今から医者になる人とは、医学部の学生さんだけでなく、小中高生の若い人も含めている。
医者になるためには今も昔もある程度以上の学力が必要で、入学するまでに必要な労力(勉強に費やす年月)は平均的な他の学部より大きい。高卒後3浪以上すると一般の学部では何かと不利になるが、医学部はそれほどハンデキャップにならない。実際、3浪して医学部入学しある国立大学の内科教授になり、それが自慢の教授がいた(実話)。
逆に3浪以上までしてしまうと、医学部進学の理由になると言える。ハンデを解消するために、一発逆転が可能だからである。
このような理由で、ある時期、医学部受験生に多浪生が多くなったこともあり、近年は面接なども採用されている。この結果、多浪生がある程度不利になるのもやむを得ない。例えば45歳で合格した場合、順調でも医師になるまでに50歳を超え、一人前になる前に体を壊したりし働けなくなる確率が高まる。国家財政から見ても同じ税金を使い医師を養成するのなら、若ければ若いほど良いと思うのが自然である。
1浪1留くらいだと医学部だと問題にならないが、一般の学部では就職時にやや心証が悪くなる。そもそも遅れて社会に出たとしても定年は今は65歳くらいなので、トータルの就労期間が短くなり退職金や年金が減額になる。浪人や留年はやはりハンデなのである。
医師の場合、定年でぴったり退職しその後、何もしない人は稀なので、定年はあってないようなものだ。これが良いか悪いかはまた別な話である。
僕が医学生の頃、ある病院の経営者と話したことがあった。彼によると、これから医師になる人は大変であろうが食っていけないことはないだろう、という見解だった。
僕の一部の友人はやや悲観的で、開業は借金が大変なので到底無理、勤務医をしながら細々と暮らしていくしかないと話していた。ところが、自分の同級生で医院を開業した人は結構いるし、開業など無理と言っていた友人は大学教授や中核公的病院院長などにおさまっている。これは悲観的だったこそ、逆にそういう進路になったと見ることも可能だ。
重要点
学生時代の将来の楽観、悲観はその人の将来の地位に影響する。(かもしれない)
僕の場合、将来に対し楽観も悲観もなく精神科医になりたいというのはほぼ決まっていたので、迷いはかなり少なかった。もし来世があるとしたら、またぜひ精神科医になりたい。そう思う理由は、精神科医ほど面白い職業はないからである。ここで言う「面白い」は学問的興味とやりがいから言っている。過去ログのプロフィールにはそのあたりの話が出てくる。
さて、今在学中の医学生さんは、僕が在学中に比べ一層先が見えないイメージがある。あくまで想像だけど。第一、人口比で医師養成数が増えているし、近い将来の国家財政を考えると、今の給与水準が維持される保証などないからである。
医師の働き方も徐々に変わってきているようで、業者に日当直医師を依頼すると、時々プロの当直医師が斡旋されてくる。このタイプの医師は常勤の病院がなく、おそらくアルバイトのみで生活している。これでも結構な月収になるのである。日勤や当直でどのくらいのアルバイト給与になるかは、どの専攻科や病院の立地により多少は違うが極端に低額ということはない。その理由は低額だと誰も来てくれないからである。
このような医師は、今風に言えば、既にプチfireしているようなものだ。
ただし人口比で医師が増えているという事は、将来、この辺りの需給が変わってくるリスクはある。実はこのようなことは僕が医師になった当時から言われていたことでもある。
近年は金銭的な優位性を重視し専攻を決める医学生もいるようだが、基本、その専攻科が好きでないと長くはやってられない点は注意したい。専攻科を間違うと向上心にも影響が出るし、それはひいては患者さんにもマイナスになりかねない。
医師免許は基本的に歯科以外どの科でも選択できるが、途中で専攻科を変更する事は長期ではスキル的なハンデになると思う。想像してみてほしい。ある新入医局員を遥かに経験年数が少ない医師が指導しなくてはならないのである。
精神科の場合、転科してくる人には2種類あり、最初から意図して例えば救急や一般内科を勉強してから入局する人と、他の科で壁にぶち当たり辞めて精神科に来る人である。僕のオーベンは後者の評価が非常に低かったが、その理由は彼らを落ちこぼれのように見なしていたからだと思う。それでもなお、オーベンは来てくれないよりは遥かにマシと話していた。兵隊は多ければ多いほど良いからである。
現在の研修医制度は、前者の選択を強制しているとも言える。これも時代の要請なのであろう。
時代は変わり、今は医局の雰囲気や上級医がダメすぎる(例えば保身やパワハラ気質など)くらいの理由で、転科や医局を辞める心理的プレッシャーは小さくなっているように思う。
これは以前は個人的に良い点、悪い点双方あると思っていたが、今風だと個人の自由というか選択が開かれていて、専門職らしいと考えるようになった。
重要なのはこれは精神科に限らないが、ある程度の年数、集中的にその専攻科の臨床を学ぶ必要性である。そうでないと長くやっていく基本的知識が身につかないし、中途半端な医師になってしまう。これは例えば精神科の指定医とか専門医を取得しているという次元のことを言っていない。以下は高須クリニックの求人についての注意書きである。これは精神科でも参考になる。
このブログは既に16年くらい続いているが、たまに、これこれの状況にある患者さんにどのような処方が好ましいかアメブロメールで聴いてくる精神科医?がいた。たいてい女医さんで、どのように治療すれば良いかわからないような印象だった。何度もさまざまな症例について同じような質問をしてくるので、こちらも呆れて、「このブログはそのような目的で続けているわけではない」という感じで返信を断っている。このブログは現在治療中かこれから治療を始めるか迷っているような人たちやその家族向けに発信しているからである。
おそらく精神科医局的な教育を受けていないのではと思ったが、ひょっとしたら他科を専攻していて、出産育児などでブランクが生じ、元の専攻科では復帰が厳しいので、簡単にできそうな単科精神科病院に勤めている(あるいはパート)のでは?と想像した。
そのような事は同じ病院の上司に聴くべきであり、もしそのような医師がいないとしたら、大変な限界単科精神科病院であろう。このあたりの記載は女医さんをディスる意図はない。
医師に限らず何でもそうだが、医学を学ぶことには根気が必要である。僕に取り柄があるとしたら、精神科に対する学問的興味がいつまでも保てている事だと思う。実は、この根気という特技は仕事に限らない。
タイトルに戻るが、医師という職業が将来どのように評価が変わっていくかわからないが、結局は自分次第なのだと思う。
ある精神疾患の人を治療した時、指定医を取ったばかりの精神科医と30年経験のある精神科医の診療報酬は同じである。こんな事は普通はおかしいが、日本は良くも悪くもそういう国なのである。
特に若い医師がスキルという点で考えが甘くなるのは、多分そのような医療制度も関係している。なんだかんだ言って、日本の医師は高級公務員的な存在だと思う。医師にコスト意識が低いのもそれが影響している。
これ以上書くとより老害的になるので、この辺りでやめておく。
参考
この記事で、それだけはやめておけ、と助言した友人は今は教授になり、2人の子供も既に医師になり働いていると言う。久しぶりに会ったら、あまりにも教授っぽいのでびっくりした。若い頃の面影などなかった。