Quantcast
Channel: kyupinの日記 気が向けば更新
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2198

尾道市の林芙美子記念館

$
0
0

 

 

 

今回は尾道市の林芙美子記念館を紹介したい。僕のブログで尾道市を紹介するのは2001年に広島で国際神経精神薬理学会が開催された旅行記以来である。今回、家族で尾道旅行した際に立ち寄った時に撮影。

 

 
 
林芙美子記念館は尾道市のレトロな商店街の入り口近くにある。在来線の尾道駅を降り歩いてすぐの場所である。この商店街はとても懐かしさを感じる。それはそのまま昭和の映画撮影に使えるほどだと思う。
 
 
林芙美子は諸説あるが、おそらく北九州の門司で出生。幼少時から恵まれない複雑な生活歴であった。この記念館では彼女の生活歴や写真が展示されているが、Wikipediaの記載と少し異なっている部分もある。Wikipediaの方がやや詳細に記載されている。
 
 
 
尾道に転居後の状況が書かれている。林芙美子は早くから文才を認められ、篤志家などの援助により尾道市立高等女学校に進学している。戦前の作家は、赤貧洗うような作家もいないわけではないが、どちらかと言うと家庭に恵まれた人が作家や詩人になっているケースが多い(中原中也や坂口安吾)。進学率が低く教育を受けたくても受けられない人たちが多かったためである。そのようなこともあり、林芙美子のように異端の生い立ちを持つ作家は陰口を叩かれるところがあったのだと思う。
 
Wikipediaから抜粋。
その生涯は、「文壇に登場したころは『貧乏を売り物にする素人小説家』、その次は『たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家』、そして、日中戦争から太平洋戦争にかけては『軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家』など、いつも批判の的になってきました。しかし、戦後の六年間はちがいました。それは、戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」と言われるように波瀾万丈だった。
 
 
 
女学校時代の友人と一緒に撮影されている。
 
 
放浪記は彼女の代表作。尾道市は林芙美子という作家の出発点だと思う。彼女は放浪し尾道市に来たことで人生が良い方向に開けた。
 
 
 
林芙美子は東京に出てからも金銭的に恵まれていなかった。また恋愛、失恋も繰り返している。作品がお金になり始めてからは単身であちこち海外に渡っている。
 
このブログ風に言えば、ある意味、ADHD、双極性障害的な人生だったといえる。(パリに行き飢え死にしそうになるなどの行き当たりばったりな計画)。なお、彼女がADHDとか双極性障害と言っているのはない。
 
 
関東大震災時には尾道市に疎開している。
 
 
この写真は凄くないか?
大東亜戦争時にもあちこち現地を訪れて従軍記などを書いている。今、ウクライナの激戦地を訪問することを想像すると、いかに向う見ずだったのかがわかる。彼女のような性格ででないとなかなかできないことだと思う。
 
年表。彼女はかなり作品が多いが、貧しい頃、作品を売り込むことに苦労した経験があり、多くの仕事を断らず受けていたという。彼女が心臓発作で、47歳で亡くなったのは、そういうこと(過労)も関係しているのではないかと思った。
 
 
 
最後に猫の細道から見た尾道市街地。尾道はとても猫が多いところらしい。(写真なし)
 
 
 
 
 
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2198

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>