販売元のファイザーとエーザイは、平成24年7月11日、
リリカを処方された患者に、めまいや傾眠、意識消失といった副作用が報告されており、転倒したり、場合によっては骨折に至ったりしたケースもある。
などとして、注意喚起の文書を提出している。
上記のようにリリカのため、認知の障害や運動神経に悪影響を及ぼすことは、過去ログにも触れている。過去ログから再掲。
リリカの欠点はトピナと同様、時に認知に悪影響を及ぼすことである。一瞬の判断の鈍さや物忘れの多さなどが出る人が意外にいる。この点でもリリカは少量から開始すべきだし、添付文書の150mgから開始というのはあまりにも過激である。
販売元によると、
主な副作用は「浮動性めまい」と「傾眠」だった。これらの副作用については、「浮動性めまい」の場合、65歳未満の発現率が3.2%だったのに対し65歳以上では9.7%、「傾眠」ではそれぞれ3.7%、5.8%と、より高齢の患者で発現率が高かった。
という。高齢者には特に注意を要すといったところであろう。
参考
リリカ
リリカ、高齢者のめまいなどで注意喚起
リスパダールコンスタの継続と中止の目安
リスパダールコンスタは、一般の抗精神病薬では治療の難しい統合失調症の患者さんに非常に有効なことがある。
基本的にリスパダールコンスタはリスパダール錠やインヴェガとは効き味が異なり、この3つは別な非定型抗精神病薬と考えて治療した方が実践的である。
少なくとも、リスパダールとリスパダールコンスタは後者の方が副作用も少なく、より賦活的であり、減量の際の離脱なども少ないかほとんどないように見える。
リスパダールコンスタは極めて薬価が高いため、治療効果の面で継続する甲斐がないと、医療経済的には良くないと思う。ほぼ同じ治療パフォーマンスと副作用レベルであれば、より安価な薬物を選択すべきだ。
リスパダールコンスタを使った場合、それまでの多剤の抗精神病薬を一掃できるのであれば理想的である。この場合、気分安定化薬の併用が必要な人もいるが、同じカテゴリーの薬ではないので、そのタイプの薬物の併用は悪くないと思う。
ところが、リスパダールコンスタのようなバカ高い薬を使いたくなるような人は、そう簡単にはまとまらないので、なおかつ他の薬を必要とする人もいる。それでもコンスタがあるとないとでは大違いという人たちも稀ではない。
外来患者さんでは、単剤、併用のいずれの場合でも、リスパダールコンスタを最高量50mgきちんと継続していて、数ヶ月して悪化が見られ、入院になるようではリスパダールコンスタを使い続ける価値がない。
そういう人は他の治療法を探すべきであろう。
25mg程度の少量で寛解状態にあり、突然悪化して入院する人はその限りではない。
続けても良いと思われるケース(入院)
①リスパダールコンスタを継続すると、他の抗精神病薬を大幅に減らすことができ、増悪時の程度がかなり緩和できる人(ほぼ退院できないレベルの病状の悪い人。いつも保護室に入ったり出たりの人)
②他の薬を併用しておりなお多剤だが、閉鎖病棟から出られなかった人が、開放病棟レベルに改善し、それが維持できる場合。(このレベルも重い)。
③疎通性がなく、いつも大声を出しているような荒廃状態で、しかも薬に弱く打つ手がないような人。リスパダールコンスタが筋注可能で、しかも精神症状が改善しているケース(看護者がかなり楽になる)。
④コンスタをしていると多少は良くなる程度の改善だが、代替できる抗精神病薬があまりにも少ない人(新薬が出たら試みるべき)。
リスパダールコンスタは2週間に1度筋注しなければならない持続性抗精神病薬なので、入院時に始めて改善し退院になった人は、その後最低限2週間ごとに筋注が必要になる。これは1ヶ月に1度の通院を希望する人たちにとって困ることであるが、説明して2週間に1度通院してもらう他はない。
一般に、統合失調症の人の服薬状況は退院早期に悪化する。きちんと服薬する人は100%に近いレベルで服薬するが、平均的には70~80%服薬してもらえれば御の字くらいに精神科医は思っている。実際、統計的にもそのレベルである。個人的に、病識がないのに70%服用できるのも驚異と思う。
それに対し、リスパダールコンスタの場合、2週間に1度のペースで通院している人はコンスタに限れば100%服薬しているのと同じである。だからこそだが、コンスタを継続していて再燃し入院になるのでは話にならない。
その人にとって、リスパダールコンスタは寛解状態を維持できる能力を欠いていると言える。
入院するほど悪化がなく通院レベルで、デイケアにも参加できる人では、コンスタを使う場合、レセプト的に非常に高価になるのがまずい。(重要)
ある時、これはもう15年以上前のことだが、生活保護の統合失調症の人を退院させ週に5日、デイケアに参加させていたら、市の福祉のケースワーカーに、
退院しているのに、なぜこんなに医療費がかかるんだ!
と文句を言われた。その福祉のケースワーカーは精神科でのリハビリ的医療がよく理解できていないと思った。
一般に、あまり多くない薬の量で、週に5日デイケアに参加した場合、18万円程度医療費がかかる。これは精神科での入院医療費の安さと比べるとかなり高価である。
このような人に更にリスパダールコンスタを併用すると、50mgアンプルの場合、25万円レベルになる。(あくまで原価を言っており、患者さんが窓口で支払う医療費は自立支援法を利用するためかなり安価。ここでは国の負担額についての議論)。
平均して、患者さんの医療費が高くなるのは病院的にも拙いし、日本の財政的にもよろしくない。
実際、非常にレセプトの点数が高い患者さんがいる場合、レセプトの審査の医師から病院に電話がかかっていることが稀だがある。その際の注意だが、
自立支援法はこのような高価な診療報酬を想定していない。
というもの(自立支援法ではなく前の制度だったかもしれない)。高すぎるのは困ると言うのである。これは今の日本の経済的苦境を考えるに、十分考えられるものである。(むしろその方が自然な感覚である。医師にもコスト意識がないと国が倒れると思う。)
結局だが、外来でリスパダールコンスタをガンガン使うのは、あまり良くないという結論になる。僕の場合、入院患者さんの処遇が難しい人には、コンスタを利用するが、外来はなるだけ控えるように心がけている。それはエビリファイの液剤も同様である。
一般に医師はコスト意識が乏しい。これはやはり医師は公的医療機関に勤めていなくても、公務員的な職種だからに他ならない。
僕の場合、特に外来ではリスパダール錠ないし液剤を元々あまり使っていないため、もっぱら転院してきた人で、リスパダールがなかなか減量できない人にコンスタを処方している。
この場合、減量の過程でリスパダールとリスパダールコンスタを両方併用し、押したり引いたりしながら減量する。ここで失敗して増悪し入院するようでは困るが、リスパダールだけ処方されている人は量にもよるが、全てをコンスタに変更するのは比較的容易である。
この際に、コンスタを使い始めると、「前より気分が良くなった」「明るくなった」という感想が多いので、コンスタはより賦活的な薬物であるのを実感する。
最終的にだが、それまでリスパダールを6mg以上処方されていた人をいったんコンスタに変更し、時間が経ち、例えばジプレキサ10mgと気分安定化薬(デパケンRやラミクタールなど)の組み合わせになると理想的である。この方がコンスタを継続するより医療費もかからない。
リスパダールコンスタである程度良くなっている人を、ジプレキサやセロクエル、あるいはエビリファイなどに変更するのは度胸のいることである。
なんとなく、この辺りの見通しがつく人は対処がしやすいと思う。
参考
リスパダールコンスタが高すぎること
メマリー
メマリー(一般名;メマンチン)
2011年に、メマリーを含め3種類のアルツハイマー型認知症の薬が次々と発売されている(他、レミニール、イクセロンパッチ)。従来は長い間、エーザイのアリセプトしかなかった。
新しいタイプのアルツハイマー型認知症薬のうち、メマリーだけは一風変わった作用機序を持つ。メマリーは、NMDA受容体拮抗作用を持っているからである。
メマリーは 第一三共株式会社から発売されている。5、10、20mgの3剤型が発売されており、添付文書的には、
メマンチン塩酸塩として1日1回5mgから開始し、1週間に5mgずつ増量し、維持量として1日1回20mgを経口投与する。
<用法・用量に関連する使用上の注意>
1.1日1回5mgからの漸増投与は、副作用の発現を抑える目的であるので、維持量まで増量する。
2.高度腎機能障害(クレアチニンクリアランス値:30ml/min未満)のある患者には、患者の状態を観察しながら慎重に投与し、維持量は1日1回10mgとする。
3.医療従事者、家族等の管理の下で投与する。
となっている。メマリーは約3~7時間で最高血中濃度に達し、至適治療量の範囲では薬物動態は線形である。最終消失半減期は60~80時間。メマリーはほとんど代謝を受けず、投与量の57~82%は未変化のまま尿中に排泄される。残りは3つの極性代謝産物に変化するが、これらはわずかにNMDA受容体拮抗作用を持つらしい。
アルツハイマー型認知症では、シナプス間隙のグルタミン酸濃度の持続的上昇により、NMDA受容体が活性化されている。この経過により神経細胞への過剰なカルシウムの流入を招き、神経細胞を死に至らしめる。
メマリーは、異常なグルタミン酸伝達に関連するNMDA受容体を部分的に遮断し、一方、正常な細胞機能に関連する生理的伝達は遮断しない。この結果、過剰なグルタミン酸から神経細胞を保護し、認知症の進行を遅らせる。
またアルツハイマー型認知症では、シナプティックノイズが増大することにより記憶を形成する神経シグナルを隠し記憶・学習障害が生じるが、このシナプティックノイズも抑制すると言われている。
添付文書的にはメマリーは中~重度のアルツハイマー型認知症に投与できる。(軽い人はアリセプトなどのコリンエステラーゼ阻害薬が推奨されている)
初めて、メマリーを2.5mgだけ投与した時、その効果に驚愕した。メマリーは極少量でも、家族が明確にわかるほどの変化をもたらす人が稀ならずいる。
アルツハイマー型認知症の臨床所見のうち、家族が介護に困るような症状をBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)という。これは、徘徊し勝手に家を出ていくとか、家族への暴力・暴言、不潔行為(便弄りなど。いつのまにかポケットに自分の便を入れている人すらいる)、介護の拒絶などを言う。
これらは行動面の異常行動である。また、精神面の所見もBPSDは含む。これらは、盗られた妄想や幻覚・幻視、不安、抑うつ、睡眠障害、せん妄などである。
BPSDが酷い認知症を持つ家族は、家庭で介護しようとすると、昼間も一時も目が離せないし、夜も一睡もできない事態になる。やはり認知症の治療薬は非常に重要である。(治療しないと家族が体を壊す)。
最初にメマリーを2.5mgだけ処方した際、家族によると、その患者さんは以前より行動面の落ち着きのなさや介護への抵抗が減ったので随分介護が楽になったという。
メマリーは感覚的には10人に6人くらいははっきりとした効果がある。経過が良い人は、非常におっとりし、穏やかな性格に変わったように見える。しかし、10人のうち1~3名は効果がなく、10人のうち1~2名はかえって興奮するなど病状が悪化する。
メマリーによる病状悪化のメカニズムは、作用機序を考えると、アリセプトによる病状悪化ほどはわかりやすくない。
メマリーは添付文書的には5mgずつ1週間ごとに増量することになっているが、忍容性が低い人が稀ならずおり、少量のままの方が良いケースも多い。メーカー的には速やかに20mgまで増やしてほしいのであろうが、体に堪えてそうもいかない人もいるのである。
これまでの研究によると、5mgでそのまま経過を診るより、20mgまで増やした方が例えば1年後の認知症の進行が遅れると言う。しかし、副作用で飲めないものは無理である。
メマリーの必要な用量に影響する指標はいくつかあり、その1つが上記の腎機能のクレアチニンクリアランス値。実際、この値が悪い人は10mgで継続して良いことになっている。
しかしながら、それ以外に影響するものがありそうなのである。その1つが一般内科が処方する身体疾患への治療薬。メマリーの一部は尿細管分泌により排出されるため、同じ腎臓陽イオン系を使う薬剤、例えば ダイクロトライド(降圧利尿剤)、タガメット(ヒスタミンH2受容体拮抗剤、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の薬)、キニジン(抗不整脈薬)などと併用すると、メマリーないし内科薬の血中濃度に影響する場合がある。これは認知症の薬物は高齢の人に処方されることが多く、既に内科薬を服薬していることが多いことも関係している。
その他、身体的に衰弱している際も、メマリー影響でいっそう元気がなくなる人がいる。例えば、重症感染症などで動けないほどであれば、一時的にメマリーは中止すべきである。また尿のPHも関係すると言われている。PH8のアルカリ尿では、メマリーのクリアランスは約80%減少する。患者さんの体調が悪い時は、メマリーは減量か中止する方が望ましい。
メマリーの至適用量を須らく20mgと考えない方が良いことは、家族からの経過報告でもわかる。2.5mg~5mgから始めて、当初はBPSDが改善していたのに、増量するにつれかえって興奮するとか、動けなくなりいつも寝ているということがあるからである。
その際に、家族がメマリーを減らしてみると、快活になるとか不機嫌が減るなど、病状が回復するらしい。合っているのに服用量が多すぎるのである。
つまり、日本人は身体的な疾患、併用薬、体調、脳の忍容性により、メマリーの投与量は考慮した方が良いと思われる。レセプトには、
この患者さんは薬に弱いため、仕方なく少量を処方している。
くらいに書いておく。これで今のところ減点はない。(うちの県の場合)。
メマリーは特にリエゾンで極めて有用な薬である。それは、今の総合病院では認知症を伴う高齢者が多く入院しているからである。総合病院では認知症のBPSDに対し、セレネース、リスパダール、セロクエル、眠剤などが投与されていることが多い。もしこれがメマリーに代替できるなら、嚥下性肺炎などのリスクを減じられるため、治療的にも看護的にも遥かに有用で優れている。
現在のリエゾンにおける認知症のBPSDには、抑肝散、アリセプトなどのコリンエステラーゼ阻害薬、メマリー、デパケンシロップ、セロクエルなどを主体に対応するのが良い。
また、アリセプトなどの従来型のコリンエステラーゼ阻害薬が漫然と投与されているため、BPSDがかえって悪化している人に、コリンエステラーゼ阻害薬を中止し、メマリーを投与することで、あっというまに「おりこうさん」の老人に変じることがある。この変化は、内科・外科系の主治医や看護者が驚愕するほどである。その量もたった5mgくらいで良い場合もある。
メマリーはコリンエステラーゼ阻害薬に比べ、おそらく治療できる認知症の範囲が広い。
おそらくアルツハイマーだけでなく、他のタイプの認知症、前方型認知症やレビー小体型認知症にも有効なのである。これも必ずしも20mgまで投与しなくても良い人が多く存在することに関係している。
メマリーの投与量や増量のスピードはもう少し裁量が与えられるような添付文書の記載が良い。その理由だが、5mgとか2.5mgなどの少量を継続した場合、院内ないし調剤薬局から、「この処方はおかしいのではないか?」と言う内容の電話がかかってくるからである。(いちいち説明するのが大変。患者さんはどこの調剤薬局に行っても良いため)。
20mg処方されている人を5mgまで減量したため、かえってBPSDが改善したことが何度もある。
一方、20mgまで投与してもケロリとしており、しかも全然効いていない人がいるのも事実である。この場合、コリンエステラーゼ阻害薬を併用することで、効果が増強することがわかっている。(レセプト的にも容認されている)。
メマリーは新しいタイプの画期的な認知症治療薬で、今後、処方箋数が伸びていくと思われる。
参考
アリセプトとレビー小体病
アルツハイマーのおばあちゃんはごまかすのか?
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独創的な授業をする先生
僕の通った小学校は公立のマンモス校で、全校生徒が1500人を超えていた。従って、先生もかなり多い小学校であった。僕は小学校1年から担任の先生を挙げると、
1年生 女性(40歳くらい)
2年生 男性(32歳くらい)
3年生 女性(40歳くらい)
4年生 男性(45歳くらい)
5年生 女性(40歳くらい)
6年生 男性(40歳くらい)
交互に男女になっているが、これは偶然である。毎年クラス替えが行われるわけではなく、クラス替えは、1年終了時、2年終了時、4年終了時に行われた。したがって、最後の2年間は同じクラスメートだった。
特に3年生と5年生の女性担任が指導熱心だった。2年生の時の男性教師だけは極めてハズレ。1年生の時の女性教師の印象はあまり残っていない。
4年生の時の男性の先生は結構気に入っていた。それはあまり宿題についてうるさく言わず、子供の自主性に任せていたからである。あの時代の小学4年生の指導は、あの程度のスタンスで十分だったと思う。
4年生終了時のクラス替えで、非常にできの良い子供が自分のクラスに集まった。これは偶然である。5年生の時の女性の担任によると、自分のクラスの各児童の成績は綺麗に正規分布しており、しかも右にずれているので、教え甲斐があるということだった。当時、既に正規分布の概念は理解できていたようである。
また彼女は、このように出来が良い子ばかりのクラスを未だかつて担当したことがないと話していた。実際、その地方の一介の公立小学校5年生のクラスから、結果的に東大理Ⅲを含め国立の医学部に3名合格し(しかも全て現役)、国立大学に進んだ人もこの3人以外に10名以上いる。これは奇跡である。
しかし、まさか将来、医師になるとはその時は思っていなかった。これには理由がある。6年生時の担任によると、皆が将来進学するであろう高校は毎年30名しか国立大学に合格していないと言う(1学年生徒は240人)。クラス全員がその高校に進学はできないので、「このクラスから国立大学に合格できる人は1名おれば良いほうだ」と言われていたから。まさに、
ざっぱーん・・
の大的外れな予測だったといえる。
当時その近辺に住んでいる人たちは、親の教育水準は必ずしも高いとはいえなかったが、知能が高いと思われる業種についている人が多く、子供たちの知能も高く、父兄もみな教育熱心だった。
教育はやはり環境の影響が大きい。なんと、うちの高校の僕の学年は、国立大学に100名以上合格したのである。理系クラスでは、70%以上が国立大学に合格し、2浪になった人が1名もいない。
このような話は過去ログにも断片的に出てくる。(参考1、参考2)
「聖書」の記事に出てくる友人は、4年生の時に極めて風変わりな、独創的な授業をする担任教師に当たった。当時、彼とクラスは違うが親友だったため、どのような授業をしているのか聴いたことがある。
彼によると、「自分のクラスではテストがない」らしい。また、驚いたことに、そのクラスだけはよく校舎の外で授業をしていた。たまに裏山に登っていたこともある。また、授業で自作のパズルをさせることもあるという。その担任は、型にはまった授業は全くしない教師だったのである。
今から考えるに、よくもまあPTAから苦情が来なかったものだと思う。実際、その1年間は完全なモラトリアムで、その担任に当たったが最後、1年経つと他のクラスの児童に比べ驚くほど成績が下がっていると言われていた。まともに授業をしないので当たり前である。
確かに、その教師には4年生くらいしか担任をさせられないと思う。
友人の話では、その先生の授業は結構面白いんだそうだ。勉強の方は塾に行っているのでなんとかなるという。(なんだこりゃ?の世界)
実は、もう1名女子の友人が彼と同じクラスで似たような話を聴くことができた。彼女が5年生になった時、クラス替えで新しく一緒になった友人に学習レベルが追いつくのに数ヶ月要したという。
独創的かもしれないが、父兄には歓迎されないタイプの教師だったと言える。だって、まともに授業をしないのに。
しかし、その教師は本来美術の先生らしく、土曜日の午後に小学校の美術室を使い希望者だけ油絵の指導をしていた。その聖書に出てくる友人はその油絵の会にも参加しており、よく知っている教師だったので、クラス担任になったことをけっこう喜んでいた。彼の母親は、たぶん、
あああ・・
だったと思うが、彼自身あるいは他の児童は歓迎しており、父兄の考え方とは異なっていた。後年、その母親に当時の話を聴いたところ、4年生の担任だし「なんとかなるだろう」と思っていたという。
近年、ゆとり教育が見直されたと言われるが、あの時代に「究極のゆとり教育」を実践した教師がいたのである。
今日の記事は、急に思い出したので書いただけで、深い意味はない。
参考
ライトプレーン
体育教師が小学生を殴った話
夢のような本
合格発表と友人
「罪業妄想の強いうつ状態」のその後
過去ログの非定型精神病のテーマに、罪業妄想の強いうつ状態(前半)と(後半)の2つの記事がある。
罪業妄想の強いうつ状態(前半)
罪業妄想の強いうつ状態(後半)
ただし、後半はサインバルタのテーマに入れているので、非定型精神病のテーマに連続には記載されていない。
さて、この年配の女性患者さんは今、どうなっているでしょうか?
彼女の場合、入院後にむしろ精神病状態が活発化し、一時、意識障害を伴う非定型病像を呈している。そのため、退院までに120日以上を要した(最後の1ヶ月は本人が希望して病院に滞在した感じだったが)。
過去ログでは、サインバルタとラミクタールの併用が良かったのではないか?と記載している。最後は自然に回復した印象である。
現在、彼女は完治しており、全く服薬していない。普通に家事をしているらしい。過去ログでは機転が利き、チャキチャキした感じの奥さんと言う看護者の評価であった。
過去ログには、あのような意識障害まで生じるほどの重い非定型病像は、「寛解への扉」とか「変曲点」と言う記載もある。あれは、おそらく特別な病態なのである。
彼女の場合、治療が迷走しやや時間がかかったので、
この人、大丈夫か?
と思ったのは事実である。(治療者はあのような病態では楽観できない)
もう1人、同じような非定型病像を呈した女性患者さんを過去ログにアップしている。
ウェールズの人の発症、寛解のパターン(前半)
ウェールズの人の発症、寛解のパターン(後半)
この女性患者さんは完全に寛解した状態にあるが今も薬を服用している。しかし、ほとんど病状のブレがない。ある時、2回くらいややうつ状態が見られていた時期があるが、軽躁状態のような病期はない。彼女は旅行好きなのでよく旅行をしているようである。今の処方は、
トレドミン 50mg
デパケンR 400mg
リボトリール 0.5mg
セロクエル 25mg
他、眠剤。
であるが、現況、すぐに薬を中止できるような状況にないし、本人もそれを希望していない。本人が減量を希望した場合、最初に減量しやすそうな薬はトレドミンである。しかし、トレドミンは非常に彼女には効いており、トレドミンを中止した場合、うつ状態が再燃する可能性がある。
だから、この人は単にトレドミンを減量するのではなく、デパケンR、トレドミン、セロクエルなどをトータルにラミクタールに変更する方が現実的だし成功率が高い。
しかし、もはやあのレベルの寛解状態にあり、本人が「薬を変更しないでほしい」と言うものをリスクをとる必要はないと思われる。
この2人の女性は非定型病像と言いつつ少し病態や経過が異なる。「ウェールズの人の発症、寛解のパターン」の女性は経過中に酷い意識障害がなく、見通しが比較的楽観できていた点で、治療者としては楽であった(入院期間もずっと短い)。この2名の女性は年齢はほとんど同じくらいである。
「罪業妄想の強いうつ状態」の女性のエントリは2011年9月にアップしており、治療したのはそれ以前であるものの、薬物療法では最新の薬が試みられている。例えば、トピナやラミクタール、サインバルタである。
ところが、「ウェールズの人の発症、寛解のパターン」の記事は、2009年6月にアップしており、彼女の治療はそのかなり前である。そのため、新しいタイプの抗てんかん薬やサインバルタなどの抗うつ剤が処方されていない。極めてオーソドックスな薬物治療のみで寛解している。
このブログはもう7年目に入っており、ブログを開始後に、ラミクタールやトピナ、リフレックスやサインバルタなどの新薬が発売されている。
その後、これらの薬が臨床で治療に使われ、記事としてアップされているのである。つまり、このブログに紹介されるものは、時間の経過とともに、薬物治療の手法という点で発展してきていると言える。
個人的に、この2人の女性の寛解は、薬が新しいかどうかはあまり関係がなく、病型の相違が大きいと考えている。(もっと古い過去ログに薬なしまで寛解した人が紹介されている。つまり薬だけに関係するものではない)
最初に挙げた「罪業妄想の強いうつ状態」の女性だが、最近は「経過中にトピナを継続したこと」の意味が大きいのではないかと思い始めている。(その時はあまり感じなかったが)。
その理由だが、「彼女の回想」に出てくる女性患者さんの治療の際、トピナを結局悪化させるまで使ったことで、その後の展開が開けたように思われたこともある。(他にも同じような経験を記載している)。
奇妙な言い方だが、
トピナは当初、多少効いているように見えるが結局悪化させ、中止するようになってもその後の流れを変え、予後に好影響を与えることがある。
経験的に、同じようなことが再現されるからである。ラミクタールとトピナはつくづく奥が深い薬だと思う。
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ロンドンオリンピック雑感
まだロンドンオリンピックが始まって間もない頃、嫁さんが、
オリンピックはいつまであるの?
と訊いた。ちょうど、夕方から柔道が実施されていた頃で、
これからもまだまだ続く。まだ陸上も始まっていないのに・・
オリンピックは面白いが、長く続くと、このクソ暑いのに、こちらの体が持たない。
と答えた。イギリスと日本は8時間くらいの時差があり、日本では夜間ぶっ通しであるため、良いのか悪いのか?
リアルタイムでテレビ観戦できるのは良いが、深夜3時頃に決勝がある場合、睡眠スケジュールをたて、少し仮眠し開始時間に起きて観戦し、その後また寝るなどの方針で臨む。これは20年以上前から同じである。
これでは観戦する方も大変。アスリートはもっと大変だろうけど。そして、この暑さ!
日本が勝とうが負けようが、自分の人生が変わるわけでもなく、一銭の得にも損にもならないが、スポーツとはそういうものである。これはサッカーのサポータに聴けばわかる。
フェンシング個人戦の太田選手が出た決勝や、レスリング女子の深夜の決勝はそのまま眠らずに観ていたため、朝はもうヘトヘトである。
かつて、「柔道は3位決定戦が面白い」と書いたことがある。
オリンピックの柔道競技では、世界ランキング1位、最有力の優勝候補でさえ、決勝に行けずに銅メダルを獲得しただけで相当に喜んでいる。海外選手の場合、ほとんどがそうである。やはりオリンピックの銅メダルは、世界選手権より価値がずっと高いのであろう。
ところが、日本選手が勝ち上がりで早々に負けて、男女とも三位決定戦にすら出場できない日があった。(敗者復活戦は、準決勝に出場した4人のうちの1人に敗れた選手でないと参加できない。)
とたんに柔道競技の放映が他の競技に変わった。楽しみにしている観戦者にも配慮してほしい。他国の選手同士でも、3位決定戦とかその前の試合は相当に気になる。(日本人が負けてしまった選手がどのような勝ち上がりをするのかは非常に興味があるため)
その結果、柔道は観ているだけで相当に力が入るというか、最終的に勝っても負けてもこちらは筋力を使い過ぎてヘトヘトである。これは嫁さんも全く同じ意見であった。
柔道競技ではあまり金メダルが取れず、ロンドンオリンピックの競技全体でもあまり芳しい結果にならないのではないかと思われたが、水泳競技を始め、幅広い種目で銀と銅メダルは相当に取っている。金メダルが相対的に少ないだけである。特にこれまで参加してもメダルまで取れなかった競技でメダルが増えたことは喜ばしい。これは日本のスポーツ競技の裾野が広がったことを示している。
日本の新聞では金メダルの獲得数を基準に国別順位を付けているが、これこそ、金メダル至上主義を表している。一方、アメリカの新聞ではトータルのメダル獲得数で順位がつけられ、その基準だと日本はかなり上位に位置している。現在、金メダル基準では13位だが、総メダル数では6位である。
このアメリカの方法だが、金メダルから銅メダルは、運とか偶然の差に影響されたものであり、大きな差異がないという考え方に基づく。だからトータルのメダル数でランキングが表示されるのである
日本のメダル至上主義は、これまでマラソンの代表選考で度々混乱を招いた。(あまり話題にならないが、柔道も同様)
例えば、ソウルオリンピックの代表選考会の瀬古選手や、その後のオリンピックの有森選手の代表選抜などである。
アメリカでは選考会の結果が全てであり、選考会の直前に怪我をして出場できないような選手は最初から負けていると同じで、本大会でも良い成績が残せないといったところであろう。実際、骨折した選手が包帯を巻いたまま選考会に出場した映像(110mハードル)を観たことがある。(もちろん負けた)
アメリカは多民族国家であり、また訴訟社会でもあるので、もし妙な選考をした場合、裁判で負ける可能性も高い。
日本の場合、特にメダルが期待できる個人競技では、たまたま選考会で結果が出なかったとしても、強い選手を出場させる方針である。これこそメダル至上主義を示している。
近年に限れば、マラソンは実力的にメダルから遠ざかり、誰が出てもあまり結果は変わらないため、比較的公正な選抜が行われているように見える。(選考基準をめぐり混乱が生じにくくなった)
今回、球技の活躍が目立つ。史上初の卓球女子団体の銀メダルや女子サッカーの銀メダルである。
日本のサッカーは男女とも、ベスト4以上に勝ち進み、揃ってメダル獲得の可能性があったが、男子は最終戦の日韓戦に敗れてメダルを逃した。
最終戦が、女子が日本vsアメリカ、男子が日本vs韓国だったので、揃って敗北する確率濃厚と思われた。実際、アスペルガーの外来患者さんに予想や意見を聞かれたので、
2つとも勝てそうにない。
と答えたら激しく立腹された。人に意見を聞き、自分の思うような答えが帰って来ないだけで、そこまで怒るのは謎である。人には色々な意見や考え方があるから。
実力的に女子はアメリカが上回るし、男子は若い世代、A代表ともに韓国に勝つときは辛勝、負けるときは完敗するのは散々観させられてきた。実力差以上に相性が最悪なのである。
なでしこの決勝戦は、最初に2点取られたものの1点返した上、試合全体を通じて決定的な場面も多く、良い出来だったと思う。ワールドカップやオリンピックなどの大試合で、明確に実力差があるチームに2回連続で勝つのは難しい。
男子の場合、なまじ親善試合でメキシコに勝っていたため、なんとなく準決勝は勝てそうに見えたのがミソである。この試合で、あの負け方は心理的に堪えると思う。完全に負けるとわかるような韓国のブラジル戦大敗の方がはるかに気持ちの切り替えが効く。
また、3位決定戦が日韓戦に決まった韓国は、日本に勝てば報奨金に加え兵役免除のお金には替えられない報酬が与えられることになったので、モチベーションと言う点で大差があった。韓国の若者の兵役の義務は大変なストレスになっており、実際、兵役期間に自殺者がかなり出ている。日本の自殺者も多いが、韓国もそれに近い状態なのである。
実際、「男子サッカーの兵役免除は他のアスリートに比べ優遇されすぎている」と一般国民から不満が出て、「韓国負けろ」の声すら出ていたらしい。一般民衆の思惑の逆になりやすい点でも、韓国が勝利する状況が揃っていた。韓国が幾らかでも自国のチームを素直に応援できない心理が働くような状況は滅多にない。まして日本戦なのに。(マーフィーの法則)
昨夜は、日本vs韓国戦の開始10分前に起床し、大型テレビの前に正座して試合開始を待った。
負けそうな気がしていても、サッカーはやってみないとわからないのは日本vsスペイン戦や韓国vsイギリス戦の結果を観ればわかる。
なでしこの決勝戦のアメリカの2得点はほぼ個人技による得点である(特に2点目)。男子でもほぼ同じことが起こった。韓国の2得点は、ちょうどメッシがドリブルでゴールに近づき、1人で得点するような卓越した個人技によるものだ。特に2点目は、ブラジル人のゴールのような素晴らしさであった。
ちょうどキーパーの手の辺りでワンバウンドするようなゴールは、Jリーグの外人選手のゴールで良く観る。
いつかも書いたが、日本の場合、オーバーエイジで香川や本田のようなスーパーな選手を入れないのだから、あの結果もやむを得ないような気がする。サッカーは0-2は大差の負けだし、選手の質的にも相当に差があり、それがそのまま出ただけである。
前半に1点取られた時、雰囲気的にもう同点にできそうになかったため、ハーフタイムには全身が脱力して放心状態であった。
サッカーの場合、0-1でも到底同点にできそうにないと感じられる試合がある。そして、後半のあの個人技によるスーパーゴールである。
試合が終わりベッドで2時間くらい眠った。仕事上の非常に奇妙で不愉快な夢を見たので、朝、起きたときは一層、疲れていた。
まあ、1日もすれば、普段の日常に戻るんだろうけどね。
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メンタルヘルス不調者の医療機関受診率
メンタルヘルス不調者のうち、医療機関に相談ないし受診した人の割合は、わずかに28.8%に過ぎないと言う。相談、受診先だが、
①精神科医 14.6%
②一般医 12.2%
③臨床心理士、ソーシャルワーカー、カウンセラーの専門家 5.8%
④宗教家、漢方医、整体師 5.8%
メンタルヘルスの人は意外に精神科医にかからないのがわかる。これはスティグマとか、精神医療がよく理解されていないこともありそうである。
過去ログで、自殺未遂などで救急病院に搬送される人は、どこの医療機関にも受診していない人が結構多いと記載している。
一般医に行くより保健所に相談した方が、まだうまく精神医療機関へ紹介してくれると思う。
5人に1人
日本では、国民の5人に1人は一生のうちに精神疾患にかかると試算されている。
「こころの健康についての疫学調査に関する研究ページ」から。
精神疾患は、一般の人が思っている以上にありふれた疾患である。ただ、過去ログにもあるが、これを風邪に擬えるのはいただけないと思う。
参考
うつ病は本当に心の風邪なのか?
うつ病は詐欺師なのか?
外来4時間待ちという話
僕の患者さんで、友人の外科系医師から紹介されて来た人がいる。彼女は今は寛解状態にある。(この良くなり方に彼は驚き、その後もよく紹介してくるようになった。)
彼女の話だが、今も通っているその外科系病院は、再診なのに、たまに4時間以上待つことがあるという。
なんとかならないものでしょうか?
と僕に聴くので、「簡単にはなんとかならないでしょう」と答えた。患者さんが多い以上、運が悪いと、そのようなことはありうる。
普通、大学病院とか特別な病院を除き、民間病院ではそのくらい待たせると、次第に外来数が減ってくるのが普通だ。これは以前、過去ログにも触れている。
その意味で、病院に医師がたくさんいればいるほど待ち時間が少なくなり、結果的にのべの外来数は増える。
彼女はその友人が開業してほしいと話していたが、それも多分、解決にはならない。それはそのクリニックを1名で診ないといけなくなるから。結構待たないといけないのはあまり変わらないと思う。
それと、いったん院長になったら簡単には辞められない。また外科系だと開業には設備投資もバカにならず、資金面においてもまた年齢的にも厳しい。これまで開業せずに院長までなったのなら、今後も院長のままというのが自然である。
近年、精神科では、相対的に精神保健指定医が不足している。そのため、指定医の募集をしている単科精神病院は多い。
その理由はいくつかあるが、ある時期、医学部の定員を絞った時期があったこと。これは、
「医師数が増えれば増えるほど医療費が増える」と厚生労働省など国が判断を誤ったためである。
その結果、地方にはろくに医師がいないという医療過疎地域が増える事態になった。(これにはスーパーローテイト制度も関係している)
医療費が増えてきたのは、日本国民の高齢化と、先進医療が可能になったこと、精神科に関しては、うつ病圏、認知症圏の患者が増加したことが大きい。(参考)
また精神科では、高価な新薬が立て続けに発売されたことも関係している(これもある意味、先進医療である)。統合失調症圏内の患者さんはたぶん減少しているが、うつ病圏内と認知症圏内は激増している。
最近は、むしろ医学部の定員を再び増やし、更に医学部を新設する話まで出ている。
精神保健指定医を取得するためには症例のレポートが必要だが、特に「措置入院」の症例が集まりにくいため、最近は若干レポートのルールが変更されている。措置入院数と移送数は地域差が大きく、年間に措置患者が数例しかいないという県すらある。(処遇のあり方はローカルな面がある)
精神保健指定医の制度の実施前には、措置患者はあまり大学病院では診なかった。それは一般に、大学病院には摂食障害とかボーダーラインなど神経症やうつ病圏、典型的だが若くて暴力性の少ない統合失調症の患者さんが集まる傾向があったからである。そのような病棟に「2名殺人した」という患者さんは馴染まない。
ただし最近は殺人事件を起こした精神疾患の患者さんのうち、心神喪失か心神耗弱の一部の人は医療観察法病棟で治療を受ける(注1)。責任能力のある人は刑務所である。(または医療刑務所)
その結果、措置患者さんは一般の国公立の精神科病院か、いかなる過激な患者さんでも扱える民間病院に集まっていた(参考)。当時はそうだったのである。今は、措置症例が必要なため、軽微な犯罪で措置になった人は大学病院でも診ているのではないかと思う。(最近はレポートで必要な要件は措置入院患者または医療観察法入院対象者となっている)
まあ、それでも精神科の場合、精神保健指定医でないと一人前の精神科医とみなされないので、なんとか時間がかかっても取得する。民間精神病院でも指定医があるとないとでは、待遇(報酬)がかなり違うのが普通である。
ところが、ある程度の期間、精神病院などに勤めた後、クリニックを開業する精神科医が出てくる。これは精神病院全体から言うと、いなくなるのと同じなので、それで更に不足に拍車がかかる。
元々、クリニックを開業するのには精神保健指定医は必要がないが、最低限それくらい精神科医をしていないと、開業後、多様な患者さんを扱うのは難しいのではないかと思う。過去ログでは、「アナフラニールが効かないという精神科医は、まだ未熟なので開業しようなんて思わないでほしい」と言う記載をしている。
精神科及び心療内科クリニックの多寡には地域差があり、既に激戦地域もあれば、それほど過密ではない地域も多く、まだまだ精神保健指定医の流出は起こりそうである。うちの県では、今の倍の数のクリニックがあっても全然大丈夫だと思う。
クリニックを開業する人に言っておきたいのは、その地域の精神病院に紹介する場合、いきなり紹介状を送りつけて、「入院させてくれ」と言うのはこちらが困ること。
空きベッドがないと入院させられないし、空きベッドがあっても「その患者さんは無理」と言うこともある。それぞれの病棟には専門性があり、放尿するような認知症の老人をサラリーマンや大学生の病棟には入れられない。だから、あらかじめ入院が主目的の紹介なら、「電話して状況を聞くなど根回しをしなさい」と言うことである。
また、もう少し曖昧で、どのような意図で転院を依頼しているのか不明なものがある。「今後、入院するかもしれないので・・」くらいに書かれているが、その経緯で紹介されるような人は、その日に入院が必要な人もけっこう多く、こちらもかなり困る。
今すぐでも入院が必要で、空きベッドがない場合、そのまま紹介状を持ってクリニックに帰って貰うしかない。あるいは、既に夕方くらいの時間では、こちらで入院可能な病院を探す(クリニックに帰っても探す時間がなくなるため)。
病院が見つかると、その紹介状を持って行って貰うのである。このような時、その患者さんが精神症状的に処遇に困るようなタイプだと、まるで難しい患者さんを押し付ける印象を持たれかねないのが困る。こちらもかなりのストレスである。このような経緯があっても、結構時間を取られているのに診察代も取れない。取っても良いかもしれないが、うちでは普通取らない。(心情的に)。
最近は、このようなことをあまり考えていないクリニックの医師が増えている。(つまり常識がない)
ある内科の医師から言われたことがあるが、うちの病院はいつも満員じゃないかと思っていたそうである。うちの病院は満員のこともあるが、次々退院させるので、月末など一気に4~5名退院した場合、一時的に結構空くこともある。それでも動いているベッドは多分全体の10~20%くらいであろう。
精神保健指定医の話で思い出したが、自立支援法の診断書は、最も下の欄に医師の経歴を記載するスペースがある。これは、ICDでF00~F39・G40以外の診断名を記載した場合、精神保健指定医の番号ないし3年以上、精神科の業務についた経歴があることを示さないといけない。(診断が信頼できないということであろう)
自立支援法は本当は精神保健指定医のみ記載できることが望ましい。それは年金診断書もそうである。実際、年金診断書の場合、一番末尾に精神保健指定医番号を記載する欄がある。
現在の自立支援法の診断書の場合、G40などのコードも含むので、脳神経外科などの医師からも自立支援法の診断書をアクセプトしている。(G40は「てんかん」)うちの県ではそうだが、他県ではどうなっているのか知らない。
元々、自立支援法の前の制度では、対象になる精神疾患はかなり県により差があった。当時は「通院医療費公費負担制度」、いわゆる32条と呼ばれ、統合失調症、躁うつ病、うつ病は問題がないが、神経症など軽い精神疾患は通らない県もあったのである。また医療機関の窓口で医療費の5%を支払えばよかったが、都道府県によれば、その5%を他の福祉関係費で補い無料の県もあった。
これが変更された理由だが、障害者でも精神以外は1割負担が多く、精神科のみ優遇されている面があり、公平を欠いていかたからである。一般の障害者の1割に合わせ、その結果、高額になる患者さんのために所得に応じた上限を設けた(過去ログ参照)。
だから、ほとんどの精神科患者さんにとって、以前よりむしろ支払額は少なくなっている。また、リスパダールコンスタやエビリファイ液のような極端に高額な薬も処方しやすい面がある(これは偶然であるが)。
過去ログでは、自立支援法の「重度かつ継続」にはあまり意味がないと記載している。コメント欄を読むと、既に過去ログに記載しているのに、誤ったことが書かれることが時々あるので、よく過去ログを読むようにしてほしい。
今日の記事は、「患者さんが4時間待った話」から、精神医療の精神保健指定医や自立支援法などの精神保健的な話になったので、少し変だが「障害年金」のテーマに入れている。
(注1)
医療観察法では「精神科医療で治療可能であること」などいくつかのルールがあり、必ずしも全ての精神疾患が対象になっていない。
参考
素人の心療内科クリニック
精神科医は書類に忙殺される(前半)
精神科医は書類に忙殺される(後半)
100万人
世界保健機構によると、自殺者は年間100万人前後とされている(統計が十分にとれない国もあると思うが)。
その自殺者のうち90%が双極性障害、統合失調症、大うつ病性障害、人格障害を伴っていると言う。つまり、精神面で健康ではない人の自殺者がほとんどである。
精神疾患以外の自殺はどのようなものがあるのか考えてみたが、例えば911事件(アメリカ同時多発テロ)で、ワールドトレードセンターの上層階にいた人たちが逃げ場がなく飛び降りても、自殺ではあるものの精神疾患とはみなされないと思う。(参考)
日本の年間の自殺者は3万人前後で推移しており、これは交通事故による死亡者数より遥かに多い。なお、アメリカの自殺者数は36000人くらいと言われており、人口比を考慮すると、日本人の方が自殺者が2.5倍程度の比率で多い。(アメリカの人口は3億1千万人程度)
アメリカでは、45歳以下では自殺は死因の第3位になっているという。(事故死、癌に続く)
日本男性の場合、中年以降の自殺が多い。過去ログでは、歳を取れば取るほど自殺しやすくなると言う記載をしている。日本国民の高齢化も影響しているのである。
最近、若者の自殺も以前より増えているという報道があった。若い人の自殺については、国の種々の事情も関係しているようである。例えば、カースト及びダヘーズなどのWikipediaの記事を参照してほしい。
参考
うつ病と自殺
東京都の自殺率が低い理由
なぜ自殺が良くないのか
希死念慮の謎
Why Not Smile (R.E.M.)
子供の頃、怪我をした話
しかし名前は日本人に良くある名前だったので、僕はそうだとは知らなかった。彼は成績は良くなかったがスポーツはかなりできるタイプで、クラス対抗のソフトボールではうちのチームの4番だった。スラッガーではあるが、三振が多いのが難点だった。僕はセカンドかライトを守っており、つまりはあまりうまくない選手である。水泳と卓球は人並み以上にできるが他はダメなのである。
なお、クラスのソフトボールチームの愛称は「吉田工業ファスナーズ」であった。
これはもちろんYKKから来る。今は全ての衣類がそうかどうか知らないが、当時のチャックにはYKKと書かれていたからである。これは吉田工業株式会社の頭文字とたいていの子供は知っていた。そのチームのアイドル的選手の名前が吉田だったからである(上の在日朝鮮人の友人とは別の子供)。
小学生のソフトボールは、ショートかサードを上手い子が守る。右打者が多いので、あまりセカンドやライトにはボールが飛んでこないのである。ライトはトンネルするとホームランになり、
あっ!
やっぱり・・
という結果になりやすい。だからセカンドよりライトの方が責任が重い。
その友人は体格がよく、スポーツもできる方なのにいろいろイジメを受けていた。体が大きいのになぜか性格は気弱なのである。
今から考えるに、クラスの一部の友人は彼が在日朝鮮人というのを知っており、それがからかいの根拠だったようだが、彼がそうという証拠がないので、他の友人はわざと言っていると思っていた。
彼は人はいじめないので、いわゆる無害な友人であり、僕と彼はそれほど親しくはないが、仲も悪くないと言う中間的な友人だった。お互い家が遠かったのもある。
ある時、2人で遊んでいる時に、全く不可抗力だが、偶然、僕が怪我をすると言う事件が起こった。一見、彼が怪我をさせたように見えるが、彼には実はあまり責任がなかった。
しかし、大変な出血である。(縫合が必要なほど)
僕は出血に驚いたが、興奮しているのかほとんど痛みを感じなかった。ノルアドレナリンが大量に出るとそういうことはある。
その際に彼のオヤジさんが学校に呼ばれ、担任の女性の先生から説明されていた。
すると、そのオヤジさんが彼に近づき、大変な勢いでぶん殴ったのである。彼はその瞬間、吹っ飛んでいった。
僕はその光景にも驚き、「これは大変なオヤジさんだな」と思った。彼のオヤジさんは自営業でうまくやっているような人で、決して貧乏な家庭ではない。
この話を家に帰りうちのあのオヤジに話したが、「まあ、大怪我でなくて良かった」という話で簡単に終わった。
その友人はそう悪くなかったのに、結果があのようだったので、ぶん殴られただけ気の毒だと思った。
うちの両親は、在日朝鮮人がどうとかの躾はしていなかったため、その際のオヤジや母親のコメントもその話は出てこなかった。
その後、しばらくしてである。
ある時、その友人を一部の子がいじめるので、担任が注意をこめてであろうが、
在日朝鮮人と言っても同じ日本に住んでいるのだからイジメはいけません。仲良くしなさい。
と言ったのである。この時、ほとんどの友人は初めて彼が本当に在日朝鮮人であることを知った。僕は隣の友人と目を合わせ、あんな風な言い方はどうなんだろう?と言った会話をした記憶がある。
それまでは全てが曖昧だったからである。
お盆の時期の精神科病院、今昔
昔は精神病院は相対的に若い人が多く入院しており、高齢者は少なかった。この話は時々過去ログに出てくる。
お盆の時期は彼らが外泊するため、精神病院内が閑散とする傾向があった。ほとんど外泊できない人でも、お盆と正月は家に帰れる、そんな風だったのである。
しかし、最近は両親が既に亡くなっているか、病気療養中で入院中(ほぼ寝たきり)だとか、老人ホームに入所しているため、帰ることもできなくなっている。まさか老人ホームには帰省できない。
だから、今や盆や正月は特別な時期ではなくなっている。精神病院の中は普段とあまり変わらない日常なのである。
元々、毎週外泊するような人は盆正月はない。外泊は面倒を診る人が健康であり、しかもその家族に制約がないことが必要なのである。
これは自宅が病院近郊にあり、住んでいる人が例えば兄や姉であっても、その家族(配偶者やその子供)がいると、簡単には外泊できないことを言っている。別にその入院患者さんが大人しく、奇妙なことはしないとしても、家族が馴染みがない人は歓迎されない。
そういえば今とは異なり、もう少し中間的な時代があった。それは、
盆正月は帰れないが、それを少しはずれた時期に外泊できる。
というものである。盆正月は子供たちやその家族(つまり本人からみると義姉、義兄、甥や姪)が帰省するので外泊は困るが、彼らが帰省を終えると、外泊させたいと言う希望である。親とはそういうものだ。
うちの病院では約50年近く入院しているが、今もなお毎年この時期に外泊している人も稀だがいる。これは両親が健康だからである。もう軽く90歳を超えてるが。実はその人の精神症状は重いレベルで、今も放歌などがある。約50年入院してるということは、つまりそういうことだ。
彼の場合、ここ10年で病状が改善している。全く保護室に隔離しなくて良くなったからである。今は開放病棟で過ごせるようになっているが、退院して独りで生活ができるほどは良くない。
つまり発病後、何十年かたっても、精神症状なるもの、「どうにもならないほどは固定していない」とは言える。
これは彼の今から10年前の処方である。これは完全に前医師のものではなく、一部は僕が処方を変えてこうなっている。
セレネース 20mg
リスパダール 8mg
レボトミン 300mg
ヒベルナ 75mg
アキネトン 6mg
ユーロジン 4mg
他、下剤、胃薬など。
隔世の感があるが、自分でもこんな処方があったのである(この処方は直線的であり、デリカシーがない)。これは切り替えの端緒の処方であり、この内容でも十分に病状が悪かった。独語、放歌、被害関係妄想から来る他患者への暴言、暴力がみられたからである。
これは最近の処方。
リーマス 600mg
トロペロン 3mg
クレミン 100mg
リスパダール 2mg
ユーロジン 4mg
ロヒプノール 2mg
アキネトン 4mg
ヒベルナ 25mg
他、下剤、胃薬など。
彼は、リーマスを追加することで他の薬を減らすことが可能になっている。抗精神病薬はクレミン、リスパダール、トロペロンの3剤の併用だが、かつてに比べ内容(コントミン換算量)としてはかなり少ない。この薬効の分散が良いのである。(結果的にクロザリルのような薬効を人工的に創る)。(参考)
彼はもう3年くらい保護室に入っていない。
統合失調症は一般に「こじれること」が長期予後を悪化させる。ということは無謀な薬の減量や中断は、予後とその人の人生を悪いものにすることの方が、その逆より遥かに多いのである。
あくまで仮の話だが、若い頃から(今の技量の)自分が診ていれば、今のようになっていない。当たり前だが。
彼を診ていると、特に統合失調症の場合、精神科医が治療を諦めることこそ、最も「悪」なのがわかる。
それは薬物療法だけでなく、作業療法などのリハビリテーション、本人や家族への生活指導や助言も含まれる。精神科医だけではなく、看護者やコメディカルスタッフの貢献も大きいのである。
参考
クラーク勧告
抗精神病薬の減量のテクニック
ラミクタールとメマリー
過去ログにレビー小体病は、アリセプトの少量よりラミクタールの方が遥かに有効なことがあると記載している。(参考)
アリセプトよりラミクタールが優れている点の1つは、レビーのように薬に敏感な人ではアリセプトによる胃潰瘍や心臓への悪影響が出現することがあるが、ラミクタールにはそれがないこと。
また、器質性幻覚にラミクタールは非常に有効なことがあることであろう。また、認知症に時に併発するうつにも有効である。(重要)
認知症のBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)に、抗てんかん薬のデパケンシロップは治療的である。これは認知を多少悪化させても興奮、不眠などを改善するため、総合的には良いといったところである。おそらく、デパケンは認知症自体は改善しないが、さまざまなBPSDを減少させるのでスコア的には良くなる人もいると思われる。しかし、それは真の意味で認知症に効いているとはいえない。
ところが、ラミクタールは認知にも好影響を与えることがあり、フィットする人には、幻覚が消失した上に、「前よりずっと賢くなった」という家族の感想を聞くことが稀ならずある。これがデパケンとラミクタールの相違である。それぞれ特性が逆な面もあり一長一短がある。
若い人にラミクタールを使うと、うっかりが増えたり、認知に悪影響を与えているように見える人もいる。つまりラミクタールも抗てんかん薬なので、認知に悪影響を及ぼす人もいるということだろう(参考)。個人差がかなりあるが、それでも総合的には認知に好影響を与えることが多い。
レビーに限らず、老人の認知症にラミクタールを試みたケースで、劇的に認知症症状に効いたような人は、たぶん認知症と言うより、
うつ状態による仮性認知症が解消され清明になった。
部分が大きいと考えた方がはるかに合理的だし辻褄が合う。元々、双極性障害やうつ病などの疾患は加齢とともに健康な人に比べ認知症になりやすいと言う論文が出ている。しかし、認知症の初期はタイプにもよるが、うつ状態から来る認知の低下も大きいと思われる。その点で、レビーに対してラミクタールの効果が大きいように見えることも理解しやすい。
ラミクタールを認知症に使うと、その症状の改善の内容や経過から、よくそんな風に思う。
つまりだ。
当初、ラミクタールから始める方針を取ると、その認知症にどの程度、うつ病的要素が関与しているかスクリーニングになると言える。また少量で効果が早期に出るので、家族にも歓迎される。リスクは中毒疹だけである。
ラミクタールが劇的に効くなら、認知の障害は、うつ病ないし双極性障害(しかも意識障害を伴うタイプ)から来る部分が大きいと思われる。(例え真の認知症が合併していても)
認知症で紹介を受け、ラミクタールの少量を処方するだけで良くなる人はそのまま12.5~25mgを漫然と投与しそのままにしていた。この増量せず半錠の投与のまま放置しているのも家族に歓迎される。(投与量と効果のパフォーマンスが良いため)
それでも、数ヶ月間、呆然としていてはっきりしていなかった老人が、毎朝、新聞を読むようになるなど、目に見えるほどの改善が見られる人も多い(初期にはアルツハイマーの場合、ずぼらになったと言うのが多い。それがシャキっとするのである)
ただ、この方針は時に問題が生じる。普通、認知症の人は年配ないし高齢なので、しばしば身体的な疾患を合併する。このような老人が入院した際に、主治医が
これはなんだろな?
と思うのか、少量で非常に中途半端な量のラミクタールを中止してしまう。その結果、劇的に悪化するのである。
こういう人は数名どころか、かなりの数の経験がある(転院後の家族の証言)。おまけに主治医がアリセプトを併用したために興奮が悪化し、認知症のBPSDが爆発的に出現する(もちろん、入院という環境変化や症状性も関与する)。アリセプトは合わない場合、興奮の方向に働くことが稀ならずある。
その悪化の経緯で、リスパダール液などを併用され、次第に錐体外路症状などが出てボロボロになる。この場合、嚥下障害が出現し誤嚥、窒息するリスクも伴う。病院に戻ってきた時はかなり悪くなっていることが多い。
このような経験から、少量のラミクタールを処方している限り、錐体外路症状が避けられることに伴う嚥下を悪化させないメリットは大きい。また錐体外路症状による転倒も軽減できる。
BPSDを改善し錐体外路症状を悪化させないものは他にもあるが、おそらくラミクタールは1つの選択肢なのである。
ラミクタールは一般に精神面に働きかけ少し賦活するものの、12.5から25mgの少量では、激しい興奮は稀であり、睡眠を少し悪化させる傾向があるだけである。
一般にラミクタール少量を中止したために明瞭に離脱症状が出ることは稀である。つまり、転院での悪化は離脱症状ではなく、中止による薬効の喪失と、先に記載した環境の変化や身体疾患そのものに起因する。
幻覚が活発で動きの多い認知症の老人(徘徊が多いという意味)には、もしラミクタールで器質性幻覚が十分改善できない場合、それほど有用ではない。
それはラミクタールは少量からゆっくり増量せねばならないことや鎮静の効果が少ないことも関係している。それでも辛抱して200mg程度まで増量していると、やっと少し効果が出て、「○○が玄関に来ている」などの幻覚妄想が鎮静し、徘徊が減り、いくらかフラット感が出て来ることもある。十分ではないものの、抗精神病薬を使うよりははるかにマシである。(メマリー発売以後はこの方法は推奨できない。改善度に比し医療費がかかりすぎるから)
BPSDが酷いタイプは普通はアリセプトなどのコリンエステラーゼ阻害薬、セロクエル、抑肝散、デパケンシロップなどが使われる。サプリメントでは、フェルガードも良いが、ここまで悪い人では効けば儲けものくらいのスタンスで処方する。
それでも悪いなら錐体外路症状が出やすい抗精神病薬を使うしかない。ここは重要だが、「嚥下障害や転倒が生じうること」を家族に説明しておかないといけない。
家族に、「認知症の程度が相当に深刻であること」を理解されていると、何か起こった時に対処しやすい。十分に理解されていないと、転倒して骨折したり誤嚥で亡くなった場合、トラブルになるし医療事故の裁判にもなりうる。治療に失敗したと思われるからである。
その流れになりにくいのが、ラミクタールなのであった。
実際、認知症にラミクタールでコントロールするように心がけると、院内で誤嚥での大騒ぎが減少する。ただし転倒転落は、錐体外路症状だけの原因ではないので常に生じうる。認知症老人が何をするかわからないとはいえ、看護者や医師が24時間抑制することはできない。
ラミクタールは絶対ではないもののかなりスーパーな薬といえる。
そこで登場したのが、メマリーである。メマリーは錐体外路症状がほぼ生じない新しいタイプの鎮静的認知症治療薬であり、使いやすい点でラミクタールより更に優れている。
僕はラミクタールはスーパーな薬と思っていたが、メマリー発売後、これもスーパーな薬なのでかなり驚いた。
その理由だが、リエゾンでは家族に薬の説明をする機会が乏しい上、医師・患者関係も十分取れていないため、ラミクタール投与を躊躇っていたのである。
自分の病院内や外来でラミクタールを使うのと、総合病院でラミクタールを使うのは全然違う。なぜなら、ラミクタールはスーパーではあるが、適応外処方であるし比較的中毒疹が出やすいからである。(他科に出向く時は、穏やかで無理のない処方で対応すべき)
その理由で、リエゾンでは一見して有効と思える老人にもラミクタールの処方をしていなかった。そのタイミングでメマリーが発売されたことは大歓迎だし、リエゾンでも非常に助かっている。
ラミクタールからメマリーに変更した際、微妙に効き味が異なっていることが診てとれるので非常に興味深い。
ラミクタールとメマリーの相違だが、ラミクタールは賦活系の薬だが、メマリーはどちらかというと鎮静系であること。認知症のBPSDは鎮静により改善しやすいので、メマリーは合っている。また人によるとメマリーは賦活的に作用することもある。不思議な薬である。
その意味で、メマリーはフェルガードに、ラミクタールはニューフェルガードに似ているが、効果の桁が違う。
ラミクタールは若い人に対してもそうだが不眠を改善しない。それどころか不眠の原因になっていることも稀ではない。しかし、メマリーは有効な人ではその逆である。メマリーは全般に性格がおっとりし、不眠にも治療的である。
だから、ラミクタール+眠剤の人がメマリー1剤で完結することもある。
過去ログではアリセプトよりメマリーの方が有効な認知症の範囲が広いと記載している。何らかの認知症でメマリーは治療的に働くことが多い。万能と言う意味で抑肝散も同じことが言えるが、効果の強さが段違いである。
過去ログにあるように、メマリーの投与の際の迷う点は「最も適切な用量」である。これは過去ログには個人差があるのではないかと記載している。
純粋にメマリーがフィットしていないが、ある程度有効であることがわかる場合、今後を考えて、デパケンシロップやセロクエルを併用しながら、メマリーを定着させる。最終的にどのような組み合わせになるかは、その人の認知症の状況に関係している。どうしてもメマリーにセロクエルを併用しないと難しい人もいる。
精神医療の特に臨床場面では、常に相対的な精神所見に対峙しており、対症療法を行うことで十分である。
メマリーは老人にしか使わないが、極端に頻度の高い副作用はあまりない。重大な副作用として、
けいれん 0.3%
失神 (頻度不明)
意識消失 (頻度不明)
精神症状の悪化(以下参照)
激越 0.2%
攻撃性 0.1%
妄想 0.1%
幻覚、錯乱、せん妄 (頻度不明)
その他の重篤とはいえない副作用として。(1~5%未満の頻度のもの)
めまい、頭痛
肝機能異常
便秘、食欲不振
血圧上昇
血糖値上昇
転倒
浮腫
体重減少
CPK上昇
などが挙がっている。メマリーは中毒疹は稀であり、僕はかなり処方件数が多いが経験がない。添付文書では1%未満とされている。中毒疹の出現率の差こそ、メマリーとラミクタールの大きな相違の1つと言える。
参考
メマリー
リエゾンをする精神科医の経験年数
リエゾンの診療報酬と医療崩壊
リエゾンは言葉遣いに気をつける
オリンピックメダリストの凱旋パレード
2012年8月20日、東京、銀座で、ロンドン五輪メダリストによる凱旋パレードが行われている。
この全メダリストのパレードの開催は僕はあまり記憶になかったのだが、実際、日本でメダリストが揃ってパレードするのは今回が初めてのことらしい。
個別選手の故郷ではこれまでもこじんまりとしたパレードは行われていた。
日経新聞かどこかのサイトか忘れたが、パレードの距離が短いため、大変な数の人たちが沿道にかけつけた場合、収拾がつかなくなるのでは?という懸念があったらしい。しかし平日でもあり、さほど(せいぜい数万人レベル)駆けつけないのではないかと思われていた。
いざフタを開けてみると、なんと50万人!
地方の人もこの日のためにホテルを予約しパレードに備えていた人もいた。そのような人は、最前列に並ぶために早朝から待っていたようである。
今回、特に人気があった種目の1つは卓球であった。どこかのテレビ局でMIP的なメダリストとして卓球女子の福原選手と石川選手が挙げられていた。
卓球は、サッカーやバレーボールに比べ、団体戦でも基本的に個人で戦うスポーツである(ダブルスもあるが)。
だからテレビ放映の際、顔の表情(喜び、落胆のありさまなど)が特によくわかり、同じ日本人として、感情移入できる部分がとても大きいと想像する。彼女たちの4分の1くらい自分もリアルタイムで戦っている感覚に陥る。僕もかつて卓球をしていたので、彼女たちの強さや中国選手の超人的な強さもよく理解できた。
そんなこともあり、例えば中学校で卓球部に所属している若い人が、テレビで出ていた彼女たちを是非見に行きたいと言う気持ちはよくわかるよ。
今回のパレードは表向きは、史上最高のメダル獲得数のお祝いであるが、オリンピック東京招致のため、地元の意識を上げる目的もあったようである。今の日本は何かを国民全体で喜ぶとか、そのような場面が減少しているように思う。
あの銀座の和光の通りは、東京に行くと必ず出かけるので、僕も良く知っている。嫁さんが鳩居堂などに行くので、あの辺りを歩くことが多いから。休日には大きな通りは歩行者天国になるので、結構たくさんの人たちが銀座を歩いている。
あのパレードを観た感想。
日本人もなかなかやるじゃん!
一度に50万人もの人がパレードで沿道を埋めるなんてことは、今の日本人には難しいのではないかと思っていた。
海外ではワールドカップの試合で、莫大な数の国民がとてつもない広さの場所に集まり、皆で試合を見守る光景が良く出てくる(今年行われたユーロ2012のキエフやワルシャワなど)。
今の日本人はかつてのようなまとまりを欠き、海外ように極めて陽性な集合体?にはなりにくい国民性になっているのではないかと感じていた。
あのパレードの晴れ晴れしい選手たちも良かったが、50万人の人たちの歓声も同じくらい良かった。
ここ何十年か、あのようなことはなかったからである。
あのパレードを観ていると、この苦境の時代でもまだまだやれそうな気持ちになってくる。日本人も、きっとまだ終わってはいないのである。
参考
ロンドンオリンピック雑感
卓球と精神科医
認知症予防に有望と考えられるもの
認知症予防とは言え、避けられない危険因子もある。例えば、加齢や遺伝要素などである。遺伝的要因として、ほぼ危険因子として良いものとして、アポリポタンパクE4遺伝子がある。
発病に遺伝要因がみられることは双生児研究からも確認されている。ただしアルツハイマー病のうち、メンデルの法則に従うような家族性は全体の1%以下を占めるに過ぎないと言われる。
認知症予防に有望と考えられているもの
2型糖尿病のコントロール
高血圧と脂質代謝異常の改善
望ましい体重の維持
社会交流と知的な活動
運動の習慣
果実と野菜の多い健康的な食生活
禁煙
うつ病の治療
精神科病院の夏祭り
精神科病院は、この時期、特に規模の大きい病院では本格的な夏祭りが開催される。
僕がまだ研修医の頃、偶然、夏祭りの日に日勤と当直を任された。夏祭りでは盆踊りがあるだけでなく、本当のお祭りのような出店もあり、最初観た人は少し驚くものだ。
実際、綿菓子、お好み焼き、たこ焼き、焼きトウモロコシ、金魚すくいまであった。若い女性患者さんなどは浴衣を来て参加しており、家族会の人や近所に住んでいる人も参加できるので、夏休みの小学生も多く大変な賑わいである。お祭りの最後くらいには花火をしていたような気がする。
この「近所の人も参加すること」は、個人情報の保護やスティグマの問題もあり、好ましくないと思うかもしれない。これはずいぶん昔だからそうだったわけではなく、現在でも、
国や地方自治体などからも、そのような地域住民の参加は推奨されているのである。
うちの病院でもそのタイプのお祭りやクリスマス会には、毎回ではないが地域の人たちを招待している。
地域の人に、近所にある精神科病院がどのようなことをやっているのか全くわからないと、理解されにくい。
開放病棟に入院中の患者さんたちは、時々、コンビニ、ディスカウントストア、大型店舗の電器店に買物に出かける。その患者さんたちがどんな風なのか、地域の人がわからないよりは知っていてもらったほうが良い。その方が、精神科病院があることに対し、地域の人の不安がいくらかでも減るのである。
そのようなこともあり、入院患者さんが外出する際に服装などがあまりにも奇妙と思う場合、もう少し自然に見えるように指導するようにしている。変な格好でスーパーなどに行くと、すぐに精神科の入院患者と思われるようでは困るからである。
よく思うが、精神症状が良好な人は姿勢がよい。
結局、精神科病院は一般人のイメージとは少し異なっていることがわかるだけでメリットがあるのであった。
このような地域との交流を通じて、例えば共同住居やグループホームを造る際に、地域の抵抗が少しは減る。少しは減るものの、反対されるのが普通である。その理由だが、そのグループホームなどにどのような精神病状態の人が入るのかよくわからないからである。
精神障害者に対するスティグマは意外に地域差があり、それは医療観察法病棟の分布を見てもわかる。例えば医療観察法の指定入院医療機関は北海道にはない。四国4県にも設置されていない。
そのため、北海道の人は関東やそれ以遠の地域に入院していることも稀ではないのである。これは本来の理念、つまり入院から通院治療に至る一連の精神医療が円滑に行いにくいことを示している。本人が住んでいた場所と遠く離れている県で医療を受けて、それからどうするんだ?という話にもなる。
医療観察法病棟の建設には、いかなる僻地であれ、住民の大変な反対運動が起こることがよくわかる。(北海道なんて、人里はなれた場所なんていくらでもあるように思うが)。
さて、一般の精神科病院のグループホームや共同住居の話に戻るが、わりあい理解されているように見えても土地の取得も簡単ではない。精神病院には地域の人は土地は売らないからである。
なんとか土地を取得した場合、地域の人に説明をしなくてはならない。ここでまず反対が起こる。
そのようなものが建てば、子供を安心して外で遊ばせられない。
くらいは言われる。しかし、実際は今でも入院患者さんは外出して食事をしたり買い物をしているので妙な話ではある。
少なくとも入院患者より、グループホームに入所する患者さんの方が病状は軽いのが普通だ。だいたい、地域住民がそこに住み始める大昔からその精神病院はあったのである。
国は入院病床を減らすために、退院させ地域で精神病患者をみるように推奨しているが、言うほど簡単ではないのがわかる。
むしろ、単純にアパートを借りて住むように段取りを取る方が遥かに簡単である。これは過去ログに記載しているが、国民の高齢化や少子化などで、古いアパートの空室が非常に多いことも関係している。アパートに退院させる場合、近辺の人の承諾をとる必要はない。
過去ログでは、高齢の統合失調症の人たちが亡くなっていくと、自然に統合失調症の入院患者さんが減り、実入院数は減るのではないかと記載している。ただし、現在認知症の受け皿になる医療機関、介護施設が不足しており、認知症の高齢の患者さんが精神科病院に増える傾向がある。
その理由だが、老人を広く受け入れている病院は在院期間に制限があるからである。精神科の場合、その制限がないため、認知症の患者さんでも亡くなるまで入院することが可能である。
しかしながら、そのような車椅子や寝たきりに近い高齢者ばかり入院させた場合、看護師やケアワーカーの人の数が相対的に不足し現場がハードになる。元々、精神科病院は診療報酬的にも、そのような患者ばかり診られるような医師数や看護師数を要求していないからである。
イタリアでは精神科病床がない理想郷のように語られることがある。しかし、緊張病症候群(特に興奮状態)の人を持ったことがある家族ならわかるが、病状が重い場合、入院させないと自分たちの生活が成り立たない。
イタリアではそのレベルの病状の人は、お金持ちでは先進国の精神科病院になんとか入院させ、お金のない人はなんとか苦労して自分たちで面倒をみるか、医療費が安い東欧の精神科病院に入院させているようである。(という話。僕も詳しくはない)。
過去ログではルーマニアのECTの話とその精神科病院のアメニティの乏しさなどに触れている(参考)。
またイタリアの教会や修道院のような施設?で、精神病と思われる患者さんを受け入れているような場面を、ディスカバリーチャンネルかナショジオで観た。
その映像では、最初エクソシストの神父のような人が悪魔祓いをしており、口から多くの釘や色々な異物が吐き出された。しかし、その少女の精神病状態は回復しなかったらしい。その後も長く修道院内に収容されていたようである。
普通、精神病状態が悪すぎる場合、航空機に乗れない(←重要)。そのような場合、家族同伴であっても飛行機では移動できないのである
イタリアは隣国と陸続きなのが恵まれている。車で移動できるからである。イタリアはサルディニア島など島もあるが、船は中の空間も広く、墜落がないので、そのような理由であればなんとか乗せてもらえるように思う。(同伴の家族が大変だが)
もしイタリアが、イギリスのように島国であったなら、「精神科病床なしの医療行政」はかなり難しかったと思われる。
イタリアのイタリアらしいと思うことの1つに原子力発電の政策がある。
イタリアはチェルノブイリ原子力発電所の事故以降、原子力発電所の稼動を停止し、今もそのままである。数年前まで、CO2問題もあり再稼動の予定もあったが、福島第一原子力発電所の事故以降、国民投票が行われ恒久的に原子力発電は行わないことになった。チェルノブイリ以降、イタリアでは原子力発電の専門家も非常に減少しているらしい。
イタリアの主なエネルギーは火力発電所から得ており、不足するため全体の14%程度を輸入に依存している。経済発展とともに電力が不足し、2003年には大停電が起こる事故が起こった。そういうこともあり、EU内ではイタリアは最も電気料金が高いという。(そんな風なことをしているから財政危機になるんだと思う。電気料金が高くなると製造業では全てが高コストになり、競争に負けやすい。)
イタリアは、スイスや特にフランスから電力を輸入している。フランスは極めて原子力発電の割合が大きい国として知られている。
自分の国は原子力発電をしていないのに、原子力由来の電力を他国から買うという感性には、僕は少しだけついていけない。人はリスクを負っても良いが、自分はしないという感覚に。
フランスがまずありえないが、大きく政策を変更した場合、満足に電力を輸入できない事態もないとはいえない。その場合、イタリア経済は破綻するであろう。イタリアは基本的に、国防というか国民の安全保障というか、その辺りの感覚が欠けている。
枢軸国で、最初に降伏するはずだよ、と思う。(サッカーは強いけどね)
イタリアの「精神病院がないこと」と「原子力発電所がないこと」は同じような国民の感覚から生じていると思う。
参考
木箱ECTとサイマトロン
リスパダールコンスタとネオペリドール&フルデカシン
日本の原子力発電所
前回の記事の真意がよく読み取れていないと思われるコメントがいくつかあり、このようなことはあまりしたくないのだが、もう一度記事にすることにした。
まあ、今日のは雑談のようなものだ。
あの記事は元々、日本の精神保健的な内容であり、イタリア人の国民性については付けたしのようなもので大きな意味はない。だから、原子力発電所についての賛成・反対についてはどちらが正しいという意思表示でもない。
まず、原油価格の話から。
現在、WTI原油価格はだいたい1バレル95~96ドルで推移している。このWTIは、ウエスト・テキサス・インターミディエートの略。この原油は、西テキサス地方で産出される硫黄分が少なくガソリンを多く取り出せる品質の良い原油を指している。
僕が子供頃、あるいは大学生の頃だったかもしれないが、日経新聞を読んでいると、アラビアンライトという原油価格の記載があった。アラビアンナイトではないよな?と思い、このネーミングはわざとだろうか?と思ったりした。実は、アラビアンヘビーという銘柄もあるのである。
原油は、産出国により一様ではなく、ガソリンがたくさん取れるものや、重油が多く取れるもの、固まり易いとか固まり難いなど、性質に差がある。だから精製上、あるいは使用目的にもよるが、国は安価で公害が出にくいものを選びたいと考えている。(また産出国との国際関係も考慮される。)
この原油の性質を示すものとして、APIボーメ度という指数があり、これは原油の比重をパラメータとするスコアである。
WTI原油はガソリン、灯油、軽油を産生することが容易な原油に対し、ドバイ原油(中東産原油)は重油を取り出すのは易しいが、ガソリンや灯油を取り出すのは難しい原油とされている。アラビアンライトは、サウジアラビア産中質原油の総称で、よく日経新聞の「今日のNY原油価格」などで記載されているものとは産出される地域も違うし原油の性質も異なる。
サウジアラビアは1986年、アラビアンライト原油の価格公示を廃止し、その後、中東原油の基準油種はスポット価格を反映するドバイ原油・オマーン原油に移った。
その後、原油価格は、先物価格と現物の取引におけるスポット価格、「ニューヨーク原油先物」「ブレント原油先物」「ドバイ原油・オマーン原油のスポット価格」が三大指標となっている。
元々、原油価格はWTI原油がよく指標として挙げられるが、ごく近年に限ればイギリスの北海ブレント原油の先物価格の比重が増している。国際取引での原油価格は1バレル(通常は約159リットル)当たりのアメリカドル価格で表記されている。
このWTI原油価格は、1999年頃、なんと12ドル前後の安値で推移していた。今では信じられない価格である。当時のガソリン価格だが、元々ガソリン価格はコンビナートなどから近いかどうかなどの要因などで地方差がある。その頃、僕のいつも入れているガソリンスタンドではハイオクで1L、108円ほどだった。レギュラーガソリンは100円切るか切らないかである。
そのようなことを考えると、原油価格は当時の安値から約10倍に値上がりしているが、日本のガソリン価格はそこまで値上がりしていない。その理由は過去ログにも出てきているが、天然ゴムとタイヤの話と同じく、たぶん精製、流通、税金など正味以外の部分が非常に大きいことによる。
数年前、原油価格が急騰した際、日本では消費されるガソリン価格を抑えるため、ガソリンにかかる税金を減らした時期がある。
2000年頃からなだらかに原油価格が上昇し、その他、金やその他の資源価格にも投機資金などが流れ込み高騰したことは、これまでにあまり経験しなかった異常事態といえる。この資源価格の高騰以降、資源価格に関係が深く連動性も大きいオーストラリアドルは高く推移している。
2012年始め頃、夏場の電力供給に不安があると言われていたが、ごく最近、国は今年の電力供給について、計画停電はしなくても良さそうというアナウンスをしている。(←重要)
ほとんどの原子力発電所が稼動していないのに、現代社会でそうだということは、昔は今より消費電力も少なかったであろうし、また原油価格もかなり安かったこともあり、火力発電を主体としていても、十分まかなわれた可能性の方が遥かに高い。多分、その気になれば化石燃料や水力、地熱発電で十分であったと思われる。
その視点では、原子力発電所はこの狭い日本の国土では造る必要がなかったと思われる。
僕が医師になって数年目の頃だが、テレビ朝日系の「朝まで生テレビ」で原子力発電所のテーマで賛成派と反対派が分かれ激しい議論しているのを観た。実はそれまで「朝まで生テレビ」という番組を観た事がなかったのだが、面白すぎて明け方まで観ていた。反対派には山本コータローさんなどが出ており、非常に冷静に、淡々とした口調で意見を述べていた記憶がある。一方、賛成派には実際に原子力発電所に勤めている電力会社の社員の人たちが出ていたのである。あるその社員の人の意見は、
毎日、原子力発電所で仕事をしているが、危険とか健康に悪いと思ったことはありません。
などと話していた。当時、まだ過去ログの「聖書」に出てくる友人は元気であり、彼は「原子力発電所は日本では必要ない」という意見だった。今から考えると全くの正論である。真に原子力発電所が安全なら、東京都内や大阪市内に造ると思う。
このように考えていくと、たぶん原子力発電所はアメリカとの同盟関係や日本の安全保障のために造る必要があったと思われる。国はある意図があり、被爆国なのに原子力発電所を造る政治的判断をしたのである。
これは結構知られているが、原子力発電所が稼動していると、非常に短い期間に原爆が製造できるらしい。だから、日本はその気になれば高い科学技術力があるので、速やかに核保有国になれるのである。しかし、そのために原子力発電所を持っているとは口が裂けても言えない。
日本には非核3原則があるから。
日本にはかつて米軍基地に核装備の原子力潜水艦が入港した形跡があり、非核3原則は、実は「非核3幻想」だったのかもしれない。
前回の記事のイタリアに関して「安全保障」という言葉が出て来るのは、そういう意味である。
イタリアの場合、日本やドイツと同じく第二次世界大戦の敗戦国でもあり、核武装は国際上難しい。それにイタリアは周囲の国々と陸続きではあるが、現在では日本に比べ地政学的リスクがかなり低い。
フランス及びスイス、オーストラリアなどの永世中立国と接しており(他、リヒテンシュタイン、スロベニアなど)、しかもロシアから、かなりの距離があるからである。
僕の子供の頃は、中国で大気圏内の核実験がしばしば行われており、「今日は中国が核実験をしたので雨に当たらないようにしなさい」と教師に注意をされていた。そういう時代だったのである。
ここ20年くらいに限れば、北朝鮮が核武装する気配が長くあり(今は既に成し遂げているかもしれないが)、将来、北朝鮮と韓国が統合し核武装した朝鮮が誕生する可能性もないとは言えない。
そのような際に、日本国民がヒステリックになり、突然乱暴な政策を取るのは非常に拙い。
かつて、田原総一朗氏がテレビで後藤田正晴氏へインタビューした話をしていた。後藤田氏は自民党の大物代議士で、常に日本の国益を考えていた政治家である。
後藤田氏が、「日本には憲法第9条が必要なんだ」と話していたのは、なぜなのか、田原氏が問うたのである。タカ派の代議士がそういうことを言うのは意外に思われたからであろう。答えは単純なもので、日本の国民性から、あの9条はどうしても必要と言ったものであった。彼の言いたいことはなんとなく理解できる。
アメリカと日本は同盟国ではあるが、アメリカは真の国益がない場合、悪が蔓延っても放置することも良くあるので、何か有事の際に日本に軍隊を出して助けてくれるかどうかが不明なのである。(まあ、たぶん助けてくれるだろうが、確実とまでは言えないと言う意味)
その意味で、「原子力発電所が日本にあること」は米軍が駐留しているより、むしろ抑止力が働くと、当時の政治家が考えていた可能性もある。
アメリカは、イラクやクェートなど原油が産出される国には国益もあるので、兵を出すが、正直、中国と戦うのは嫌であろう。アメリカと言えども、中国とロシアは戦争で勝てない国である。(今のシリアを見ればわかる。シリアとロシアは友好国なので、政府軍に乱暴なことができない。その結果、無法地帯になっている)
だいたい日本が困っているとはいえ、中国と戦うような状況では、アメリカ国民が戦うことに同意する確率は結構低いような気がする。冷戦時代はともかく、現在では国益にたいして影響しないからである。(朝鮮戦争の際に懲りているのではないかと)
現在、ドイツは核武装していないが、原子力発電所は稼動している。今後、徐々に止めていくという話だが。
冷戦時代の西ベルリンは、よく空襲警報が鳴り響き軍事演習が行われるなど、まさに最前線の緊張した空気が張り詰めていたと言う。NATO軍とワルシャワ条約軍が対峙していたからである。
イタリアの場合、核武装していないのは良いとして、チェルノブイリの事故以降、原子力発電を止めて、次第に原子力の専門家すらほとんどいなくなるというノーテンキな状況である。
スイスは永世中立国で、しかも国土も狭いながら、原子力発電所を所有する国家である。また軍隊も持つ。スイスは行ってみるとよくわかるが、非常に心配性な国民で、しかも外国人は戦争の決断を含め、何を考えているかわからないくらいに思っている。それだけではないと思うが、スイスはEUに参加していない。(通貨はスイスフラン)
スイスの国土の狭さを考えるに、原子力発電所はマイナスにしかならないと思うが、それでも持っているのは、何割かは安全保障のためである。(スイスは九州より少し大きい程度の面積)
スイスは福島第一原子力発電所事故が起こった直後の2011年5月に2034年までに全面停止し、「脱原発」を図ると発表している。スイスで原発事故が起こった場合、国が終わりかねないからであろう。深刻さに気付いたといえる。今のヨーロッパはアジアの中東や極東に比べ冷戦の終結もあり、かなり地政学的リスクが低下している。
この2034年というのは廃炉に時間がかかることもあるが、そのくらい時間が経てば、なんとか他の安全保障の方法が考えられると思ったのかもしれない。スイス人はなかなか安心できない国民性なので、そのくらいは考えていると思われる。
現在、イランと北朝鮮の核の問題は、アジアの大きな懸念になっている。かつて、日本が原子力発電所を造ろうとしたきっかけは、中国や北朝鮮が何を考えているのかよくわからない国だったこともあると思う。
ヨーロッパは冷戦が終わっているが、中東と極東は以前より平和になっているとは言い難い。
昔の日本の政治家の決断はそういう思考から来ているような気がする。原子力発電所はリスクがあるなしではなく、一部はそういう経緯で決断されたものと思う。
しかし、今回の大震災による福島第一原子力発電所事故で、その規模の大きさから国民が大変なリスクを払っていたことに国も気付いたと思われる。それでもなお原子力発電を放棄しないという意見は、たぶん化石燃料などで電力が足りているとか、そういう些細なことに基づくものではない。(日本は敗戦国であることはドイツ、イタリアと同じく重要である)
そういう点で、今の原子力発電所の賛成、反対意見、いずれにも一理あり、最終的に、これを決定するのは日本国民の意思だと思っている。
(終わり)
参考
精神科病院の夏祭り
なぜアメリカは原油を輸入しているのか?