる科に行こうとも、苦情は出ない環境であった。過去ログでは、オヤジは外科医が最も良いと思っており、自分が精神科と聞き、かなり落胆したと言う記事もある。
実は、精神科には父親(ないし母親)が精神科以外の医師の人も多く入局している。親は精神科医でないだけに、その決断には相当なプレッシャーがかかったと思う。その人に数人兄弟がいて、誰かが父親と同じ科を専攻していれば、それほどではないかもしれないが。
ある友人が話していたが、開業医の場合、最も親が落胆するパターンは、子供が医師になれないこと(あるいは故意にならないこと)だが、その次は医師になったとしても臨床を選ばず、基礎医学に行ってしまうことだという。この場合、まずくするとその代で閉院になる。例え基礎医学の教授になったとしても歓迎されないと聞いた。
精神科は基礎医学ではないが、それに準じるくらい潰しが効かないため、1人息子などが精神科医に行った場合、親の病院はその代で潰れるので、大変なことになっているという。実質的に、そういう事態になっている友人が何人かいる。
この大きな理由だが、精神科は国の施策により新規に開業できないため、父親の例えば整形外科病院を精神科には変更できないからである。(クリニックを言っているのではない)
親不孝の友人が何人もいるのであった。それに比べると、自分のようにオヤジが少しばかり落胆したのは些細なことだ。自分はツイていると思う。
この記事はいったい何を言いたいのか?と思うかもしれない。
これはつまり、精神科とはそれくらい医学生を惹き付ける「魅力のある科」であることを言っている。
いつの時代も精神科には普遍的な人気がある。タイトルのアンサーはそういうことである。
参考
このブログを読んで、精神科医になりたいと思う人へ
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なぜ精神科医になったんですか?
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