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精神科での外国人の診察と日本語の話

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外国人の患者さんは研修医1年目から受け持ったことがある。もちろん、研修医の時はオーベンの指導の下だが、接する時間はもちろん自分の方が多い。

その後、時々、外国人の診察の機会があったが、実際に入院までさせて治療したことは過去に1度しかない(任意入院)。

外国人といっても、日本に滞在した年数により、どの程度、日本語ができるかは個人差がある。また年数だけでなく、やる気というか意欲や能力にも関係するので、年数だけでは決まらない。

日本語の「ひらがな」と「カタカナ」は英語のアルファベットといったところだが、漢字は彼らにとって種々の点で相当に難しい。同じ漢字でいく通りも読み方があるし、違った意味になることもあるからである。

クレジットカードのサインを漢字で書くのが望ましいのは、漢字だと、西欧人ではうまく真似て書けないことがある。漢字は「書き順」があるため、書き順に沿わないとちょっと変な字になるのである。

日本ではカード使用時に筆跡など碌にチェックしないが、海外では一応確かめる店員も多い。日本では裏面のサインを書かないままでも使えることがあるが、海外だと、提出した際にカードの裏面サインが無記名だと怪しまれる。

外国人がある程度、日本語文章に馴染むためには、漢字は2000字程度の理解を必要とする。しかし、話し言葉はそれほどハードルは高くない。話すだけなら、外国人は日本人の英会話能力よりずっと高い印象である。

僕の場合、最初に診察した外国人はまだ子供といって良い年齢だったので、日本語は最もできる患者さんだった。診察は全て日本語で問題がなかった。

ところで、僕の父方の祖母は、女学校に行く年齢の直前までアメリカに住んでいたため、帰国後、日本語(国語)ができずに困ったという。

友人の話によると、幼い頃にアメリカに渡り、子供をアメリカ人と同じ学校に通わせていると、驚異的な英会話能力を取得するという。しかし時間が経っても、親は全然上達しないというのである。

しかしながら、日本に帰ってそれが生きるかと言うとそうでもないらしい。日本の英語教育は本来そういう能力を要求していない。日本の英語は、基本的にそこそこ高度なレベルの書籍を読みこなし、それを知識として見につけられるということにポイントを置いている。これは明治頃からの伝統だと思われる。

その意味で、過去の「読み書きを重視した英語教育」は極めて正しい。それは、英会話スクールに行き、外国人の英会話教師の教養のなさを見ると痛切に感じるからである。ヒアリング教育はしても良いが、それを大きな比重にすべきではないと思う。

それでも今は、センター試験でヒアリング試験があるようなので、海外に数年滞在するのは、昔よりは好影響があるといえる。

友人の子供は、アメリカに行った期間、飛び級するほど成績が良かったが、帰国してからは、高校で留年した形になり、同級生より1年遅れた学年になってしまった。そのような結果になったことを、本人(友人)は反省していた。

その大きな理由だが、アメリカの数年の滞在は、医師としてのスキルを上げる目的ではなかったからである。(子供を犠牲にしたような後悔)。

僕の友人は面白い海外滞在をした人が多い。例えば上に挙げた友人もそうだし、平凡に、海外のある大学の教授に手紙を書き、それがアクセプトされて数年滞在した人もいる。

少なくとも、僕にはそこまでの度胸はない。

ある友人は、誰が見ても意味がないような留学をし、2年間みっちり引きこもり、研究室と自宅の往復しかしなかった。自宅では主にテレビゲームをしていたので、あまりお金もかからなかったという。まだインターネットなどなかった時代である。

そのため帰国した後も、英会話などさほど上達してはいなかった。また、大学院も中退しているので、何のために海外にまで行ったのか全然わからないといえた(注:その友人は精神科医ではない)。

その後、海外の患者さんを時折診て来たが、自分の場合、最も多い国籍は中国である。(ここでは在日の人は除く)。

一般の人はピンと来ないかもしれないが、医療は国籍はあまり関係がない世界である。それは日本の医師国家試験は、日本の医学部を卒業した時点で公平に評価されるし、医局に入局しても同様だからである。つまり、国籍による偏見がかなり少ない。

そのような感覚は患者さんに対する時も同様なので、国籍による偏見は医療においては、日本では比較的少ないと思われる。

日本の男性と結婚した中国人女性は、十分に日本語ができるかというと、人にもよるがそうでもない。アメリカ人やカナダ人も診察したことがあるが、会話能力は個人差が大きい。

そういえば、ジーコはかなり長期に日本に住んでいたはずなのに、それほど日本語ができなかった印象である。これは個人の努力の大きさも関係するのであろう。

西欧人を診察する場合、患者さんが日本語ができなけばできないほど、こちらは英語を話さないといけない。この切り替えは結構辛い。日本人医師は、特に精神科では、日常、英語を使わなければならない機会があまりないのである。

以前に比べ、十分に日本語ができない患者さんが幾らか増えた印象がある。ある時、もう8年以上日本に住んでいる外国人の男性は、嘘みたいに日本語ができなかった。それでも奥さんは日本人なのである。あれでは活発には日本人とは交流できないし、過去の8年間も多分そうだったと思われる。

その患者さんに限れば、ひょっとしたら学習障害のような背景があり、そのために日本語もできないし、うつ状態にもなった可能性も否定できないと感じた。その理由だが、彼はサイエントロジーに近い思想を持っていたからである。

白人の一部は、全くサイエントロジーの人と変わらないくらい向精神薬を毛嫌いする人もいるので、対処は大変である。サイエントロジー系の患者は正直、自分には向かないと思う。あるサプリメントを薦めたところ、それは飲むと答えたので、全く服薬していなかったわけではないが、彼の病状レベルでは明らかに非力といえた。

中国人の女性患者さんは何人も診たことがあるが、漢文のように漢字を書いて説明するくらいなら、日本語会話で頑張った方が良かった。

過去に、日本人やフィリピン人の人では、向精神薬を拒否するような人は自分の患者さんに限ればいなかった。

副作用を説明する言葉は、たぶん日本の方が多いような印象があった。感覚がうまく伝わらないもどかしさが彼らにはあるようだったからである。

日本が100%を漢字を受け入れず、後に「かな」を発明して自分たちの日本語を完成させたことにより、日本語らしい繊細な表現が可能になった。

これは、外国人の診察の際にも実感できるのである。


参考
外国人の診察
帰国子女


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